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あぐらぐち物語 1999年9月分



1999年9月30日


昨晩のバザー実行委員会と役員会が終わったのは、午後11時を回っていた。さすがに、今日、目を覚ましたら、8時40分。ビックリして飛び起きたら、もうみんなでモミスリをしていた、反省。
カグラモチの稲刈りも順調に進み、明日は、30アールから45アールという、我が社の田んぼでも珍しい大区画の稲刈り。もう本当に目をつむっていても刈れる。2日は、ボーイズの西田栄喜の結婚パーテイーが我がライスセンター特設ステージで行われるので、稲刈りはお休み。まさか、パーテイーの最中モミスリは出来ないだろうなあ。そして3日もついでにお休み。約一ヶ月ぶりの休日だが、町内の運動会があって、ハシゴ演技で出動しなくてはならない。
今回のパーテイーは、西田君の生き方を反映した。グリーンコンシューマー的パーテイーにする。マイ箸、マイグラス、マイ皿、食事も、我が社が誇るバカーズが、カクテルバーとなぜかその名も「海パン焼きソバ」を用意する。その他、無農薬イセヒカリのオニギリ、西田君の「源さんキムチ」。ビンゴゲームの賞品は、西田君的書籍、高木善之氏の著書や、聖なる予言、沈黙の春等々を用意した。そして、音楽は、海辺のコンサートでおなじみの、バレンタインズの生演奏である。完璧である。後は、幹事の中村君次第だ、がんばれよ。


1999年9月29日


やっぱり楽勝の稲刈りだった。3時過ぎには、4台の乾燥機が一杯になり、少し掃除して今日は、早目に上がった。夏の疲れが出てきたのか、研修生の板垣君にコンバインの運転を代わってもらったら、刈り取り部をブロックにぶつけてしまい少し破損した。そもそも私が、腹の調子が悪くてトイレへ行く間の出来事だった。こんな日は、あっさり何もしないにのに限る。
しかし、今日は、PTA行事三連発の最終日、バザーの実行委員会がある。だから、早く切り上げれるのは助かる。昨晩の会合は、青少年の薬物の乱用についての勉強会があった。良く映画等では見る言葉やシーンが、実際に刑事さんから聞くと、リアリテイーがある。特に、薬物に走る人間とは、いわゆる「いい人」なのだそうである。確たる人生の目標もなく、何かに依存したがる人である。そして、そんな人が、一度薬物を使用すると、二度と更正できないそうである。とにかく、覚醒剤等の威力はすごくて、たった一度使用して、「ちょっと気持ち良かったけど、もういいわ」なんて感じで止めることは絶対に出来ないそうである。人とは、誠に愚かな存在だなと感じた研修会であった。


1999年9月28日


コシヒカリ、イセヒカリのモミスリを終了。収量は、コシヒカリが450キロしかなく、なぜか無農薬のイセヒカリが500キロもあった。世の中、豊作と騒いでいるが、我が社にはまったく関係ないようだ。
明日から、いよいよカグラモチの刈り取り開始。8.5ヘクタールあるが、全部自社の田んぼなので。全開刈りが出来る。これが、気持ちいいのである。


1999年9月27日


ようやくコシヒカリと無農薬栽培のイセヒカリが終了。一時はどうなるかと思ったが、なんとかなった。イセヒカリは、さすがに綺麗で夕日で金色に輝いていた。
後は、これらをモミスリして、カグラモチの刈り取りの準備に入る。うるち米とモチ米が混ざるとまずいので、切り替えのためには、掃除等時間がかかる。しかし、急いでやらないと、カグラモチの刈り取りが遅れて、次のケイカル散布、暮れ起こし、大豆刈り取りと、冬前に片付けねばならない仕事が順々に遅れてしまう。この秋晴れの季節を逃すと、ズルズルと時雨模様の天候になっていく。それだけに、今日全部うるち米が終了したのは大きい。


1999年9月26日


昨日のスピーチは、少し上がってしまい真っ白になる場面もあったが、パネルを使ったということで、内容はともかく、まあまあ良かったようだ。
今日は、我が社の田んぼの地主さんへ、年貢米の配達の日であった。今は、小作料現物米と言って、地代とは別に、家族が食べる分を注文すると言う感じになっている。一軒一軒、玄関先や、土蔵に運び込むのだが、皆さんとても感謝してくれるので、気持ちがいい。この日を境に、ようやくお米の一年が終わったという気持ちになる。沢山のお米を運ぶのに、ボーイズを緊急召集したので、今晩は焼肉をおごることにした。まあ、みんなそれを楽しみに来ているようなものだ。


1999年9月25日


昨日は、台風が来るギリギリまで刈っていた。後で知ったが、ギリギリではなくて、ど真ん中であった。どうりで風が強いと思った。なにせ、オーガーと言って、刈ったもみをトラックに排出する長さ4メートルほどのパイプが、風上に向かってでは、動かない。こりゃだめだと思い、トラックに積もうとしたら、突風で40キロ近いアルミブリッジが、浮いてずれてしまった。帰ったら、専務が対台風対策でおおわらわで、「何時まで刈ってんだ」と怒られてしまった。どうも、習慣で雨さえ降らねば刈り続けてしまうようである。反省。
その後、消防で出動命令が下り、主に燃やしたモミガラを消して回った。今から8年前の19号では、火の粉が100メートル以上飛んで連続火災発生したので、あなどれないのである。ともあれ、石川県は、大した被害もなく済んだが、日本中に大きな被害が及んだようで、早い復旧を願うばかりである。
そして、台風一過、今日は、ボーイズの結婚式で出かける。スピーチもいつもの調子で、パネルを用意した。いきなり、「雨降って地か固まる」なんて、やりなれない事は出来ない。


1999年9月23日


昨晩の雨も上がり、午後から刈り取り開始。もうただひたすら刈るのみである。久しぶりにナイターで刈って乾燥機4台をほぼ一杯にした。やっぱり自分んちの田んぼは、ペースが違う。
25日にボーイズの結婚式があって、披露宴でスピーチを頼まれている。今回のスピーチは、本当に困ってしまった。どう見ても、自分より人が出来ているので、言いようがない。今日もそればっかり考えて稲刈りしていた。どうしよう。


1999年9月22日


もみすりのお米も無くなり、残りのコシヒカリが全部入る状態になって、後は天気待ちである。
この隙に、中村君が、お店用のお米を搬入したり、10キロ袋詰めをしたりと、結構忙しい。店用に、1800袋ほど用意したが、もうライスセンターは、お米で埋まってフォークリフトが、動きづらくなってきた。いつも、このお米の山を見て、果たして売れるのやらと不安になる。でも最近は、売りきれる場合が多いので、周りも余り口には出さないようになったが、直販を始めた最初の年は、もううるさくて大変だった。「売り切れ」いい響きだ。今年も聞きたいものだ。


1999年9月21日


予想通り雨。一日もみすりだったが、かねてから調子の悪かった、コンタクトレンズを交換に眼医者に出かけた。子供の頃から目が悪く、高校3年からお世話になっている。当時から比べると、かなり高性能になってメンテナンスも楽になった。しかし、仕事上、ほこりっぽいので、傷が付くことがある。こんな雨の日でもない限り、こんなことは出来ないので、有り難い。
眼が悪いというのは、百姓をやっていてかなりの、ビハインドである。余り、コンタクトを付けて夜遅くまで仕事が出来ないので、日中のうちに仕事は切り上げねばならず、良く他の農家が、徹夜で仕事をしたと聞くとうらやましくもある。逆に言えば、かなり段取りが要求される。まあ、日本一体力の無い百姓の面目躍如というところか。


1999年9月20日


今日で、普通じゃないコシヒカリの刈り取り終了。後は、普通のコシヒカリだが、まだ4ヘクタール以上ある。そして明日は、もう台風の影響で、天気が崩れる。稲刈りが出来なかった年はないと言うが、やっぱり不安だ。


1999年9月19日


素晴らしい運動会日和。というよりは暑過ぎた。稲刈りを休んでの出席は痛かったが、役員ともユックリと話し合うことも出来て良かった。我が校は、騎馬戦が最終種目である。最近は、「平等」という名の名もと、カケッコに順位を付けなかったり、危ないと言って、このような競技を中止する向きがあるが、今回は、このリスクを校長先生が、背負い実施の運びとなった。結果は素晴らしい戦いで、非常に盛り上がった。「平等」や「リスク」、負けることも、危ないことも、学校での教育のひとつである。それに慣れていない子供は、たやすく崩壊する。強い子供を作る上で、我々、PTAもリスキーでありたいと思っている。でももう、十分リスキーかも。


1999年9月18日


ようやく天気が良くなったが、部分作業の刈り取りで乾燥機が全部埋まってしまい、結局午後早くには、稲刈り終了。1軒1軒、別々に乾燥機に入れるのでロスが大きい。しかも、明日は小学校の運動会。PTA会長はもちろん出席せねばならない。天気は良くなったが、相変わらずペースが上がらない。
ようやく新米の発売がペースアップしてきたみたいである。もう月曜日から、販売しているのだが、他社の販売広告が新聞等に入ったのを見て、皆さん買いに来ているようだ。まさしく漁夫の利である。


1999年9月17日


今日も、午前中は、やっぱり雨で、午後晴れて急きょ刈りに行くと言う、最近のパターン?だった。田んぼが柔らかく、移動時に足回りの泥が、道路を汚すので、全部の田をトラックに搭載して移動した。面倒だけど、これが一番早い。コンバインで自走すると、延々と泥の跡を残して行くので、処理が大変である。しかし、なんだかんだと刈っている。もうちょっとで、部分作業のお客様が終了する。そうすれば、目をつむっていても刈れる自分の田んぼだ。


1999年9月16日


台風は去ったが、どんよりと曇り空で、時折雨が降っていて、こりゃお休みだなと思ってのんびり構えていたら、いきなりクボタの6条刈コンバインの実演機がやって来た。そう言えば、使ってくれと言われていた。いきなりの段取りで大変だったが、結局使わせてもらった。でも、やっぱりここ野々市では大型過ぎる。小回りターンが出来ず四苦八苦していた。それに、コンピュータを使った機能が多過ぎる。こんなものいらないから、安くしてほしい。ちなみに、怖くて聞けなかったが1000万円ほどらしい。
午後も、雨が強くなったので、久しぶりに昼寝をしていたら、「刈れるから来なさい」とレデイースから呼び出された。確かに降ってはいるが、刈れないでもない。結局、午後も、シブシブと降る雨の中、稲刈りをした。一体、いつになったら、スカッと晴れるのやら、どんどん刈り遅れている。


1999年9月15日


台風の中、モミスリ。消防で自宅待機がかかってしまった。大事に至らねばいいが。


1999年9月14日


天気が不安定で、雨が降っていたと思っていたら、急に晴れて、急いで稲刈りして、又降って、また稲刈りしようと出かけたら、すごい豪雨。少し、疲れていたので、雨は、正直助かる。PTAの書かねばならない書類もたまっていたので、せっせと処理した。不思議なのは、我が社でとっているFAX天気予報が、すごく当たる点である。おかげで、このような猫の目の天気では重宝する。1時間ごとに出ているのであるが、今日は、ことごとく当たった。この天気予報は、実は、数年前、仲間達と年間400万円近い金を出し合って、民間の天気予報会社から購入していたときの流れで現在は、農業共済組合でやっているものである。当時は、2キロメッシュで出せる天気予報は画期的だった。その時に、天気予報について学んだことも、現在は貴重な体験となっている。天気予報って、一体何処の管轄か知っていますか?実は、運輸省。それも長い間、自由化されていなかったのは、かつての海軍の流れで、天気予報は、軍事機密だったのです。と、聞いたときは、ビックリした。台風の進路も、なぜか部分円で幅を持たしてあるのも、実は、誤差ではなく、現在のGPSのように、軍事情報だから、民間に流すときはぼかす必要があったとか。いつの世も、天気予報が見れる世の中であって欲しいものだ。


1999年9月13日


今日、農協に出したコシヒカリが、なんと特1等になった。つまり、1等より品質が良いということである。自慢じゃないが、我が社の米は、消毒をしていないので、カメムシ君に食われて2等になる場合が非常に多いのだが、何を間違えたか、その米にはいなかった。食味に非常に影響する数字が、たんぱく質含有量だが、美味しいとされる値が6%から7%だが、実は、コシヒカリだけでなく、ハナエチゼンも、6.1%、以前、作っていた加工用のアキヒカリという不味い品種でも、6.4%であった。つまり、我が社で作ると、品種に関わらず、たんぱく質含有量に関してはなぜか低いのである。ところが、じゃあということで、アキヒカリを食べてみたら、やっぱり不味かった。そして、上には上がいて、我が社より美味しいお米は、沢山あることも知っているので、このデータはあんまり役には立たないのかもしれない。
ところが、お米の業者さんは、このデータを基に必死に値段を決めて来るのである。まるで、成績のみで雇ってみたら、全然役に立たなかった、新入社員を決める人事課長のようである。人間も同じだが、「味」というのは、なかなか、データにはしにくいものである。だから、口が裂けても、我が社の米が美味しいなんて自分からは言わないようにしている。「きっと美味しくなるだろう」と夢見て作ることより先は、お客様が、決めることである。


1999年9月12日


昨晩というか、早朝というか、深夜に、車両火災で出動があった。車両火災では、よほどのことが無いと放水しないので、緊張度は低いが、それでも、サイレンが鳴れば、とにかく急いで、ポンプ車に乗った。しかし、無線を聞き違えて、逆の方向へ走るという失態を演じてしまった。消防署の無線は、必要最低限しか使わないし、我々、自治消防向けの情報ではないので、情報を得るのは容易ではない。しかも、サイレンを鳴らしているので、聞き取りにくいし、、、。後で聞くと、結構、逆に走った人も多かったようだ。それにしても、恥ずかしかった。
おかげで、今日は、寝不足で稲刈りとモミスリ。日曜でもあるので、早めに切り上げた。


1999年9月11日


コシヒカリの刈り取りを引き続きした。去年の大豆の田んぼが、思いっ切り倒れた。スイスイデバイダー(なんも専務のページ参照)で、問題無く刈れるが、やはり気疲れする。大豆という植物は、根粒菌といって、根に窒素成分を固定する特性がある。だから、栽培しても、さらに土が肥える奇跡の植物である。ところが、この辺は、乾いた土質なので、せっかく取り入れた窒素が、空気中に逃げてしまうので、極端なことはないのだが、なぜだか、今年は思いっ切り残っていたようだ。残るということは、土質が良くなって来ている証拠でもある。だだし、少し読みが外れてしまった。来年から肥料はもっと減らそう。


1999年9月10日


コシヒカリ刈り取り開始。収量は、結構ありそうだ。ついでに、PTAのバザーの準備も平行して開始。頭が、ウインドウズ状態である。ただ、刈り取り一日目は、乾燥機もすぐに一杯になって、モミスリもないので、気楽なものである。ただし、明日から、残業がまた始まる。
慣れないメーラーで、朝から四苦八苦している。返事を書かねばならないのに、ままならずイライラしてしまう。一日、数件の返事を、朝の30分くらいで済まさないと、結局、たまってしまうのである。


1999年9月9日


午前中、バカみたいに寝ていたので、午後にツケが回って、全然ゆっくり出来なかった。机の上は、相変わらずだし、昨日のPTA役員会で、怒涛のバザースーパースケジュールが決定してしまい。一気に、作業が増えて、頭はすでに飽和状態である。これを、コシヒカリ刈り取りの間を縫って出来るか、自信がない。
午後は、私のプロバイダーさんと2000年対応の販売管理ソフト、メーリングリスト、その他諸々のの打ち合わせをした。その中で、ついに、今まで使っていたネットスケープナビゲーターから、エクスプローラーやアウトルックというソフトに変更をした。マイクロソフト社つまりビルゲイツのやり方には、非常に不満を持っているが、青年塾のメールやファイルのやり取りで、うまく行かない時があって、仕方なく変えた。例えば、アウトルックを使うと、知らない間に、相手にHTM形式で送られてしまって、非常にメモリを食って迷惑したり、ファイルが化けたりと、自社のソフトを使用したり、よりハイスペックのパソコン買い替えを仕向けられているようで、どうにも気に食わない。しかし、ついに術中に落ちてしまった。


1999年9月8日


ほほほの穂のもみすり終了。反収つまり、300坪あたりどれだけ取れたかは、485キロだった。ハナエチゼンが、497キロだから、少し悪かった。去年は、322キロという記録的不作だったが、今年は、まあまあというところか。しかし、計画では、500キロないといけないので、きっと決算でボデイーブローのように効いて来るんだろうなあ。
我が社では、アベレージ500キロ反収で20,000円の販売でないと、採算がとれない計算なので、このアベレージに響く数字は避けたいところだ。あとは、コシヒカリが、どうなるかである。大体、肥料は普通の7割、殺虫殺菌剤は散布しないで、沢山とろうというのが、甘いのである。
今晩は、PTAの役員会。一年の中でも、一番決めることの多い、役員会なので、遅くなるだろう。でも、明日は、一日臨時休業なので、ユックリできる。本当に?


1999年9月7日


ひたすら、ほほほの穂のモミスリ。コシヒカリの刈り取りの前に、出来れば1日休みを取ろうと、張りきってやっている。もう、机の上が、破壊的状況だ。せめて、手紙の返事は出そうと、自分の住所の判子を作った。これで、スピードアップだ。


1999年9月6日


昨日の、波動が小松まで伝わったのか、怪しい有機栽培農家の東浩一君が、たまったコメヌカを引き取りにやって来た。本当に偶然で、まったく連絡してないのに来た。ビックリである。彼の有機栽培の理論は、我々の仲間でも、サッパリ分からないが、ピカイチである。これに、オカラを混ぜて発酵させるのだそうだ。午前中の雨で、もみすりをしたが、午後から持ちなおし、スクランブルで、残りのほほほの穂を刈り終え、安堵の気持ちもあって、夕方から、東君を囲んで話しこんでしまった。
とにかく、彼のラジオネームが「リ・サイクル」と言うくらいで、どんな中古機械も直して現役で使っている。トラクターのピストンリングまで交換してしまうツワモノである。だから、借金も固定資産も極端に少ない。きっと、最後まで生き残る百姓だろう。うちも、専務のおかげでかなり機械は、使い込んで東浩一レベルを目指している。


1999年9月5日


稲刈りは午前中で終了。午後からお休みで、久しぶりにバイク屋さんでも、行ってこようかと思って、フッとコイン精米機の方を見たら、何やら、白いものが吹いていた。コメヌカが、タンクが一杯で、上から溢れていたのである。結局、真っ白になって掃除すること、1時間半。全然休めなかった。ここのところ、新米が出始めて、利用率が上がっていたのは、分かっていたが、こんなに早く一杯になるとは、油断していた。それでも、今晩は、久しぶりに家族で焼肉食べて、BS1で、バイクのワールドグランプリを見て寝ようっと。


1999年9月4日


今日は、残業の日である。稲刈りに入り、社長チームと専務チーム、一日交代で、もみすり残業をしている。我が社は、休日は、少ないが残業の少ない会社の部類に入ると思う。しかし、わずか、8時から9時までという残業でも、きつく感じる。私の友人でも、夜9時に帰ったことがないという人もいるが、一体何をしているんだろうと不思議に思う。翌日、乾燥機が空かないと、稲刈りが出来ないので、仕方なく残業しているが、タンクさえ空けば、通常どおり帰っている。
残業チームには、オニギリの夜食が付くが、私は、すべての食事の中で、この時食べるオニギリの味が一番美味しく感じる。これに、美味しい漬物でも付けば、最高である。ご飯って、噛むと甘くなるというのは、この時、実感する。


1999年9月3日


恒例の「海辺のコンサート写真集」が出来てきた。こんな写真集を、誰の強制もないのに、作ってくれるスタッフがいることが素晴らしい。おかげで、今回で3冊たまったが家宝である。
気合を入れて、刈りまくっている。やっと、天気も安定してきたので、チャンスだ。しかし、ハナエチゼンが店で、売れまくっている。まだまだ、新米は店には、あまり出回っていないのか、ありがたいことだ。自分自身は、ハナエチゼンを、かなり初期の段階から、目を付けて栽培しているので、気に入っている。味も、まだ舌が新米に慣れていないこともあって、最初食べると、すごく美味しく感じる。そして、いよいよ真打ちコシヒカリの登場である。


1999年9月2日


今日、ボーとして走っていたら、停まっているダンプに追突しそうになった。小学校が始まり、子供達の下校の姿を見ながら、少し考え事をして、フッと前を見ると、ハザードを点けたダンプが。無意識にハンドルを切ったが、横に車がいなくて本当に良かった。集中力が、かなり切れてきている。連日の市街戦で消耗しきった感じだ。
この集中力の高さが、我が社の特徴でもある。もう一度、気合を入れ直して、午後の作業にかかった。ガンガン刈って、夜はもみすりだ。


1999年9月1日


最近、雷雨が多くて、今日も土砂降り、午前中で稲刈りは中断。雨が降れば降ったで、もみすりをして、乾燥機やタンクが空くので助かる。
このもみすりの段階で、籾殻が取れて、玄米になる。そして玄米を、選別機へ流し、1番米、2番米、3番米と我が社では分けている。つまり1.85ミリの網目を落ちなかったものが、1番米、さらに今度は、1.8ミリの網目を落ちなかったものが、2番米、落ちたのもが3番米としている。1番米は、もちろん商品となるが、2番米はいわゆる中米と呼ばれ、お米屋さんでブレンドされて商品になったり、菓子等の加工用材料になったりする。3番米は、くず米と呼ばれ飼料等になる。
この時期、2番米が、密かな人気である。その年の出来具合によるが、2%位は出る2番米、新米のうちは、味もいいし、なんと言っても価格が、普通の米の半額以下。どこで聞いたのか、マニアのお客様が買いにおいでる。特に、我が社のは、美味しいらしい。おかげで、お一人様、150キロまでとさせていただいた。つまり、中には、300キロ、600キロと買われる方もいるのだ。一体、どこで米が余っているのやら。うちで大量に売ってるせいか?





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