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あぐらぐち物語 2000年3月分


2000年3月31日


一日中、荒起こし。最近にしては珍しく?雨が降らず仕事が出来たが、寒かった。そして、なんと、私も、あの有名な「花粉症」にかかっていることに気付いた。どうも、風邪ではないのに、涙目、鼻水が出て脳がボーとしてしまうので、変だ変だと思っていたが、まさか私が?と思っていた。しかし、まあ、仲良く付き合うしかないだろう。
法人税を支払ったが、348万円だった。妻に、あまりホラを吹かず、正確に伝えなさいと言われたので、書いておく。後、消費税半期分55万円が、ついて全部で403万円。支払い金額が、なぜ減ったのか会計士さんに聞くと、預貯金の受取利息で、支払った税金が、黒字転換時に、還付されるとのこと。こんなの、皆さん知ってました?
後、子供部屋の改装と、工場の改装の見積もりが出た。田植え機は、新品を購入予定だし、会社横の廃屋の解体もあるし、固定資産税の支払いもあるし、バンバンお金が飛んでいく!仕事せにゃ。


2000年3月31日


昨晩、町PTA連合の新旧会長の顔合わせがあって、飲んだが、珍しく早く帰った。というのも、今日は、芽出しした苗を、ハウスに並べるのと、種まきの日だったためである。この時期、会合が多く、二日酔いで、何度、パレット上の苗をひっくり返したことか。重量がある上に、芽が出て積んである苗箱が、割とフワフワしているのと、フォークリフトは、わずかの段差でも、衝撃があるので、非常に集中力を要求される作業である。しかも、今日は、6回ある種まきでも、一番多い、2840箱を蒔いた。今晩は、消防のハシゴ練習、4月1日は、第一回目の重要なPTA役員会、2日が種まき、5日が種まきと入学式出席。と重要な集まりが、種まきを縫ってあるので、集中力を維持するのが、大変だ。ただし、今年は、青年塾の入塾式が、4月21日になった分、少し楽になった。


2000年3月29日


ろくに仕事もしないのに、またもや雨。自動的にお休み。ところが、朝4時頃、火災出動があり、眠くて眠くて。ところが、寝ぼけて出場が遅れた。夢の中で、防火訓練をしていたが、突然これはおかしいと思い眼が醒めた。やはり、無線機がもう一台必要だ。
いわゆる、出場(消防ではこう言うらしい)するには、サイレンを聞いてからと、無線機(受令機と呼ぶ)を聞いてからの二通りがある。場所の詳細は、受令機から聞く。それでも、分からない場合は、火災情報へ電話をするが、なかなかかからない場合が多い。大体、受令機から流れてくる情報は、消防署と現場の通信をもれ聞きながらの判断で、我々の為に、特別な情報はあまり流れない。私の場合、ほとんどが、サイレンで、もうポンプ車格納庫に走っているので、走りながらの判断になるので、さらに難しい。今回のように、一発目の情報を聞き漏らすと致命的だ。幸い、他の分団員が、現場ですでに消化活動中で、助かった。それにしても、春の防火ディー初っ端で、これだから、先が思いやられる。
先が思いやられると言えば、我が家の猫が、また耳を引っかかれ大怪我をした。前回より、傷は重くて、トホホホ状態。同じライバルにやられたらしいが、もう猫貧乏状態だ。


2000年3月28日


ようやく、荒起こし開始。去年に比べ4日遅い。トラクター作業は、好きな仕事の一つ。色々考え事をまとめるのに、最適な時間である。しかも、前方を凝視しているため、眼にも良い。冬の間、パソコンに疲れた眼には、外の景色は優しい。
昨日の、コンサルティングの結果を、みんなに話し、我が社の商品である、揚げ餅をもっと伸ばしてはどうかと、提案したが、賛否両論、意見百出、おおいに話しは盛りあがるが、結局、やってみなければ、だめだと思った。そこで、夕方、早速、工場にこもってサンプルを揚げてみたら、なかなか上手くいかない。いつも、レディースが、何気なくやっていることが、出来ない。情け無いやら、悔しいやらで、大変な思いで、少し作った。これから、使い物になるか、色々実験開始である。
わずかな金額の商品。これが、多少売れても、一体どうにか、なるものでないかもしれない。しかし、何かやらねば、ジリ貧である。米を売り始めた時も、「誰が買いに来るの?」という陰口に耐え、今を築いている。何事にも最初はある。


2000年3月27日


バレンタインズのライブは、実は、農政局に務める川口さんという方が、東京の農業者大学校へ、転勤されるので、サヨナラライブでも、ありました。音楽が好きな氏が、若い人達に、大いに影響を与えることが出来る、天職ではないかと期待しています。そこで、北口君と、大蔵さんという、農業を学ぶ学生さんと、偶然出会い、久しぶりに「ハッタリ8割ウソ2割」を展開した。若い彼らの、真面目な生き様に、共感するところ大である。今度は、それプラス「経営基本理念」「マーケティング」そして、「志」を学んで、欲しいと念じています。
と言う事で、昨日は、雪の中、酔っ払って歩いたせいで、風邪気味と、二日酔いのダブルパンチで、消防の春の防火訓練をパス。家で、じっとしていたら、なんと、米ヌカが噴出する事故が発生。隣の、交番が真っ白になった。もちろん、パトカーも真っ白。今日、謝りに行ったら、逮捕された。
というのは冗談だが、タンクの中の米ヌカは抜いたが、どうも上の方で詰まっていたらしい。これからは、注意が必要だ。そんな中、今日は、1回目の種まき。種の催芽といって、少しだけ、ジャグジーのような装置で、芽を出すのだが、いつも、出し過ぎるのだが、今回は、風邪をおして、何度も見たので、綺麗に出来た。覆土も、芽だしし易い、粒状に変えたので、きっと上手くいくだろう。
種まきが終了した後、福田先生の経営コンサルタントを受けた。数年前に、受けてから毎年、お願いしているが、今年も、付加価値が少ないとボロクソに言われた。その後、なぜか、ポテトチップスを買いに、近所のスーパーへ。明日から、付加価値を高める、商品作りを約束させられた。経営が向上するかしないかは、こんな時、素直に、言う事を聞けるかどうかだと思う。もちろん、私は、「聞く派」である。


2000年3月25日


なんと雪が降って、仕事にならない。午前中、次男と「トイストーリー2」を、観に行った。すごい映画で、楽しかった。それにしても、全編、CGの映画を、一体どうやって作るのか、不思議で仕方がなかった。普通、実写も併用するところを、全てをCGにするところは、コンセプトがしっかりしている。しかも、CGなので、映画の中に出てくる文字が、日本語に直してある。きっと、韓国だと、韓国語、フランスだとフランス語にしてあるのだろう。最後は、CGのキャラクターが、あたかも本物の俳優のようなNGやイタズラのNG集付きだった。バーチャルとは、言え、恐れ入った。
夕方、バレンタインズのライブに出かける。今年初で聴くが、ファンクラブ会長としては、どれくらい、上達しているか、楽しみ。


2000年3月24日


昨日は、目一杯あぜ塗りをしてから、疲れたが、なんとか、アンダンテという能瀬さんが、主催している勉強会の為に、山代温泉まで中村君と出かけた。寺山旦中先生という方が「剣、禅、書」というテーマで、お話をされ、書の実演をされた。「気」の話し、呼吸の話し、影の話し、どれも、人の生き方を、示唆するものであった。人は、無であり、一番大事な事は、今、ここに自分がいる事であるとおっしゃった。じゃあ、今さえ良いというのではなく、いつでも、だれにでも、変わらない、自分を持つ事であるという事である。だから、肩書きで切るのは、大嫌いで、人物を見ろとおっしゃった。
しかし、書は、まったく読めなかったので、感じることに徹した。話しの内容も、漢字や、漢語、哲学的な話しだったので、集中する必要があった。終了後、思いがけず、宴席も出れて、たまには、脳みその違う所を使えて良かった。
今日は、午前中、またまた晴耕雨読でお休み。私は、店番。午後は、さすがスーパーレディース、荒天の中、あぜ塗りに出動。まったく頭が下がる。今年は、余り張り切って無理をしないようにしている。去年のように、ギックリ腰は、こりごりである。


2000年3月22日


今日もあぜ塗りが出来て、ずいぶん進んだ。しかし、現場に出ていると、机の上の未処理の書類がたまってくる。やはり、早起きでするしかないか。
仕事は終了したが、今から、軽油免税の書類に判子を押してもらいにいく。トラクター、コンバインは、基本的に道路を走るものでないので、道路税が免除されるのである。結構、判子を一軒一軒もらいに行くのは大変だが、これが、バカにならない金額なので、がんばっている。


2000年3月21日


一日、真面目に、あぜ塗りをした。今晩は、野々市町づくり21町民会議の分科会がある。産業部会なのだが、実は、もう何を話して良いか、分からなくなっている。野々市町に、果たして産業が要るのかどうかが、疑問に思えてきた。ソコソコで良いのではないだろうか。その分、教育、福祉に回したらどうだろうかと感じる。でも、どうも上手く伝えられない。日本語が通じないのだ。23世紀型の言語では無理なのだろうか。


2000年3月20日


午後から、またスタッフが、集合してハウスを仕上げた。それにしても、寒い一日だった。夕方、少し余裕があったが、早目に上がった。明日は、天気が良いようなので、あぜ塗りが、順調に出来そうだ。
今、地元の農業高校生が、もちつきに続き、バイトに来ている。最初は、農作業はいやだと言っていたが、誘うと素直に来るようになった。学校の、実習が初めて役に立ったと喜んでいたが、プロの農作業は、思ったより、やりがいや、充実感があると思ってくれれば、それでいいなと思っている。今の、スーパーボーイズも、最初は高校生で、幼い部分もあったが、我が社特有の「ほめ殺し」で、随分大人になった。人は、だめな部分は、直せにくいが、良い部分は、伸ばし易い。そして、人は、選ぶものでなく、育てるものである。自分で言うのもなんだが、この辺は、天才的な部分である。しかし、他人はいいが、こと家族となると、まったくの凡才に落ちてしまうのは、困ったものだ。人呼んで「外ずらキング」。


2000年3月19日


予想通り、半日だけ天気がもって、なんとかハウスが張れた。2棟分、ハウスバンドが、張れなかったが、雨が強くて仕事にならないので、止めた。我が社は、猫型会社なので、濡れるのが苦手なのである。明日、午後再集合で、完成させる予定である。
ハウスひとつ張るにも、ワンチャンスをいかに生かすかの、集中力の少しの差が勝負を分ける。今回も、あまり天気に恵まれない中、昨日と今日の午前しかない時に、一気にスタッフを段取りして張る。これが、今後の収益に大きく影響してくるのだろう。まずは、第一ハードルクリア。
私の大好きなテレビ番組で、愛の貧乏脱出作戦というのがある。そこに出てくる、達人と貧乏人の差は、ほんのわずかだが、何年もの積み重ねで、大きな差、つまり、お客様の数に表れてくる。達人は、明確な目的がある。それは、「お客様により美味しいものを食べてもらう」。その目的のために、少しづつ、努力をして繁盛している。貧乏人は、一体この人は、いままで、なにの為に仕事をしてきたのだろうかと言う人がなっている。ただし、その差は、鍋をどこに置くかどうか位なものなのである。自分も机の上が、最近また荒み始めた。貧乏人になりたくないので、片付けよう。


2000年3月18日


風が強かったが、人海作戦で、なんとか13棟中8棟のハウスを張った。まだ、わずかだが、塩化ビニルの部品もあったが、今年は、POと言って、燃やしても、塩素ガスの出ないポリフィルムへの移行をさらに進めた。少しづつでも、前進だ。それと、コイン精米機横の、ダイドーの自販機が、新機種に変更になるが、小型ペットボトルは、置かないようにお願いした。缶飲料を置くこと自体、会社の基本理念ギリギリなのに、リサイクルが、滞っているペットボトルは、置けない。
椿祭りも、平行して準備していたので、さすがにくたびれた。しかし、肝心な時に、ちゃんと晴れてくれて助かった。明日、一日、いや半日天気がもってくれれば助かる。


2000年3月17日


午前中、寒い雨の中、卒業式があった。会社では、明日の椿祭りの段取りと、ハウス張りの準備で忙しくて、去年に引き続き、出席が遅れてしまった。それでも、準備した「いのち」と書かれたパネルを使っての、挨拶は、なんとかうまく行った。それにしても、今年も去年に負けないくらい、感動的な式で、子供達や保護者の多くが、涙を流しておられた。私も、かなり涙腺が緩んだが、なんとか我慢した。

卒業のお祝いの言葉

皆さんご卒業おめでとうございます。
それでは、卒業生の皆さん、目をつむってください。

21世紀は、命、そして、生きることの意味について考える世紀になります。
皆さんは、一体なぜ、この世に産まれ、そして生きてきたのでしょうか。
それは、私自身も分かりません。ただ、自分、そして全ての者の命を大切にして
生きてきました。
そして、皆さんは、これから、どうやって生きていくのでしょうか。
それは、あなた方自身が、決めることです。ただ、自分、そして全ての者の命を
大切に生きて行ってください。

さあ、皆さん目を開けてください。 卒業にあたり、皆さんに贈る言葉は、命です。
どうか、命の輝きがほとばしるような人生を歩むことを祈っています。

    2000年3月17日 PTA会長 林 浩陽

今回の6年生の卒業のテーマが「生きる」というものだったらしく、私のテーマと偶然一致したので、式にストーリー性が、出来てとても良かった。先生方は、なぜ、私が知っているか不思議で仕方がなかったらしいが、これも波動か。
午後は、天気が悪くて、ハウス張りを諦め、椿祭りの準備や、雑用をしたが、夕方、日が差してきてもったいなかったかなと思ったが、結構、風もあるし、難しいところである。いい加減天気が安定してくれないと困るなあ。


2000年3月16日


今日も雨。一体どうなっているんだ。午前中、お休みで、午後から、今度の土日の野々市町椿祭りのお餅の準備。藤井さんも、かきもちを焼くのに専念しているので、私が店番。空いた時間で、手紙を書いたり、明日の卒業式のお祝いの言葉の練習をした。


2000年3月15日


あぜ塗りをしながら、多くの段取りを同時こなしながら、一日が過ぎた。最後は、夕方、兵庫県の稲作をしたいので、農業法人に就職したいという青年と話しをした。我が社は、これと言って、新入社員を募集していないが、23世紀型の農業経営を話してして欲しいとの、多くのファンの要望にはこたえねばならない。募集はしていないが、我が社独自のネットワークを通じ、その方に合った会社に就職が出来れば、素晴らしいなあ。


2000年3月14日


あぜ塗り二日目。ようやく、あぜ塗り機も出動。体の筋肉痛は、続いているが、去年、ギックリ腰になってまったく動けない日々を送ったことを思えば、パラダイスである。確か、春先痛めてから、消防の練習にそのまま突入して、死にそうだった。
夕方、久しぶりに餅つきをした。寒いので、コンスタントに売れるようだ。現在、週末のハウス張りと、種まきの人手集めで頭の回転数を上げている。我が社は、人の縁で集まっているので、明確な労働力集めの方法はないが、その分、優秀な人間、、、。いや、変わり者が集まって、結果的に、高い労働力となっているようだ。つまり、労働力は、選ぶものでなく、育てるものである。


2000年3月13日


さあ!あぜ塗りと思っていたら、朝からアラレが降ってくる天気。しかし、種子消毒をしなくてはならないので、1,000リットルの大きな水槽に、種子を入れた。しかし、今年の消毒は、例年の農薬ではなく、HB101という、植物活性剤を使用した。2月に、三重県で講演した際、超酸性水で消毒したら、バカ苗には効かなかったので、また農薬に戻ったと話したら、HB101を使用して、無農薬栽培をされている方がいて教えてくれた。
ただし、資料を請求して、電話したら、良くある健康食品の販売員そのものの対応をされて閉口してしまった。つまり、薬品ではないので、「効く」とか「治った」とは言えないらしい。とにかく、使用法を読んで、使って見て下さい。そして良くある、「私は、これを使って○○が治った」というものの農業版、「私は、これを使って収量が、こんなに増えた」ということばかりが載っている、広報誌を読みなさい。としか言わず、具体的に、バカ苗に効きますか?とか、少し細かいことを聞いても絶対に答えてはくれなかった。腹が立って、ガチャンと電話を切って、紹介してくれた方に、色々聞いたら、納得がいった。「効く!」とは、口が裂けても言えないのだろう。
それでも、何がなんでも、種子消毒に、あの臭い農薬は使いたくなかった。どう見ても、あれは「毒」である。しかも、処理施設が無いので、消毒後に薬剤を、用水に流して捨てるしか方法がないのである。しかし、全部に使用するのは、確かにリスクがある。部分的に、使用するというのが、我が社では、 作業的に不可能なので、出来ない。効くことを祈るのみである。
日中、天気が回復して、久しぶりにあぜ塗りをしたら、筋肉痛である。


2000年3月12日


春を思わせるような天気の中、「井堀り」があった。いや、もう春だからようやくと言うべきか。「井堀り」つまり、集落の田んぼの用水の泥さらいである。去年一年で、たまった土、壊れた土手を直す仕事で、春の訪れの象徴のような作業である。去年は、寒い日で、途中ギックリ腰になってしまい、大変苦しい春作業を強いられたので、今年は特に注意してやった。


2000年3月11日


昨晩は、PTAの新旧役員会つまり、打ち上げと新役員の歓迎の懇親会があった。余りにも、楽しく、アッと言う間に、時間が過ぎた。辞めて行く人達は、実に、いい顔をされていた。達成感がたまらなくお酒を美味しくさせたのだと思う。おかげで、今日は二日酔いだ。
今日明日と、かきもちの配達日。3チームに分かれ配達をしている。私は、藤井さんが旅行に行って休みなので、店番である。そこで、早速合間を見て、小学校の卒業式のお祝いの挨拶の準備をした。今年のテーマは、「いのち」である。「いのち」と書いた大きなパネルを製作した。後は、お祝いの言葉を考えるのだが、言いたい事は、山ほどある。しかし、削りに削って、シンプルな挨拶にしなくてはならない。


2000年3月10日


今日も、結局雪で仕事にならなかったが、私は、なんやかんやと雑用で一日が終了した。かきもちの配達も少ししたが、もう、腹をくくって、天候の回復を待とう。最新型あぜ塗り機も購入したことだし、晴れればガンガンいけるだろう。
我が家の猫「チョミ吉」が、数日前から耳の後から血を流していたが、3日前に見たら、膿が思いっきり出ていたのでビックリ。こりゃヤバイと思って、箱に入れて隔離したら、穴を開けて底に顔を突っ込み、膿と血が思いっきり「ピュー」と出てしまった。まるで、オカルト映画の世界。結局、その晩に、入院。退院に迎えに行って、これまたビックリ。耳の形が無いくらいに、縫われていた。もう、壊死して、耳たぶが貫通していたそうである。これまた、恐怖映画の世界。今、エリマキトカゲみたいなものを首に巻いておとなしくしている。とにかく、食事はしにくいし、耳の裏を掻きたいが出来ないし、ストレスが強いので、今度は、ノイローゼにならないか心配。
縄張の巡回に行けないので、臭い付けのおしっこに行けないので、ついに、今日朝、朝刊を読んでいた私の膝の上!で、思いっきり放尿してしまった。新聞からは、もれなかったので、大事故には至らなかったが、危なかった。つくづく、生き物を飼うというのは、大変な事だ。
今回は、内容が、強烈で済みません。でも、昔の猫は、こんなに世話を焼かせたかなあ


2000年3月9日


今期の予想決算の概算が出た。950万円ほどの黒字になる予定である。これも、現在在庫の米が全部売れての話であるから、捕らぬ狸の皮算用ではある。しかし、不思議に、大体この数字に近いものが出るものである。
これから、野々市町中核農家連絡業議会の総会で、野々市町町長の町の農業政策の講演がある。やはり、これだけでも聞く必要があるかなと思い参加する。しかし、大多数の農家が、区画整理の順番待ちという状況では、聞く人の思いと、町長の描く絵とはズレが大きいのではないかと感じられて仕方がない。いっそ、一斉に農業を辞めて、住宅地を造りましょうと言ってくれた方がスッキリする。
ただし、食糧危機の足音は確実に近づいて来ているので、なんとか農地が残っているうちに、みんなが農地の大切さに気付いて欲しいと切に願うだけだ。その時の為には、あと5回は、黒字経営を続け、次の投資が出来るところまで行きたい。それまで、住宅化のスピードに、勝てるのだろうか。


2000年3月8日


昨晩の野々市町稲作受託組合の総会で、補助金の半額カットは了承されたが、繰越金の利用法については、先送りになった。そこで出た話によると、そもそも組合発足の頃の事業というのは、補助金と会費で、農業機械、例えば苗床土詰め機等を購入して共同使用しようということだったらしい。しかし、最近は、我々のように大規模な農業法人は、なかなか使用時が重なり使用できないので、自前で持つようになった。すると、事業と言えば、研修旅行や講演会ということになってきたらしい。しかし、これからは、野々市町の米のPR等、2次的効果を狙った事業に持って行ったらいいと感じた。しかし、どうも、補助金があるから事業をするというのは、抵抗があるなあ。出来れば、小学校で野々市のお米を食べてもらうという事業の方が効果があるが、これも、町で炊飯施設を持たない現在は無理と言われた。残念。
それにしても、朝から雪!それも結構降っている。一体いつになったらあぜ塗りが出来るのだろうか。確実に、1週間以上作業が遅れている。焦るけど、天気はどうにもならないなあ。ふて寝かな。


2000年3月7日


米の種子を、約2トン全部搬入。5キロづつ、網袋に入れいく。ここで、油断すると、品種が混じって大変な事になるので、慎重に行う。1袋20キロ入りなので、一袋間違えると、田植えが約8500u分、米で言うと、4t余りの混米が出来てしまう。単純に計算しても、120万円以上の損害である。それより何より、信用という名のお金では計算できないものを失う結果になる。
今年、ついに新型あぜ塗り機を購入した。長い間、旧式のペッタンペッタンと叩くタイプを使用していたが、ついに最新型である。今までのは、あまり綺麗にあぜが出きるとは言えず、すると、水漏れが起きて、水持ちが悪くて、除草効果も低下するのであった。しかし、60万円近い機械をホイホイと買うわけにもいかず、我慢に我慢を重ねて来たが、ようやく決定版とも言える方式に落ちついてきたので、思いきって判断した。さらに、専務の田植え機の更新時期なので、これも250万円で購入予定。税金を払っても、果たして大丈夫なのか不安も残るが、キャッシュ1発で購入したい。借金は簡単だが、ギリギリまで、粘らないと、「借金も財産のうち」という感覚になってしまい、結局、放漫経営につながると信じている。


2000年3月6日


昨日は、朝から晩まで消防。朝は、地域の自警団との合同練習、機械点検を経て、午後は、消防団のOB組織の総会、懇親会とあった。機械点検は、新入団員へのポンプ車操作の講習をした。しかし、基本的な操作は、教えたが、経験年数の少ない団員が、ポンプ車を操作することは、まずありえない。出来ることは、消防水利にポンプ車の吸管を入れてそれを押さえる事、ホースを伸ばして繋ぐ事、そして、後片付けくらいだ。後は、現場を経験して覚えて行く。しかも、積極的に先輩に質問して聞いていかないと覚えられない。水を吸って出して、火を消すという単純な作業だが、火事場で的確な判断をして、操作をこなすには、やはりかなりの経験が必要だ。
今日は、苗箱を降ろし、苗用の覆土専用の土を取りに行った。私は、田んぼの作付け計画を練っている。もう種の準備をしなくてはいけない時期なのに、申し込みをしていないお客様が今年は多い。例年になく雪が多くて、まだ春遠しと思っているのだろうか。こうなれば、ある程度予想で、やるしかない。


2000年3月4日


昨晩の町PTA連合の年度末総会の後の懇親会は、思わず3次会まで行ってしまった。今日は、午前中、仕事にならなかった。春の暖かい雨が一日中降り続いていて、どちらにしても、外仕事は出来なかったので、のんびりしていた。
我が社の出入りの日産セールスマンに、絶対良いからと言って「複写ハガキ」を渡した。最近、ゴーン氏が改革を始めて頑張っているが、厳しい戦いを強いられている。このハガキ道は、営業の良い武器になることを信じている。


2000年3月3日


昨晩、PTAの年度末の総会をしたが、その後、緊急役員会が召集された。なんと、二日前に小学校の児童玄関に、変質者が侵入していたのである。ハッキリ言ってショック。近隣の小学校でも被害があったようだが、幸い実際の被害はなかったが、登校時間をわずかに過ぎた職員朝礼の時間帯は、玄関にも人はいないので、完全に隙を突かれた感じである。以前から、校内のセキュリテイーの問題は話し合って来たが、その時、防犯カメラの設置の提案があった。まさか、そんな物を取りつけるような事態にはならないだろうと言っていたが、今回の件で、設置の方向に動いている。
しかし、防犯カメラは監視カメラだといって、反対する向きもある。確かにプライバシーは大切にしなくてはいけない。大前提である。しかし、そのために犯罪者に塩を贈ることになり、児童を危険にさらすのであれば、どちらが正しいかは明白だろう。ただし、いろんな考えがある事は、認めながら、チャーミングに議論していかねばならない。例えば、「何か事が起きて、どこかの学校のように、記者会見するよりは、多少やり過ぎでも、問題が起きない方がいいでしょう。」という具合だ。私は、記者会見はいやだ。


2000年3月2日


苗用の床土を搬入した。往復45分で、業者の倉庫を往復して取りに行く。運転中は、暇なので、同行者と、色々話をしながら行けるので、楽しい仕事の一つである。午前中は、妻と午後は、中村君と行ったが、普段ゆっくり聞けない事を沢山聞いた。中村君達、NPKでは、今年の施肥に、ボカシや、クズ大豆、米ヌカを、利用したいと言う事だ。私は、経営者であって、技術者でないように、心がけているので、このような試みは、おおいに歓迎だ。ただし、経営理念や、マーケテイングから、ずれることに関しては、敏感に反応するようにしている。
多くの、農業者が陥るのが、「生活者不在の芸術的な米作り」素晴らしい栽培法、新しい技術を毎年、試みるのは結構だが、すべてが、コストに反映するし、買う方のお客様は、一体何を基準に買えば良いか、分からなくなる。もし、劇的に、変更する場合は、それなりの理由と、再マーケテングが必要になってくるはずである。皆さんご存知の、「東京バナナ」と言う商品は、見かけは同じだが、中身や製法は何回もリファインされていると言うが、「東京バナナ」としてのコンセプトは、なんら変化していない。だから、ヒット商品であり続けられる。芸術家か、経営者か、あなたは、どっち?


2000年3月1日


朝から、干してある「かきもち」を降ろした。いよいよ、これでライスセンターも使えるので、春作業の開始である。ただし、まだ田んぼへは、雪があるので、当分行けそうにない。作業申し込み書の返信もかんばしくないので、実際は、遅れ気味の作業開始になりそうだ。
法人税の支払いが、400万円を超えそう。これには、目が点になった。これの半分位にしたつもりだったが、、。しかも、最近、噂で林農産が儲かっているというデマが飛んでいるようだ。大体、給料を低くして爪に火を灯すようにして捻り出した黒字。そして、流動資産が少ない状態、つまり現金がなくて、現物が沢山ある状態での、黒字である。しまいは、嫁さんに、そんなに儲かっているなら、家計費に、もっと入金して頂戴と言われる始末。いつも総合口座が、マイナスなので、恐くてカードショッピング出来ないらしい。本当に、儲かるというのは、どれぐらいを言うのか、想像もつかないが、まだまだ違う気がする。くれぐれも言うが、儲かっているというのは「デマ」である。





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