1999年12月30日 朝三時から、全開でつき続けたが、結局、間に合わなかった。各スーパーから、悲鳴に近い欠品の電話が鳴り続いた。やはり、30日で爆発した。来年は、29日の販売促進のキャンペーンを張ろうと考えている。それにしても、みんな良くがんばった。感謝である。 |
1999年12月29日 29日は、二重苦と言って、餅が売れない日である。ところが、我が社では「福の日」とうたって売っている。大体、妙な縁起をかついで、縁起が良くなったためしがない事に気付くべき。大安に結婚式を挙げても、離婚率が上がっている事を考えれば、まったく意味がないことが分かる。じゃあ、初老の餅はどうなんだと言われれば困るが、この29日の縁起かつぎには、閉口してしまう。そして、30日に注文が殺到するわけだが、とてもじゃないが、作りきれないし、やはり慌てて作る分、注意しているが、ユックリ作るのと比べれば、品質も違う恐れも出る。毎年、そうぼやいて29日が過ぎて行く。 昨晩は、鶴来第4分団へ、ハシゴの交流練習に出かけた。先輩の「恥をかかすようなことはないよう」にという絶対命令を受け、気合を入れて演技した。もちろん、背亀もして、なめられないようにフルバージョンで頑張った。しかし、所変わればと微妙にやり方が違うので、面白かった。多くの学ぶべき点があった。本当は、29日も練習があったが、勘弁してもらった。ようやく、無事正月を迎えられそうである。 |
1999年12月28日 天気が良くて、餅屋さんとしては、厳しい日だったが、作業的には楽だった。今日、朝一に、パソコンのスイッチを入れたら、いきなりエラーが出て、冷や汗をかいた。どうも、このウインドウズという奴は、安定性に欠ける。MOドライブが、現在修理中なので、販売管理以外の私のデータが、バックアップを取れていないので、危なかった。取りあえず、外付けのハードデイスクに、取ることにした。 もう、私の頭の中は、すでに、ブレーキング状態で、完璧なポイントで、ストップをかけるために、細かい調整をしている。これが、実に、難しい。油断すると、予約品が足りなかったりするので、怖い。 |
1999年12月27日 今日は月曜日。やっぱり暇である。現場は、もう三時には終了。明日の荷造りとスーパー担当が残るのみである。こんな、餅屋でいいのだろうかと思うが、既に去年以上は作ってきたので、決して働きが少ないわけでもない。 昨晩のハシゴ練習は外、しかも雪、寒くて、死にそうだった。至る所、青山ありと言うが、こんな所で命を賭けている私は、一体何?と思ってしまう。ただし、背亀もバッチリ決まり、あとは、二人、三人のコンビネーション技の調整である。ただ、もう手がかじかんで、感覚が無くなるので、最後まで握力が残るかどうかが問題である。 ここ2日間、日記の書き替えが出来ない。どうしたんだろう。 |
1999年12月26日 昨晩のハシゴ登りは、やっぱりだめだった。肩さえ痛くなければ、完璧な演技が出来るのに、悔しい。しかも、5日間も、もちつきにも関わらず、練習がある。こんなものあんまり練習すると、体がもたない。 本業のもちつきは、まだまだ、スローペースで進んでいる。なんと言っても、まだ26日。爆発的に売れるには、まだ早い。現場では、2升、3升のお鏡と、つきたてもちを、まだ平行して作っているので、かなり混乱している。明日もまだ、この調子だと思うが、以前に比べれば、ずいぶん楽になった。ただ、予約は、まだまだ入ってきているので、不足品が出た場合、かなり慌てて生産することになる。しかし、そうして「29日についた餅は、必ず余る」という林農産のジンクスがある。 |
1999年12月25日 各スーパーへの納品が始まった。今年は、どうしたわけか、25日納品なのに、バッチリ、クリスマスケーキも、さばかれていて、いつもは、バックヤードに置いてくるだけが、早くも陳列と相成った。おかげで、バタバタとしてしまった。特に、ジャスコさんは、25日夕方6時納品と思っていたら、24日の間違いだった。以前もそんなことがあり、朝、嫌な予感がしたので、見に行ったら案の定、まだ来ないのですかと言われてしまった。言い訳は出来ないので、セッセと段取りしてなんとか格好だけは、つけた。やれやれ。 今晩から、ハシゴの練習が始まる。来年の出初式の練習だが、一番手の要員なので、かなりハード。はっきり言ってシャレにならない。左肩痛が、まったくひかないので、どこまで出来るか不安だが、言い訳の出来る組織ではないので、やるだけである。案外、やると治ったりするのを期待している。 |
1999年12月24日 私の餅の生産計画は、現在の伝票数で、去年の伝票数を割る。そして、その数字を現在の注文数にかける。すると、去年並みの注文伝票の数ならば、予想販売数は出る。最高プラス22%からマイナス15%まで、商品によって差が出るので、それと、スーパーの売れ方を予想して、エイッ!と決める。実は、この作戦には、穴があって、伝票数が、去年を上回った時点で、予想はくつがえる。スーパーと自店舗の売上は、まったく予想がつかないので、今年のような2000年問題で、どうなるか分からない年は、さらに難しい。現場では、中村君が、「ネエー、丸餅作りましょうよー。作れば売れるでしょー。」と悪魔のささやきをしている。どうしようかなあー。 そうそう、今日は巷では、クリスマスイブ。でも、我が家は、浄土真宗なので、クリスマスはない。X,masと書かれる代わりに、南無阿弥陀仏と書かれ、生クリームで、蓮の花状に飾られる。もちろん、ろうそくは、ネジネジではなく、和ろうそくで、線香を刺せば完成でさる。サンタの代わりに、仏像のチョコが付く。そんなわけないか。 |
1999年12月23日 今日は、スタッフの数も多く、事務所で、仕事をしている。来客や電話が、ない時は、年賀状に宛名を貼ったりして過ごした。私は、基本的には、年賀状は、田んぼのお客様の分しか出さない。そして、正月に来た年賀状に対して返事を書くことにしている。とても、この状態では、落ちついて書けないので、元旦に来た沢山の年賀状を抱えて、妻の実家に帰る。そして、暇にまかせて、返事を書いている。今年の年賀状は、結構良い出来になった。そして、返事を書くスペースが多く欲しいという、中村君のリクエストに応え、広々と余白がある。中村君、沢山書けよ! |
1999年12月22日 もち生産のスケジュールは、頭が禿げる位考えて、毎日、残業しなくていいように、計算しているにも関わらず、現場はかなりの忙しさである。まあ、効率が良いと考えるべきなのか、とにかく、せわしない。人の、手配が、今年はわずかだが、少なかったのかもしれない。ボーイズ、レデイースともに、この時期、出入りが激しく、どうしても、山や谷が出来てしまう。せめて、谷が出来ないように、手配するのだが、人間、暇過ぎるのが一番つらいので、雇い過ぎも良くない。結局、事務所から、見るに見かねて、現場に入るが、そんな時に限って、来客や電話が多くて、事務の藤井嬢が、キリキリ舞いしてしまうものである。それにしても、今年は、なんだか、現場に居る時間が長いのは気のせいか。 |
1999年12月21日 お昼頃、コイン精米機のお客様の為に、玄米を持って外を出たら、消防車のサイレンの音が!「ん?」と思ったが、急いでポンプ小屋に行くと、松任の木津地区で火災との事。野々市町には隣接しているが、担当地域外なので、町内のサイレンは鳴らないのである。しかし、今回は、延焼の恐れ有りとの無線で、慌てて行くと、前方二キロでも、火の手がハッキリ見えるくらい燃えていた。とにかく、冬場は水利が無く、しかも融雪で消火栓の水圧もあてにならない。多少遠いが、農業用水を水利にして、後は、背負子(しょいこ)と呼ばれるホースが3本入ったもの担ぎ全力で、二箱120m伸ばし放水開始。案の定、消火栓の水は、弱く使い物にならなかったので、これで一気に消火出来た。 消防を始めて8年経つが、なかなかこんなに上手く行くことも珍しいが、普段の訓練の成果が出て良かった。延焼も少し焦げたが、燃えずに済んで、良かった。しかし、いつも思うが、火災は全てを失う怖い災害である。撤収時には、町内で現場本部を設置して、対応していたが、出動各団への挨拶周り、出火お詫び、等々、後始末も大変な労力である。それを横目に、我が家では絶対に出してはならぬと肝に銘じて帰ってきた。 |
1999年12月20日 降った降った、雪が!こうでないと冬は。おかげで、静かに仕事が出来た。周りでは、慌ててスノータイヤに替えるのにおおわらわだが、これで、安心して餅がつける。ここ近年、天気が良くて、気温が高くカビに怯えながらの作業だった。この位の気温なら、もう大丈夫だ。 クリスマスまでには、固い餅系は、予定数量作って、年末の爆発力に賭けようと思っている。それでも、最後の最後に、品切れになって、追加生産するのだが、それでもアドバンテージが、あるのと無いのとでは大違いである。 しかし、今日は、郵便屋さんも、注文ハガキを持ってきてくれていない。ミレニアムの判子で忙しいのか? |
1999年12月19日 今日はボーイズが風邪で休んだりで、人数が少ない。おかげで、お鏡をこねるのに、社長と専務が並んでこねるという、作業単価の高い仕事になった。レデイースに言わすと、「あんたらは、タダやから、なお儲かる」となるが、それも一理ある。おかげで、肩痛が再発してしまった。 ようやく、ここ石川も雪が、ちらつき始め冬らしくなってきた。今年のスノータイヤ装着は、一工夫した。いつも、新品のタイヤを無駄に減らすので、雪の少ないこの時期は、使い古しのタイヤを、そして1月の降雪時には、新品タイヤを使うことにした。そして、このような面倒なタイヤ交換をしてくれる、志高いタイヤ屋さんがあるのである。フジイチさんというが、使う人のケースに分けて、例えばレンタルやリースも行っている。もちろん、プロのメンテナンス付きである。単身赴任で、1年しかいないような方は、レンタル、会社関係はリース。という具合である。 昨日の夕方、町内の神社に放火があり、出動。みぞれ混じりの天気で、国道の交叉点へ進入の際、一旦停止して様子をうかがっていたら、右側から来た軽四が、何を思ったか急ブレーキ、スピンしてしまった。私を含め、周りのドライバーは冷静に停まったので、事無きを得たが、タイヤは命である。4WDだから大丈夫などと思わず、しっかりしたものをはいて欲しいものだ。あー怖かった。 |
1999年12月18日 復活!風邪が治った。喉も痛くないし、咳も出ないし、鼻水も出ないのに、熱だけが上がった。最近、良くある、知恵熱のような感じである。すっかり全開バリバリで仕事をしている。 今日から、お鏡の5合、1升と作り始めた。一番手間と時間がかかり、しかも一番数字が読めず、売れ残りが生じる可能性の高い商品である。白のし等は売れ残っても、かきもちで再生可能だが、お鏡は、切るのも大変で、とても再生が難しいので、スタッフに残すと嫌がられる。それでも、その年のよって売れ方が微妙に違うので、知恵熱が出るくらい考えても、外れる。今年もどのくらい作ろう、、。迷い葛藤の日々である。 |
1999年12月17日 風邪をひいて、倒れてしまった。15日の夕方急激に悪寒がして、熱が39℃近くまで上がって、せっかくの休みを、一日寝て過ごした。まあ、たまたま休みだったからいいが、毎年同じ時期に風邪を引く。年末に向け、雑用をこなすのに体力を消耗し、肝心のもちつき本番に力尽きている。今日も、朝、晩だけ出社し、指示だけ出して家で寝ていた。情けないが、養生も仕事のうちである。 |
1999年12月15日 スーパー各店を回って、正月餅の打ち合わせをした。私の顔を見ると、そろそろ年末だと、皆さん感じるようで、「えっ、もう正月」という顔をされる。私は、ひこ星か? この前からの、肩痛が、究極になり、吐き気をもよおしてきたので、医者に行ってきた。キーボードもあまり打ちたくないので、今日は、この辺で。 |
1999年12月14日 今日も、お雑煮用丸餅をついたが、冷凍丸餅というのがあって、老人施設用に作った。入所している100名以上が、一度にお雑煮を食べるためには、大鍋に入れて煮るが、そうすると、下手をすると、全部解けて、巨大な雑煮餅になってしまう。そこで、急速冷凍をした丸餅を、湯煎で、通し柔らかくしたものを、だし汁に入れて出すのである。これだと、何百でも一度に一気に出せるので、便利である。実は、数年前に商品化して売り出したが、全然売れなかった。ドライアイスを入れた箱に詰めて苦労して配達したが、どうも、「冷凍食品=まずい」と言うイメージがあってか、外した経験がある。それなら、ということで、つきたてを作ったら馬鹿売れだった。しかし、我が社のスタッフのレデイースは、こんな便利なものはないと言って、良く使っているようだ。「冷凍」と「つきたて」イメージの差だけでこうも違うのか。 |
1999年12月13日 お雑煮用丸餅を作った。意外に思うかもしれないが、丸餅は、1個ずつ板に並べて乾燥させる。だから、見た目簡単そうだが、実は非常に手間がかかる。丸く切るのは、さすがに機械だが、切ったものを手で拾って板に並べて行く。8時間ついて、やっと一万個。つまり10個入りだから、1000袋しか出来ない。のし餅10個入りだと、3000袋は軽く出来る計算だ。 でも、お雑煮餅は、「丸い派」と「四角い派」があって、どうしても丸くないといけないのである。ちなみに、我が家の近所は、皆「丸い派」である。しかも、餅に塩を入れるのは、お雑煮と言うのに、まったくの「すまし汁」、つまり「だし」だけのシンプルな雑煮だからである。長い間、なぜこんな透明な汁の食べ物なのに、「雑煮」と呼ぶか不思議だったが、富山の妻の実家で「お雑煮」を見たらはっきりした。正月の雑煮とは、色々入っているから雑煮なんだと分かった。食は文化そのものであると、実感した瞬間である。ちなみに、富山の雑煮は、海老が入っていて美味である。 |
1999年12月12日 朝から、もちつき。今日は、初老のもちつきがないので、早く帰れそう。ガンガンもちつきは出来るのだが、果たしてどれだけ注文があるか、分からないままの見込み生産である。すごく、作っていて怖いのだが、かと言って毎年、足りずに30日の晩に作る羽目になっている。取りあえず、1割増しで作っているので、今年こそは、ピッタリと行きたいものだ。 |
1999年12月11日 今日は、朝は初老の配達、小重ねの袋詰めと製造をしたが、袋詰めと製造の二チームに分かれるにも関わらず、人数が足りず、しんどかった。それでも、過去最高の2000重ねを作った。もう、肩が痛くて痛くて。しかも、この辺りに来ると、ボーイズレデイースの人数も多くなるにつれ、ドタキャン、ドタインが入り乱れてきて、段取りがややこしくなる。それでも、様子を見に、古株のボーイズが来てくれて助かることも多く、感謝している。 |
1999年12月10日 今日から、正月餅を本格的に、作り始めた。まずは、お供え用のお鏡を作った。去年は、4400重ねを作り、完売。というより、途中欠品してしまった。というのも、小さいのでとにかく時間がかかる。今日も、1600重ねがやっと。重ねという事は、上下があるので、3200個丸餅をこねたことになる。それでも、昔から比べると、ずいぶん早く出来るようになった。でも、これを、年末のピーク時に作れないので、今から作りだめして行く。今年の目標、5000重ね。出来るのだろうか。 夕方、玄米餅をつき、これから夜に、初老のもちをつく。しかも、販売管理ソフトは大詰めに来て打ち合わせをしなくてはいけないし、洗米機と言われる機械がガタが来て、新しい機械を入れることに急きょなったりで、走りまわった一日だった。もうすでに、堪忍してくれモードに入っている。 |
1999年12月9日 DMの発送と、11月分の簿記記帳をした。平行して、初老の注文もこなすので、頭がこんがらかる。特に、11月は、小作料の支払いをしたので、記帳がややこしい。単純に払ったのであれば楽なのだが、お米も小作料現物という形で出て行くので、同時に米売上も発生し、小作料以上買った人には、買掛けが発生し、小作料以内で買った人には、売掛けが発生する。あと、値引きした人の仕訳けもあり、会計士さんに聞いて、さっぱり分からないが、言われるとおりに記帳している。複式簿記は、なぜ?と思い始めると、切がないので、こうなんだと割り切ってやるのが、コツだと思っている。そうやっても、貸借対照表や損益計算書は、見事に出来るのだから不思議である。これを考えた人は天才だな DMの発送が、2900通余りあった。郵送代だけも、ばかにならないが、伝票数は1000余り行くので新聞チラシ等を差し引いても、かなりの返送率だと思う。果たして、今年はどうなるか。 |
1999年12月8日 午前中、隣の野々市南交番の落成式に出席した。偉い人が沢山来られて緊張した。式の後、交番の中を見せてもらったが、取り調べ室にはお世話になりたくないな。 午後は、DMの準備。料金受取人払いの郵便番号が、バーコード化されたので、印刷した物が機械で読めるか確認しに郵便局へ行った。なんでも、コピーでは歪んでしまい機械で読めないくらい敏感らしい。でも、世の中のバーコードは結構適当なような気がするが、郵便局の機械は敏感なのであろう。 それと平行して、2000年対応型の販売管理ソフトの準備が始まった。商品台帳に商品を入力していくのだが、今までのソフトで不都合な所を改善しながらなので、結構頭を使う。 夕方、またまた、井戸のポンプがストップした。すったもんだした末、ブレーカーのリセットスイッチが切れていた事が判明。それにしても、年末にかけて不安要素を抱えてしまった。明日、業者が点検に来るが、水位が下がってのトラブルでないことを祈るばかりである。 |
1999年12月7日 現場では、もちつき。私は、正月用の資材の注文を一日中まとめていた。年末は、業者はお休みになるので、要注意だ。30日になって、何かが足りなくなっても、どうしようもない。以前、予定より売れて、ありとあらゆる物が、不足して、東奔西走した覚えがある。餅米も大丈夫、袋もなんとかOKと思って出荷を続けたが、最後の最後にバーコードのラベルが足りなくてアウトだったことがある。微に入り細に入り、シュミレーションして、少し余裕を持って、「エイ!ヤアー!」と決めて注文した。聞くところによると、2000年対応で餅が、沢山売れるという情報もある。果たしてどうなるか。 午前中、目医者に、コンタクトを買いに行った。実は、9月に流してしまったコンタクトが、右目と思って再購入したが、実は左目だったのだ。つまり、左目に右目が入っていることになるが、度数が合わないので、少し見にくかった。でも時間がないので、我慢していたら、最近特にひどいので、ようやく行って新しいコンタクトを購入となった。強度の弱視という運命を背負っている限りは、サイボーグなので、受け入れねばならない。何かの病気や、車椅子を使わねばならないということもないので、十分幸せと感じている。 しかし、目医者の待合室に、レーザー近視治療が出ていて、「オッ、これはテレビで見たことがある。近視が治るのでは」とお医者さんに聞いたら、角膜は500ミクロンで、これをレーザーで削るので、度数8位でないと、薄くなりすぎ危険と言われた。ちなみに、私の度数は、右が13、左が15で、絶望的な数字である。サイボーグ生活は当分続きそうだ。 |
1999年12月6日 昨日は、午前中、お餅で午後は、消防。夕方、学童野球の修了式に出かけた。土日が、ほとんど隙間なしだったので、グッタリ。 今日も、もちつきの段取りで、キリキリ舞いで、ほとんど余裕がない。そんな時に限って、雑用が多くて、時間を削って行く。今から、スーパーの担当者と商談に行く。志高い、販売が出来ればいいなあ。 |
1999年12月4日 朝から、富陽小学校のもちつきをした。今回は、餅米20キロ、3クラス分12臼をついた。工場には、りっぱなボイラー、セイロ、もちつき機があるのに、わざわざ、色々なところから借りまくって、お釜を2セット、杵臼を3セット用意した。便利を排除して、手間隙をかける事が大切と思ってがんばった。おかげで、餅を蒸す良い香りが学校中に漂って、いい雰囲気だった。今回は、5年生の学級委員さんへ、強制ではなく、時間の許す方は来てくださいとしたが、かなりの人数来てくださり、和気あいあいと出来て楽しかった。しかも、お二方が、本来の集合時間9時半ではなく、役員の集合時間8時に来てくださり、本当にうれしかった。 私もこれだけ、手つきで、もちつきをするようになると上手になり、良い音を響かせつけるようになった。しかし、今回はつき手が少なく、一クラス分4臼をほとんど、ついたので腕が痛い。でも、5年男子の中には上手な子もいて、そんな時には、楽をさせてもらった。やはり一番大変だったのは、手返しの方たちだと思う。長時間大感謝である。 同時に、四十万小学校のもちつきも工場で平行作業で行った。5年生は、手でついたらしいが、その他の全クラスにも、つきたての餅を食べさせるために、先生が、車でピストン輸送するという離れ業である。何事も、工夫すればなんとかなる。四十万小学校の先生のやる気に拍手! |
1999年12月3日 昨晩は、ハシゴの練習を気合を入れてやったので、体が少し痛い。しかし、ウルトラC技「背亀」も完璧だったし、出来は良かった。あと、もう少し体重を減らせば、切れが戻ると思う。 今日は、もちつきの前に銀行へ行ったり、雑用で終わった。会計士さんに、今年の仮決算をしてもらったら、何を間違えたか、500万円ほど黒字になると言われた。うれしくて、スタッフに報告したら「そんな訳ない、いつもその取らぬ狸の皮勘定でだまされる」と散々言われた。喜ばそうとしたのに、今度、本当に黒字になっても、だまっていよう。 しかし、今度は、もし黒字になったらという議論が伯仲した。ハワイに連れて行けだの、スナップオンツールを買ってくれだの、ボーナスをくれだの、やはり、黒字になってもだまっていよう。 |
1999年12月2日 一昨日は、ギリギリまで仕事をしていたら、近くの野々市駅で電車に乗り遅れてしまった。しかも、あと10歩のところだった。あわてて、今度は金沢駅まで行ったが、道が込んでいて、全然前に進まない。何度、あきらめたか分からないが、なんとか駅に着き、ダッシュ!丁度電車が滑り込んで来たところであった。やれやれ。 その晩は、酒遊館という酒蔵を改造したレストランで、食事をした。そこの専務さんの酒作りの姿勢が、身土不二で、とても共感出来た。久しぶりの鮒寿しと、地酒は、マッチして舌鼓を打った。 昨日は、「たねや」さんの社長さんと懇談。ここでも、食と命、良いものを生産者と心を一つにして、お菓子作りをされていることが分かっておおいに感動。100億円の売上と聞いて、金の亡者と思っていたら、とんでもない誤解だった。農業法人を設立して農産物を作り始めたのも、キッカケは、材料のヨモギの確保だったが、農業を守らねば、結果的に、自分達もだめになると気付いたからのようだ。そうやって田んぼを苦労してやっていると、周りのお百姓が段段協力してくれるようになり、地域に活気が戻ってきたとおっしゃっていた。さすが近江商人「買い手に良し、売り手に良し、そして世間に良し」である。 午後は、長浜の黒壁ガラスの町作りをされている会社を訪問。専務さんにお話を伺うが、彼女の口から、掃除や、補助金は麻薬、志という、言葉がポンポン出てきて、びっくり。やはり、成功しているところは違う。「町作りで失敗するのは、中途半端に空き店舗が出来るからです。徹底的に空けばうまくいくのです。」という言葉は、今の農業界を良く表している気がした。ここ野々市も徹底的に、農業環境が破壊されようとしている今がチャンスなのかもしれない。 そういうわけで、時間が押してしまい、予定を1時間以上オーバーして金沢到着。そのまま、PTAの役員会が、7時半から3時間びっしり、しかも来年の事業についてかなりハードな議論が続いたので、さすがにグッタリしてようやく帰宅した。 今日は、午前中、PTAと青年塾に必要な書類を作成、午後は、少し寝て、ようやく今年のもちつきの計画が出来た。はたして、どうなるかは、神のみぞ知るである。そして今晩は、ハソゴの練習。当分、楽をさせてもらえないなあ。 |