「二代目夢太の夢日記が始まりました」2015年霜月3号
耕す田んぼも少し残っていますが北陸特有の時雨れた天気でもう限界です。
しかし大豆の選別袋詰めは、なんとかギリギリに終えることが出来ました。
さらに祝い餅の製造に加えてお正月餅の餅つきにすでに突入しています。あ
とは、ひたすら餅つきの日々です。社長は、その中で子供達の餅つきと食育
授業に走り回っています。
林さんちの商品にレビューを書いて200ポイントゲットしよう\(^o^)/
http://hayashisanchi.jp/shop/review.html?maga20151118
在庫メーター 空←――――――――――――――――→満
宇宙米 ■■■■■■■■■■■■■■■□□□□□
超普通じゃないコシヒカリ ■■■■■■■■■■■■■■■□□□□□
女王さまミルキークィーン ■■■■■■■■■■■■■■■□□□□□
普通じゃないコシヒカリ ■■■■■■■■■■■■■■■□□□□□
普通のコシヒカリ ■■■■■■■■■■■■■■■■■□□□
普通にミルキークィーン ■■■■■■■■■■■■■■■■□□□□
ハナエチゼン ■■■■■■■■■■■■■■■□□□□□
ひとめぼれ ■■■■■■■■■■■■■■■■□□□□
詳しい数字は、メルマガの最後
1.今週の林さんち・・・二代目夢太の夢日記が始まりました
長男の夢太くんの日記がようやく始まりました。構想としては、就農した昨
年の2月には、もうあったのですが結婚やら研修やらでモタモタしていたり私
もネット通販のサイトの改良もたくさんあって延び延びになっていました。ま
だ慣れていなので画像も時々無しですが彼なりの日記もなかなか面白いです。
ただちゃんと続くかが問題です。
二代目夢太の夢日記→http://yume.hayashisanchi.jp?maga20151118
林さんちには「これも笑えるスタッフ日記」と言うページがあってそこには、
社長の私と専務、そして「農業青年中村くんの日記」「林さんちの社員あんち
のプチ日記」があります。私は、毎日、専務は、時々、書いています。しかし
中村くんの日記は、2013年7月から書かれてなくて今年からフェイスブッ
クに移行。あんちに至っては、2011年8月から書かれていません。日記と
言うのモノは、そもそも毎日書くモンと思っていましたが意外と皆さんそうで
ないのですね。それほど毎日書くのは、大変だということです。
でも私は、あまり大変と思ったことがないのか1996年11月からほぼ毎
日書いて来ました。そのキッカケは、私がホンダ技研を辞めて就農した198
3年にさかのぼります。Uターン直後、地元に帰っても稲刈りが終わってしま
えば冬の加工の仕事もありませんので日々何もせずにボォ~と過ごしていまし
た。それまでは、工業デザイナーの勉強を日々学び就職してからは日本経済を
支えるべくさらに激しい研修の日を送っていたのにそれがプッツリと切れてし
まったのです。そんな無為な日々が怖くて何か残そうとカレンダーブックにそ
の日のことを書き始めたのが最初です。そして3年ほどして石川県農業試験場
の経営科に通って農業経営を学ぶようになりました。その時の恩師、小林一先
生が開発した「農作業日誌」にやはり毎日、労働時間や作業内容を含めて記帳
するようになりました。
その後、1995年に当時ようやく知られ始めたインターネットに取り組み
林農産のホームページを作りました。農業者仲間で5万円で5ページの簡単な
HPを作成する企画を考えて農業者に広めて行きました。メールのアカウント
もまとめて取得して農業者仲間に分ける企画もやっていました。今じゃ携帯で
メールなんて超当たり前ですが当時は、超先進的。しかも農業界でやっている
人は、少なかったのです。そしてその時のプロバイダの担当者が今も林さんち
のIT関連の担当者です。でもご存知のようにHPを作ったからと言って何も
起きるわけがありません。買い物がメールで出来るような「買い物カゴもどき
」も作成して付いていましたが販売実績は、皆無でした。まあネット通販で儲
けることが出来るなんてこれっぽっちも思っていなかったのです。
それでもやはりHPは、更新が命だよねと農業者仲間と相談していました。
だったら毎日書ける日記を始めたらどうかな?とふと思ったのです。そこで日
記を投稿できるページを作成してもらいました。まだモデム、、今の若い衆は
知らないと思うけどファックスみたいに「ピ~~ヒョロロォ~~」と電子音で
01の信号を送って更新していました。だから重い画像等は、送れないので写
真もすごく小さいし送信にも結構時間がかかっていましたがまあまだノンビリ
していた時代だったのかそれしか知らないからか楽しく書いていました。当時
は、そんな調子なので毎日書いていたわけでは、ありませんでした。ところが
ここで痛恨のミス、、1996年11月と12月の日記を年次更新の際に消し
てしまったのです。だから現在残っているのは、1997年1月からです。一
番最初の日記に何が書かれていたのかは今もってナゾです。ちなみに「二代目
夢太の夢日記」の初日のタイトルは「千里の道も一歩から」となっています。
その一歩を皆さん応援よろしくお願いします\(_ _)
2.子供達のお餅はお日様の味がする
子供達の餅つきの第一弾が富陽小学校で行われました。ついに石川県最大の
マンモス小学校になってしまった富陽小ですので5年生4クラスで160名の
児童とその保護者が参加する300人での怒涛の餅つきです。毎年、参加人数
は、記録を更新し続けています。もう限界かと何度も思いましたがいろいろと
工夫をして乗り越えて来ました。今から20年前に富陽小学校のPTA役員に
なった時にPTA行事として餅つきは、すでに伝統行事になっていました。当
時は、薪でお釜のお湯を沸かしてセイロを蒸して餅つきをするという超伝統的
な方法での開催でした。お釜、セイロ、臼、杵の全てが借り物なので集めて回
るのが大変でした。
ところがその頃は、そんな伝統的手法でのセイロ蒸しもPTA役員も保護者
も熟知していて上手くやっていました。ところが私がPTA会長になってその
役目をするようになった頃からなかなか上手く行かなくなりました。お釜やセ
イロもいろんな所から借りてくるので一つ一つクセがあって参加者も増えて3
つのお釜でセイロを蒸した時に二つがまったく機能せずに蒸すのに時間がかか
ってしまい冷や汗を掻いたこともありました。PTA行事もそのうち5年生の
学年行事に移行してさらに参加者が増えた時点でちょっとこの「お釜で蒸す」
という方法は、もう無理と思いました。大体、林農産で仕事として餅加工をし
ているのにわざわざセイロやその他を借りて来ること自体が余りにも無駄に感
じました。
そこで林さんちの餅工場のボイラーでセイロの餅米を蒸して会場の体育館に
持ち込んで搗くことにしました。これは、運搬以外は、とっても簡単でした。
でも子供達や保護者のテンションが上がらずに撃沈。やはりあのセイロで餅米
を蒸すあの「香り」が無いとテンションが上がらないということを知りました。
日本人のDNAには、きっと餅米を蒸す香り=美味しいという情報が刻み込ま
れているのですね。テンションが上がらない子供たちは、早々に餅つきに飽き
てドッジボールやバスケットをする始末でした。そこで考えたのが林さんちと
同型のボイラーをメーカーに借りて小学校に持ち込む方法です。メーカーには、
イベント用の運搬可能な実演機があるのです。これは、強力なパワーがあるの
で一気に餅つきでセイロの餅米を蒸すことが出来ました。
まあそれで十数年無事に餅つきを成功させて来ました。そして餅つきも学年
行事から総合学習の一つとして金曜日の授業中に組み込まれるようになってよ
り一層しっかりした行事になって行きました。しかしそれまで十数年続いた3
クラスがついに4クラスに3年前になりました。となると一気に状況は、変わ
ります。基本的に1クラスに一臼を用意するのでそれまでの3セットに臼を含
め杵やその他の資材も1セット増えます。まずその追加1セットの手配が大変
でなんとか富陽小の先生の自宅の臼と杵をお借りしました。そして一番の問題
は、蒸す時間です。それまでの3クラスだとセイロ9段積みで各クラス3回分
の餅つき分を一度に蒸すことが出来るので蒸す時間は余裕でした。でも4クラ
スで12段積みは、無理で10段が限界。となると2.5回分で4回目辺りか
ら蒸し時間が怪しくなります。
すると蒸し時間が足りずに米粒のまま餅つきをしたこともありました。でも
10段にしても凄く高くて2m以上あるのでかなり怖いです。しかも蒸した一
番下のセイロを取り出すには、上のセイロを全部下ろさないといけません。最
初のうちは各クラスペースも同じなので4セイロづつ出しますがそのうちペー
スもバラバラになるのでセイロを上げたり下ろしたりを繰り返します。今年は
昨年より各クラス1セイロ増やしたので4クラス×6臼=24臼。これだけ多
いと何組が何臼目か分からなくなってしまいます。今年のお世話役の学年委員
長さんが○組○回目のカードを作ってくれたのでとても重宝しました。
そして先生のアイデアで3回目で一度、全員座ってお餅を食べる時間を設け
てくれました。これがナイスで蒸す時間を確保できて今年は、完璧に蒸すこと
が出来ました。子供達も司会進行をして開会式、閉会式と300人もいるとは
思えないしっかりした餅つきになりました。先生、保護者、そして子供達に感
謝です。ちなみ「稲架干ししたお餅の味は、お日様の味がしたはずだよね?」
という閉会式での私の問いかけに子供達は、微妙な反応でした。でも世界一美
味しいお餅には、間違いがなかったようです。
平成27年産 新米発売日
宇宙米 19袋/25袋 76% 9月23日
超普通じゃないコシヒカリ 225袋/292袋 77% 9月23日
女王さまミルキークィーン 175袋/225袋 77% 9月23日
普通じゃないコシヒカリ 277袋/361袋 77% 9月12日
普通のコシヒカリ 472袋/568袋 83% 9月 7日
普通にミルキークィーン 86袋/105袋 82% 9月26日
ハナエチゼン 258袋/350袋 74% 8月19日
ひとめぼれ 375袋/455袋 82% 8月28日
しかし大豆の選別袋詰めは、なんとかギリギリに終えることが出来ました。
さらに祝い餅の製造に加えてお正月餅の餅つきにすでに突入しています。あ
とは、ひたすら餅つきの日々です。社長は、その中で子供達の餅つきと食育
授業に走り回っています。
林さんちの商品にレビューを書いて200ポイントゲットしよう\(^o^)/
http://hayashisanchi.jp/shop/review.html?maga20151118
在庫メーター 空←――――――――――――――――→満
宇宙米 ■■■■■■■■■■■■■■■□□□□□
超普通じゃないコシヒカリ ■■■■■■■■■■■■■■■□□□□□
女王さまミルキークィーン ■■■■■■■■■■■■■■■□□□□□
普通じゃないコシヒカリ ■■■■■■■■■■■■■■■□□□□□
普通のコシヒカリ ■■■■■■■■■■■■■■■■■□□□
普通にミルキークィーン ■■■■■■■■■■■■■■■■□□□□
ハナエチゼン ■■■■■■■■■■■■■■■□□□□□
ひとめぼれ ■■■■■■■■■■■■■■■■□□□□
詳しい数字は、メルマガの最後
1.今週の林さんち・・・二代目夢太の夢日記が始まりました
長男の夢太くんの日記がようやく始まりました。構想としては、就農した昨
年の2月には、もうあったのですが結婚やら研修やらでモタモタしていたり私
もネット通販のサイトの改良もたくさんあって延び延びになっていました。ま
だ慣れていなので画像も時々無しですが彼なりの日記もなかなか面白いです。
ただちゃんと続くかが問題です。
二代目夢太の夢日記→http://yume.hayashisanchi.jp?maga20151118
林さんちには「これも笑えるスタッフ日記」と言うページがあってそこには、
社長の私と専務、そして「農業青年中村くんの日記」「林さんちの社員あんち
のプチ日記」があります。私は、毎日、専務は、時々、書いています。しかし
中村くんの日記は、2013年7月から書かれてなくて今年からフェイスブッ
クに移行。あんちに至っては、2011年8月から書かれていません。日記と
言うのモノは、そもそも毎日書くモンと思っていましたが意外と皆さんそうで
ないのですね。それほど毎日書くのは、大変だということです。
でも私は、あまり大変と思ったことがないのか1996年11月からほぼ毎
日書いて来ました。そのキッカケは、私がホンダ技研を辞めて就農した198
3年にさかのぼります。Uターン直後、地元に帰っても稲刈りが終わってしま
えば冬の加工の仕事もありませんので日々何もせずにボォ~と過ごしていまし
た。それまでは、工業デザイナーの勉強を日々学び就職してからは日本経済を
支えるべくさらに激しい研修の日を送っていたのにそれがプッツリと切れてし
まったのです。そんな無為な日々が怖くて何か残そうとカレンダーブックにそ
の日のことを書き始めたのが最初です。そして3年ほどして石川県農業試験場
の経営科に通って農業経営を学ぶようになりました。その時の恩師、小林一先
生が開発した「農作業日誌」にやはり毎日、労働時間や作業内容を含めて記帳
するようになりました。
その後、1995年に当時ようやく知られ始めたインターネットに取り組み
林農産のホームページを作りました。農業者仲間で5万円で5ページの簡単な
HPを作成する企画を考えて農業者に広めて行きました。メールのアカウント
もまとめて取得して農業者仲間に分ける企画もやっていました。今じゃ携帯で
メールなんて超当たり前ですが当時は、超先進的。しかも農業界でやっている
人は、少なかったのです。そしてその時のプロバイダの担当者が今も林さんち
のIT関連の担当者です。でもご存知のようにHPを作ったからと言って何も
起きるわけがありません。買い物がメールで出来るような「買い物カゴもどき
」も作成して付いていましたが販売実績は、皆無でした。まあネット通販で儲
けることが出来るなんてこれっぽっちも思っていなかったのです。
それでもやはりHPは、更新が命だよねと農業者仲間と相談していました。
だったら毎日書ける日記を始めたらどうかな?とふと思ったのです。そこで日
記を投稿できるページを作成してもらいました。まだモデム、、今の若い衆は
知らないと思うけどファックスみたいに「ピ~~ヒョロロォ~~」と電子音で
01の信号を送って更新していました。だから重い画像等は、送れないので写
真もすごく小さいし送信にも結構時間がかかっていましたがまあまだノンビリ
していた時代だったのかそれしか知らないからか楽しく書いていました。当時
は、そんな調子なので毎日書いていたわけでは、ありませんでした。ところが
ここで痛恨のミス、、1996年11月と12月の日記を年次更新の際に消し
てしまったのです。だから現在残っているのは、1997年1月からです。一
番最初の日記に何が書かれていたのかは今もってナゾです。ちなみに「二代目
夢太の夢日記」の初日のタイトルは「千里の道も一歩から」となっています。
その一歩を皆さん応援よろしくお願いします\(_ _)
2.子供達のお餅はお日様の味がする
子供達の餅つきの第一弾が富陽小学校で行われました。ついに石川県最大の
マンモス小学校になってしまった富陽小ですので5年生4クラスで160名の
児童とその保護者が参加する300人での怒涛の餅つきです。毎年、参加人数
は、記録を更新し続けています。もう限界かと何度も思いましたがいろいろと
工夫をして乗り越えて来ました。今から20年前に富陽小学校のPTA役員に
なった時にPTA行事として餅つきは、すでに伝統行事になっていました。当
時は、薪でお釜のお湯を沸かしてセイロを蒸して餅つきをするという超伝統的
な方法での開催でした。お釜、セイロ、臼、杵の全てが借り物なので集めて回
るのが大変でした。
ところがその頃は、そんな伝統的手法でのセイロ蒸しもPTA役員も保護者
も熟知していて上手くやっていました。ところが私がPTA会長になってその
役目をするようになった頃からなかなか上手く行かなくなりました。お釜やセ
イロもいろんな所から借りてくるので一つ一つクセがあって参加者も増えて3
つのお釜でセイロを蒸した時に二つがまったく機能せずに蒸すのに時間がかか
ってしまい冷や汗を掻いたこともありました。PTA行事もそのうち5年生の
学年行事に移行してさらに参加者が増えた時点でちょっとこの「お釜で蒸す」
という方法は、もう無理と思いました。大体、林農産で仕事として餅加工をし
ているのにわざわざセイロやその他を借りて来ること自体が余りにも無駄に感
じました。
そこで林さんちの餅工場のボイラーでセイロの餅米を蒸して会場の体育館に
持ち込んで搗くことにしました。これは、運搬以外は、とっても簡単でした。
でも子供達や保護者のテンションが上がらずに撃沈。やはりあのセイロで餅米
を蒸すあの「香り」が無いとテンションが上がらないということを知りました。
日本人のDNAには、きっと餅米を蒸す香り=美味しいという情報が刻み込ま
れているのですね。テンションが上がらない子供たちは、早々に餅つきに飽き
てドッジボールやバスケットをする始末でした。そこで考えたのが林さんちと
同型のボイラーをメーカーに借りて小学校に持ち込む方法です。メーカーには、
イベント用の運搬可能な実演機があるのです。これは、強力なパワーがあるの
で一気に餅つきでセイロの餅米を蒸すことが出来ました。
まあそれで十数年無事に餅つきを成功させて来ました。そして餅つきも学年
行事から総合学習の一つとして金曜日の授業中に組み込まれるようになってよ
り一層しっかりした行事になって行きました。しかしそれまで十数年続いた3
クラスがついに4クラスに3年前になりました。となると一気に状況は、変わ
ります。基本的に1クラスに一臼を用意するのでそれまでの3セットに臼を含
め杵やその他の資材も1セット増えます。まずその追加1セットの手配が大変
でなんとか富陽小の先生の自宅の臼と杵をお借りしました。そして一番の問題
は、蒸す時間です。それまでの3クラスだとセイロ9段積みで各クラス3回分
の餅つき分を一度に蒸すことが出来るので蒸す時間は余裕でした。でも4クラ
スで12段積みは、無理で10段が限界。となると2.5回分で4回目辺りか
ら蒸し時間が怪しくなります。
すると蒸し時間が足りずに米粒のまま餅つきをしたこともありました。でも
10段にしても凄く高くて2m以上あるのでかなり怖いです。しかも蒸した一
番下のセイロを取り出すには、上のセイロを全部下ろさないといけません。最
初のうちは各クラスペースも同じなので4セイロづつ出しますがそのうちペー
スもバラバラになるのでセイロを上げたり下ろしたりを繰り返します。今年は
昨年より各クラス1セイロ増やしたので4クラス×6臼=24臼。これだけ多
いと何組が何臼目か分からなくなってしまいます。今年のお世話役の学年委員
長さんが○組○回目のカードを作ってくれたのでとても重宝しました。
そして先生のアイデアで3回目で一度、全員座ってお餅を食べる時間を設け
てくれました。これがナイスで蒸す時間を確保できて今年は、完璧に蒸すこと
が出来ました。子供達も司会進行をして開会式、閉会式と300人もいるとは
思えないしっかりした餅つきになりました。先生、保護者、そして子供達に感
謝です。ちなみ「稲架干ししたお餅の味は、お日様の味がしたはずだよね?」
という閉会式での私の問いかけに子供達は、微妙な反応でした。でも世界一美
味しいお餅には、間違いがなかったようです。
平成27年産 新米発売日
宇宙米 19袋/25袋 76% 9月23日
超普通じゃないコシヒカリ 225袋/292袋 77% 9月23日
女王さまミルキークィーン 175袋/225袋 77% 9月23日
普通じゃないコシヒカリ 277袋/361袋 77% 9月12日
普通のコシヒカリ 472袋/568袋 83% 9月 7日
普通にミルキークィーン 86袋/105袋 82% 9月26日
ハナエチゼン 258袋/350袋 74% 8月19日
ひとめぼれ 375袋/455袋 82% 8月28日