田んぼでブルーグラス
林さんちでは、毎年夏、収穫祭として「林さんちの田んぼのフェスティバル」を開催しています。コンセプトは、「田んぼでブルーグラス」林さんちの友人、知人、地主さん、そしてお得意様をお呼びして、音楽と美味しい食事で楽しい夕べを田んぼで過ごしてもらおうというものです。ブルーグラスとは、アメリカ大陸にヨーロッパから移住した人達が、収穫の秋に一日中、農場で楽しむ伝統音楽から派生したアコースティック音楽のジャンルです。ギター、フィドル、バンジョー、ウッドベースなどの楽器を使用します。林さんちでは、ブルーグラス以外にも、いろんなミュージシャンが演奏、そしてパフォーマーが参加しています。
「名ばかりの産品を売って食べ散らかすだけのイベントは、したくない」
林さんちでは、多くの農業関係で行われている収穫祭、安い農産物を求める人ばかり集まったり、収穫祭とは、名ばかりの産品を売って食べ散らかすだけのイベントとは、一線を画しています。販売している品は、地産地消、旬のモノ、こだわった素材を使用しています。生ビールも、本格サーバーで提供しています。そして食器は、リユース食器「スペースふう」を使用してゴミがほとんど出ません。参加者は、林さんちのことを良く知る人達が集まります。かと言って門戸を閉ざしているわけでありません。このHPを見ているだけで資格十分です。
ことの発端「田んぼのコンサート」
なぜ「田んぼのフェスティバル」が始まったかというと平成8年に、林さんちの専属デザイナーから「田んぼで音楽を演奏したい人がいるが協力してもらえないか?」と話がありました。妙な人がいるなぁ~と思いましたが面白そうだったので引き受けました。その方は、シンセサイザー奏者「滝沢卓」さん。そこで神社をバックに田んぼのど真ん中で演奏していただきました。かがり火を焚き秋風の中、聴いたシンセサイザーの音色は神秘的でした。しかし当時の写真が一枚もなく打合せで撮影したのがこれです。
なんで音楽の素人の林さんがコンサート、、(-_-#)
ところがコンサートが終わり出来立ての新社屋の休憩室で二次会を催したら、手伝ってくれた農業青年組織の仲間の何人かがなぜか楽器を持ってきました。十年来の付き合いで知らなかったのですが、彼らは若かりし頃ミュージシャンを志した人達だったのです。その彼らをして「なんで音楽の素人の林さんがコンサート、、(-_-#)」、、私達の方がこうこうこ~で!となった訳です。そして二次会は、これまた彼らの素晴らしい演奏で夜が更けていったのでした。
ナホトカ号の重油流出事故
そして平成9年1月2日ナホトカ号が島根県沖で船が分断、重油が流出した事故が発生。その重油が能登の海岸に流れ着き大きな被害を発生させました。そして農業青年でもボランティアで重油除去を行いました。しかし風評被害で能登の観光客が激減。そこで農業青年や林さんちの仲間で考えたのたのが。
海辺のコンサート
能登の有名な名勝地「曽々木海岸の窓岩」でコンサートを開催、そしてみんなで民宿に泊まろうという企画でした。「海辺のコンサート」は、3年連続して開催しました。それにしても能登まで片道2時間半、ステージや音楽機材をトラックに積み、曽々木の観光協会と交渉をして、窓岩や砂浜でステージ設営。今、思ってもよく出来たなと不思議なくらいです。「若い」ってことは、それだけでも凄いエネルギーだなと感じます。
国指定名勝及び天然記念物にステージを作るという暴挙をご覧あれ!そのことが判明して2年目から下の砂浜にステージを設営して開催しました。でも窓岩から見る日本海は、最高でした!!最後のページにそれからの出来事のキッカケが偶然撮影されています。
「林さんちの田んぼのフェスティバル」の始まり
順調に開催されていた海辺のコンサートでしたが、なんと3回目でトラブル発生。メインの演奏者の滝沢氏のダブルブッキングで演奏出来ないことが判明。そして緊急会議で、仲間にそのことを謝ったら怒るどころか、満面の笑み!「じゃあメインは、我々で!」結局3回目は、農業者やその関係者のミュージシャンで演奏されたのです。しかしこれがまた意外に良かった!いや実に良かったのです!!翌年も、ぜひ演奏したいということで、林さんちの田んぼに戻って「田んぼのフェスティバル」を開催することになりました
平成12年・第一回「田んぼのフェスティバル」
大成功と大失敗、、4年間の空白
1回目の田んぼのフェスティバルは大成功!ところがそこに落とし穴があったのです。林さんちの田んぼのフェスティバルは、リユース食器を使ったりとエコも考えています。そこでビールは当然、缶ビールではなくサーバーで生ビールです。ビールサーバーには、氷が必要です。そこで会社の冷凍庫で大きな氷を予め作っておきました。そして宴もたけなわの深夜、氷が無くなったので、酔っ払って氷を取りに行ったのですが、手が滑って大きな氷を足の上に落としてしまったのです。切創と右足親指の粉砕骨折、、深夜の救急で治療を受けながら、あまりの不注意に落ち込んでいました。それでも翌日から、激痛に耐えながらコンバインに乗って稲刈りをしていました。しかしそれ以来、テンションが下がってしまい田んぼのフェスティバルは開催されませんでした。
私、田んぼのフェスティバル知らないんです、、(ToT)
そして5年の月日が流れたある日、平成13年に入社した女性社員から突然「私、田んぼのフェスティバル知らないんです。社長、またやってください!」となみだ目で訴えられました。入社以来、HPや社内の会話のところどころで出てくる「田フェス」の言葉。でも本人は、まったく知らないことばかり、疎外感があったのでしょう。若い女性になみだ目で頼まれたら、イヤとは言えません。そして平成17年から田んぼのフェスティバルが再開されました。もちろん、社長は、ビーチサンダル禁止、ビールサーバーは、電気で氷を作る上級機種に改められました。
パワーアップして戻って来たミュージシャン達
5年ぶりに召集した仲間は、さらにパワーアップしていました。
田んぼのフェスティバルの未来
23世紀型お笑い系百姓の田んぼのフェスティバル、、やっている自分達でもよく分からない不思議空間です。でも夏の夕べに心地よい音楽と風に当たっていると至福の時を過ごせます。生きていることの幸せを感じる瞬間でもあります。しかし当初の「なんで音楽の素人の林さんがコンサート、、(-_-#)」の原因は、未だに謎ですが、林家の次男が、プロのミュージシャンを目指し平成23年春上京。もしかして子供の頃から参加していた田んぼのフェスティバルの影響かもと最初は当惑しました。でもミュージシャンを志した仲間達の豊かな生き様を見ていると、きっと素晴らしい人生を送ることが出来ると確信して送り出しました。そして何かの形で次の世代に収穫の喜びを分かち合うことが伝わればいいなと考えています。
田んぼのフェスティバルをフルバージョン開催します。
毎年、林さんちで開催していた「田んぼのフェスティバル」を昨年3年ぶりに復活しました。縮小開催と言いながらも大雨に祟られさらにコロナ感染者増でギリギリまで迷って開催しましたがやって本当に良かった!そして今年は、フルバージョン開催を目指しています。より多くの方の参加を楽しみにしています。それにしても「普通の幸せ」を噛みしめています。