1999年2月28日 昨晩は、雪の白峰を後に、夜8時ごろ富山に到着。93歳の、おじいちゃんが、そろそろ母親の手に負 えなくなってきたので、妻は、色々な相談がしたかったようだ。私は、子供の相手で疲れ果てて寝てし まった。寝た後も、深夜1時と早朝に、ヘルパーさんがオムツ交換にお出でてくれていたようで、なか なか富山市は、がんばっているという印象だった。 昼頃帰ってきて子供たちの、たっての要望で、机をなんと茶の間に移動した。おかげで、広いだけが取 り柄の家で、狭いところに押し合いへし合いしている。しかも、勉強したのは、10分くらいで、すぐ にコタツに入ってテレビを見ていた。まあ、そんなもんだろう。 それから、天気が良かったので、近くの広場へ、紙飛行機と凧を飛ばしに行った。久しぶりの屋外で子 供たちと、遊んだ。帰ってきて、なにやら雑用をしようと事務所にいたら、次から次と、懸案事項が浮 上してきて、まいった。すると、前回のラジオ公開録音でサービスされた女性が友達と、わざわざ訪ね てきて、バレンタインチョコを持って来てくれたので、お礼に、この日記や裏ホームページを見せてあ げたら、本人のことが載っていてビックリしていた。そして、バレンタインチョコは、今期初ゲットで あった。昔から、縁がなかったので、私は、2月14日は嫌いである。 |
1999年2月27日 昨日の、公開録音は、まあまあうまく行った。ただ、ステージの上で行われていて、足元が見える状態 での収録で、途中、プロデューサ氏より、「股、閉じろ」のボードが出た。調子よく話していたのだが 、きっと自分が、えらそうに股を開いているのだなと思ったら急に、恥ずかしくなってテンションが下 がってしまった。ところが、隣の相棒の女性が盛大に開いていたそうで、私ではなかった。結局、ボー ドを見て、閉じたのは、関係のない男性陣のみであった。足元を見られるというのは、文字通り、しん どいもんであった。その後、打ち上げで、その女性が肴にされたのは、言うまでもない。 午前中、もちつきをして、私は午後から、地元JAの総会の議長をやって、終了後、50キロ離れた、 白峰村で、郡PTAの総会ある。その後、また飛んで帰って、富山の妻の実家に帰る。 次男の勉強机が予定より早く届いた。よっぽど、うれしいのか、組み立ての間中、なにやら、ダンボー ルを片付けたり、部品を運んだりと、大活躍していた。ちなみに、長男は、買ってあげた机で勉強した のを見たことがない。 |
1999年2月26日 かきもちを、乾燥終了。ライスセンターの天井から下ろし始めた。そして午後は、農協で、今度の総会 の議長の打ち合わせ。後に、金沢の繁華街のアトリオで、FM―N1の公開録音に出かける。どうも、 その後、一杯があるようなので、日記を昼に書いている。まだまだ、ネットワークを使いこなしていな いので、言うことを聞かないパソコンに四苦八苦している。かわいがりようが、まだまだ足りないのだ ろうか。 かきもちは、種類別に選別して、組み合わせを決定後、箱つめ、袋つめに入る。この組み合わせが、非 常に難しく、いつも妻が頭をひねっている。どうしても、後半になると、妙な組み合わせになってしま う。それは、昆布だけ頂戴とか、黒砂糖を抜いてとかいう要望に答えていくからである。すると、計画 が狂うのである。しかし、そこはなんとか気合、いやデータを駆使してうまくやりたい。 |
1999年2月25日 朝から、苗の床土を、トラックで業者まで取りに往復した。一日かかって8往復、24トンを運んだが 、中村君と色々、話をしながらの結構、楽しい作業である。何にも考えずに、できるこんな仕事ばかり なら楽なんだが。 まだまだ、新しいコンピュータの環境に慣れずに、四苦八苦している。設定も、まだまだ続くし、案外 細かいところでの、不具合が、実際の作業の中で、出てくるようである。だから、志高いプロに頼んで いるのである。ところが、私の周りの多くの農家がパソコンを買って陥るのが、「持っているだけで賢 そう」症候群である。うたい文句では、とても簡単、誰でもできますと言っているが、実は些細なこと でトラブルが発生して、いやになるケースがほとんどである。よほど、マニア、そして時間がふんだん にある人ならともかく、安売りの商品でサービス無しの状態から、バリバリ使うのは不可能に近いと私 は考えている。そして、そんな人たちも実は、相当投資していることは間違いない。道具として割り切 るなら、まずサービス体制を考えるべきであろう。 パソコンも、実は、非常に有機的であることに最近気づいた。だから、キーボードも気合を込めて打つ し、今日もさっそくPC486のモニターがハングアップしたが、「たのんまいや(頼むよ)」と言っ て、なでてから、リセットを「気」を込めて行ったら直った。明日からは、おはようと声をかけるか。 |
1999年2月24日 実は、昨日今日もパソコンのネットワークのセッテイングで、何もできない状態が続いていて、ようや く日記の更新ができるようになったところである。前のFMVに比べほぼ、3倍の能力があるそうであ るが、相変わらず使いこなすまでには行かないであろう。まあ、少し早いかなってな感じである。 ただ、周辺機器がすべてネットワーク化されるので、その点が便利になる。FMVは、販売管理専用と せっかくなので、妻のアカウントを取りインターネットの設定をしてもらった。これで、会社内での連 絡はすべてメールにて行える。本当か? 昨日は、稲作受託組合の総会と研修会が、近くの温泉であった。その時のために、バングラデイシュの 農業と題してパワーポイントで何時間もかかって作っていたものを発表したが、参加者が10人程度で 30分ほどで終了。塾長がいつもおっしゃっている、例え一人でも全力で話をするというのがいかに難 しいか分かった。 そして、先日、近くの中学で農業の話をして時の、感想文が送られてきた。何気ない、一言をしっかり 覚えていて、とてもびっくりしたし、うれしかった。「晴耕雨読」「農業を通じて豊かな生活を創造す る」というような言葉もしっかり覚えていてくれていた。なによりも、暗い農業のイメージが一変した ように思う。 今晩は、これからPTA役員会とその後、消防に行く。相変わらずの生活である。 |
1999年2月22日 MO(光磁気デイスク)の調子が悪い。朝から、バックアップでえらい時間をとられてしまった。明日、 ニューシステムの構築にお出でるので、がんばっていたが、がんばるのをやめた。こりゃ、やっぱり、 プロに任せたほうが無難である。明日も温泉で、野々市町稲作受託組合の総会と研修会があり、その時 に、バングラデイシュの農業を発表することになっていて、そのパワーポイントの製作もあって、結局 、なんにも実際の仕事が出来ずに、日が暮れてしまった。 弟の方は、すでにニュー播種機のセッテイングに入っていて、春作業の段取りに入っているというのに 、私の方は、農作業申込みが溜まる一方で全然処理されていない。新しい、パソコンが来ないと出来な いというのもあるが、そろそろエンジンをかけねばならない。 そんな、状態なのに、志ネットワーク、青年塾からお二人の方が、今度の統一地方選挙に出馬されると いうことで、青年塾の事務局の仕事も一気に来ている。トドメは、地元の県会議員の選挙にも担ぎ出さ れている。どうなることやら。 |
1999年2月21日 実は、昨日、11年目の結婚記念日だった。そこで、夜、回転寿司を食べようということで、出かけた 。ところが、今まで、何度も挑戦したが込んでいて入れなかったので、今回は、とにかく回転寿司に入 るという一点にしぼって、すいた店を探して入った。子供達は、とにかくグルグル回っているのが楽し いみたいだったが、土曜日の晩にはやっていないのには、やはり「ワケ」があった。あまり美味しくな いのである。特に、シャリが味音痴の私でもまずいと思った。さらに、店員さんが、元気がいいのはい いけど、どうみてもヤンキー系。そして流れているネタが、平凡。聞くところによれば、プリンやパフ ェ、メロンがぞろぞろ流れてくるはずだったが、子供用にゼリーが流れてくるに過ぎず、しかもそれは 、スーパーでもどこでも売ってあるものだった。おかげで、子供が余計なものを食べず安くついて良か った。 私の好きなテレビ番組に「愛の貧乏脱出大作戦」というのがあって、閑古鳥のなくお店をなんとか繁盛 店にという企画なのだが、閑古鳥がなく店の主人と、繁盛店の主人とは、何十年も同じ事をやっていて も全然違う。閑古鳥にも「ワケ」があり繁盛にも「ワケ」ある。それを見て笑いながら、常に自分に当 てはめている。少しくらいお米が売れるから、お餅が売れるからと言って、閑古鳥店の「ワケ」が自分 にないとは言い切れない。 今日は、次男の筆箱類を購入して、夕方から、地元の生産組合協議会の温泉に出かける。まったくの懇 親が目的である。久しぶりに気楽に行こうか。 |
1999年2月20日 午前中、近くの布水中学で、働く人に学ぶという授業があり、出かけた。前回の小学校の授業と違い、 みんな大人だなと感じた。真剣に農業についての私の話を聞いてくれて良かった。こちらも、ノートパ ソコンでホームページを見せたり、天皇杯のレプリカを持って行ったり、不渡り手形を見せたりと、大 サービスでがんばったが、分かってもらえたかな。途中、「何かつらいことがありますか?」という質 問があったが、「うーーん、、、。ないなあ。」と答えた。最近で一番つらかったのは、第7ギョウザ で注文し過ぎて、死にそうになったことかな。 帰って来て、コンピュータのシステム変更に従い、パソコンを部屋の中で移動した。PC486、FM −V、ゼロックスableを移動しただけだが、疲れた。後部配線お化けを見るだけで吐き気がする。 なんとか、中村君、藤井さんとあーだ、こーだしてなんとか、メインコンピュータのスペースは空けた 。今度は、これをさらにネットワークでつなぎ直すと思ったら、めまいがする。そして、データのバッ クアップをいちいち、確認しながら整理しながらやっていたら、きりがなくて、もう頭に来て、MOを 大量に買って来て、全部入れることにした。大体、MS−DOSでは、なんとか出来たが、WINは、 一体どこにデータがあるのやら、中には、勝手に作られるファイルもあったりして、嫌いである。 夜、初老のもちつきがある。こりゃ、夏まで続くのではないだろうか。最近、季節感がないなあ。 |
1999年2月19日 昨日は、能都町から帰ったら、もうお昼で、その後、PTAやら青年塾やら、電話が鳴り止まず、夕方 、本田氏と再度合流後、小松の長田君の所を訪問。さらに、小松空港で、たまたまキューバ!から帰国 の佛田利弘君と合流、しばらく歓談後、本田氏を見送り、帰ってきてからすぐに、消防団の会合に出て 長い一日は終了。 キューバの、話を聞いて、日本人の情報がいかに、アメリカ側の情報かが分かる。キューバは経済封鎖 後、究極の有機栽培を目指してかなりの成果をあげている。そして、共産圏にありがちな、上層部の腐 敗もなく、国民が一丸となってこの危機に向かっている様が良く分かった。すごく、治安も良く、物資 も不足しているとは言え、政府が価格援助して安く手に入るようである。なによりも、国民が明るく、 勤勉だそうである。DNAを調べると、日本人のものとかなり似ているそうである。12世紀に日本人 が流れ着いた痕跡もあるそうである。佛田君が、「ある意味において、日本は、最低の国だね。」とつ ぶやいたのには、はからずもうなずいてしまった。豊かさって一体なんなんだろう。 今日は、パソコンのデータのバックアップを一日とっていたが、結局全部とれず、明日に持ち越した。 こうやってみると、結構いらないデータが多い。机の上と同じで、全然整理されていないのが良く分か る |
1999年2月17日 アグリフアンド石川の総会で,能都町の真脇縄文遺跡、ポーレポーレに来た。21世紀に向けたアグリマ ーケティングを本田氏が講演された。本田氏は、ひょんなことから知合ったマーケッターと言っていい のか不思議な人だが、とても、分かり易い講演だった。最後の問いかけで、JA所沢のダイオキシン問 題をどう思うかの問いかけは、皆さん色々答えていたが、私は農業者の倫理感を高めることが最終的に 素晴らしいマーケテイングを生むと感じた。ベンツがニューモデルが横転するのを逆手にとって、予約を 激増させたと同じで、ウソ、偽りをして良くなった経営はないということである。もし、所沢JAが、 もし素晴らしい倫理観と先見性があったら、ドーーンと、これだけのダイオキシンが出ました。申し訳 ありません、したがって、このような対策を取る間、販売を自粛し、生産者にこのような手当てをしま す。よって、日本で一番安全な野菜産地です。とやれば、こんなにこじれなかったように思う。隠すか ら付け込まれる。そして、マスコミも、テレ朝を日テレが攻撃しているが、多少勇み足かもしれないが 、本来のマスコミの使命からすると、テレ朝に軍配があがると思う、日テレは、ただの揚げ足取りにし か見えない。少なくとも、自分自身は、日テレのニュースは見る気がなくなった。 |
1999年2月16日 午前中、もち工場の大掃除をした。実は、昨日からしていたのだが、今日は、機械を外に出して磨いた 。滅多に、分解掃除まで出来ないので、思いっきり汚かった。よその、トイレ掃除をしているのに、こ れではギャップがあるなあと思いつつも、綺麗にした。 午後は、長男の授業参観と懇談会だったが、妻が授業参観で私は懇談会に出席した。実は、PTA会長 なのに、学級懇談は始めての参加だった。PTA会長すら参加しない学級懇談だから、出席者は少ない 。本当は、授業参観よりこちらの方が大切なのだが。ただ、参加者が少ないと、個人的に先生に聞ける からいいという点もある。もちろん、私も、盛り上がるような話題振りは忘れなかった。 実は、出発式お祝い会で、一期生で男性合唱団「イッキーズ」を結成して披露した。4日間の血の滲む 練習で、結構いけててたと思う。高松市合唱団に所属する塾生がいて、指導してくれたが、やってると 楽しくってハマッテしまった。ハモルと、グァングアンと、バイブレーションで回りが響くのである。 これは、聞くと人の声でしかならないそうである。口の形、喉、胸という複雑な要因が重なってこその 美しいハーモニーだそうだ。まさしく、音楽も有機の世界であった。また、やってみたいと思う今日こ のごろである。 |
1999年2月15日 朝から、リハビリをしていた。「志」と書かれた山中塗りを能瀬氏より、今回のお祝い会に提供してい ただいたのを、改めて箱詰め直しを夕方、長田君とやった。最初、どうしても150人分の食器が足り ないので、能勢氏に相談したら、なんとかすると言われたが、まさか、小皿、中皿、大皿、タンブラー 4種類3色で、金箔で「志」と書かれた、超立派なものが来るとは思わなかった。感謝したい。 今回の、全国会議で、頭を殴られたような、話を聞いた。ある方が、会社の幹部研修で、幹部達が、や れ不況のせいだ、協力会社のせいだ、ライバル社のせいだとしか、議論がないので、段々頭に来て、結 局、「なぜ、自分のせいにしないんだ!」と怒って研修を中座して帰ったそうである。ところが、もう 家に着く直前に、背中を蹴飛ばされたような衝撃を受けたのである。それは、自分自身が他人のせいに 、していたということに気づいたからだそうである。そんな状況を作っているのが、自分が色んな会に 所属して、会社にいないからと、さらに気づき、結局、ありとあらゆる会を辞め、1ヶ月、会社から、 一歩も出ないで、みんなを見ていたら、問題点が良く分かって、業績が良くなったというのである。最 近の、自分は、PTA会長、消防団、青年塾、農業法人協会理事、稲作経営者会議、アグリファンド石 川役員、青年農業会議所理事、野々市町稲作受託組合長、富奥地区生産組合長協議会会長、中核農家連 絡協議会と、どう考えてもやり過ぎである。どうにかならないかなと、考えていた時の、この方の話だ ったので、ショックだった。そして、多くの経営者が、はっきりと自分をコントロールして、所属する 会を限定していること言われていた。 そして、今日、幾つかの会を辞める旨の連絡をした。別の会で、いい格好しいで、約束したことが出来 ずに、つらい目にあったが、もう、あれもこれもという、そんな時代ではないのだろう。そのための、 経費も、多い少ないではなく、無駄を無くすということは、一事が万事である。その僅かが、節約でき なければ、何をか言わんやである。 辞めると言った時の反応は、「林さんなら仕方ない」という感じだった。やはり、よっぽど、忙しく見 えるのだろう。 |
1999年2月14日 出発式、とお祝い会のため、イエロハット富士営業所へ、ほとんど、ぶっつけ本番のため、脳みそが切 れるかと思うほどの、緊張感の中、準備は進み、いよいよ本番。なんと、予定していた歌手の到着が遅 れ、しーんと長い静寂があった。塾生、会員の「気」が合体して、「ギイーーン」と音を立て始めたこ ろ、ようやく始まった。このスゴイ「気」で、鳥肌が立った。 涙、涙の決意表明を全員でしての修了盾の授与。塾長も、涙をこらえるのに、口をへの字に結んでおら れた。そして、自分が司会のお祝い会。少ない時間の中で、良くやったと思う。素晴らしい感動で締め くくれたことに感謝したい。 その後、後片付け。深夜に抜け殻で帰ってきた。ちなみに、二期生の長田君は後部座席で、6時間は死 んでいた。ご苦労様。 |
1999年2月13日 激論日本どうする。の討論をした。以下は、その時のメモ。 野田氏は、あらゆる分野で自由化が必要とおっしゃった。 憲法が出きて50年、今に合わない。外国は,何回も改正している。日本人はアイデンテティに自信を持つべき。 山田氏は税金は、国や地方自治体に行くと霧散しやすい。人の金は,ムダ使いされる。 財産を国有するかしないかの時代がくる。しかし自由意志の大切さを、ロシアを例に言われた。 全ての税をやめー律7%で、平等に、金持ちにも。 「農業立国」対「情報立国」のデイベイトは.引き分けだった。なんと、情報側は、このあぐらぐち物 語と中村君の電子メールで、攻撃してきた。予想はしていたが、中村君のメールを使うとは。非常に盛 り上がった。最終弁論で、私が、パソコンは農機具、インターネットは農作業と言って、こちらに引き 寄せてなんとか引き分けた。危なかった。 柳井市長河内山氏が地方自治の現状を話された。おかしい事だらけ、キ一ワードは、情報公開。市民が 自主的に自治を孝えることが必要。自分達の事と認識。コントロール可能な政治。行政の暴走を止める 。ムダなことを止めろと最近、市民に良く言われるようになった。意識が高くなったと思う。 山井和則氏が福祉を話された。日本は、軽老、敬老を目指さねば。彼の本気の話に、会場のほとんどが 涙を流した。 夜の、バーベキュウーは、異常な盛り上がりを見せていたが、私は、明日の出発式のことで頭が一杯で それどころでは、なかった。 |
1999年2月12日 朝から、怒涛の修了発表。素晴しい発表ばかりであった。涙あり、笑いあり、そして感動だった。 |
1999年2月11日 朝5時起きで、大雨の中、車で箱根へ向った。7時間半もかかって到着した.大雨の中、ニ期生達がすごくがんばって準備をした. 夕食も自炊で.あっと言う間に夜になった.。決局ねたのは3時.明日は早くねよう。無理か。 |
1999年2月10日 朝から、出発式の準備、今度のパソコンの新しいネットワーク構築に向け、バックアップデータの整理 に入った。ところが、所々、日記のバックアップデータが無くなっていることに気づいた。どうも、メ インの画面用ではなく、バックアップを消したようなのである。正確には、12月1日から5日までと 、1月1日から19日。12月分は、幸いにもMOにバックアップがあったが、1月分がどこを探して もない。しかし、もしかしてと思い、中村君に聞いたら、なんと1月末にある農業青年の会で、我が社 のホームページのデモをした時のデータがキャッシュに残っていた。まさに奇跡である。おかげで復活 した次第である。 明日から、早朝6時に出発する。お米やお皿、タンブラーとなにやら持って行くものが多いので、配達 車という様相を呈している。おまけに、雪が箱根に降っているらしいので、スコップ、牽引ロープまで 積んだ。これで、大丈夫だろうが、何か忘れ物があるような気がする。早く帰って荷造りしよっと。 |
1999年2月9日 午前中、少しもちつきをしたが、なんとつきたてに一味唐辛子を2ビン入れてくれというオーダーを作 った。臼を汚すのもまずいので、手でこねたが、手袋も板も、とぼ箱も赤くなって大変だった。お客様 というのは、わがままなものだが、本人は、案外その大変さを実感していない場合がほとんどである。 それは、自分にも言えることだが。 午後は、常光利惠さんのFM−N1の番組に出演した。なんでも、予定のゲストの方が風邪でピンチヒ ッターである。バングラデイシュや、PTAの話を好きなだけ話してきた。今度、野々市町稲作受託組 合の研修会で、バングラデイシュの発表をすることになったので、またまた、パワーポイントでプレゼ ンを製作している。今回は、写真が主なので、編集に時間がかかる。もう、出発式まで、日がないので 準備もしなくては。 |
1999年2月8日 朝から9時に、食糧ジャーナルの記者さんの取材、そして、すぐに経営調査で農業会議所と、21世紀 農業機構の方と打ち合わせ、そして、すぐに、プロバイダーさんと打ち合わせ、そして、すぐに事務機 やさんが、デジタルコピー機にプリンター用のボード取り付け、そして、すぐに小学校へ今日のPTA 役員会の打ち合わせをして、今晩、PTA役員会ともう一つ会議をして、長い一日が終わる。もう、次 のお客様が会議室の外で、待っている状態で、堪忍してくれモードであった。 食糧ジャーナルの記者さんが、2キロほど離れた駅から歩いてきたのは、驚いた。普段も、作況を見る のに自転車で行脚するというのだから、すごい。そう言えば、別の農業関係の記者も、岐阜から、原付 バイクで来たし、農業系でも、公務員系でない人達は、バイタリテイーがあると感じた。平気で、2キ ロも3キロも歩くのが、当たり前で、すぐに我々が車に頼るのがおかしいのは、確かである。 ついに、弟が、レッツノートというノートパソコンを手に入れ、インターネットを始めることになった 。当然、私の接続、FTPも、設定してもらったので、いずれは、我が物にしようと画策しているのは 言うまでもない。ちなみに、中村君も狙っているらしい。 |
1999年2月7日 昨晩、温泉で飲んでいて、びっくり。コンパニオンの方が、私のことを指さして「林さんちのおもちだ あ」というのである。「げえー」と思って聞くと、毎日、我が社の前の道路を通っているとのこと。さ らに、驚いたのは、農業共済の冊子の新年号の写真を見ていたのである。ということは、農家の娘とな るのだが、おちおち、馬鹿なことを言って、お酒も飲んでいられない。 そして、今日は、午前中少し、ゆっくりして、午後は消防の点検日で出動した。事実上、今年度初の集 まりなので、初心者が多く、教えるのが主な仕事であった。しかし、ポンプ車一つの操作をとっても、 簡単に覚えられるわけでないので、大変である。あとは、経験となるのだが、2,3年で交代の地区が 多く、困っている。はっきり言って2,3年では、無理なのであるが、そこはなんとかしなくてはいけ ないところである。最低限、怪我をしないようにはしなくてはならない。 |
1999年2月6日 午前中、もちつきが少しあって、午後に、滋賀県水口町の若い農業者達が見学に来た。名付けて「茶髪 軍団」。とにかく若くて元気がいい、かつて、ここの青年が一人、我が社に研修生として来ていた縁で 知合ったのだが、今回、貸してあった大豆コンバインを返しに来たのである。彼らを見ると、農業の明 日は明るいと感じるのはなぜだろうか。理屈にない、パワーを感じる。 今から、町連合PTA会長の新年会が温泉である。まあ、一年ご苦労様という会である。もう、あれか ら早くも一年がたったわけだが、とにかく、会長職というのは、雑用が多いというのが印象である。そ んな、雑務に埋もれない強靭な体力と精神力が要求されると思った。あと、お酒が強くないとだめとい うのもあるか。 |
1999年2月5日 午前中、祖父の33回忌があった。お坊さんが、「たたり」や「のろい」があるから、参るのではなく 、生かされていることを気づかしてくれる機会なのだよと、おっしゃっていたが、まさしくそうだと思 う。ちなみに、浄土真宗のカレンダーには、大安や仏滅という言葉はない。そもそも、いい日悪い日は 存在しないのである。大人が、勉強しろと言うのも、「勉強しないとたたりがあるぞ」と言っているよ うなもので、本来の意味からは逸脱していることが多い。勉強とは人生の一部であって、この世に生ま れてから、「生きるとは?」という根源的な疑問への永遠の努力だと私は思っている。それが、「勉強 しないと、良い会社に入れないぞ!」とか、ひどいのは「お父さんみたいに、なりたいの!」というの は、「たたり」そのものである。あなたも、そんな事を子供に言っていないですか?ことそれに限らず 、今の、生活に照らしてみても、蓮如様の教えは、非常に共感する場面が多いと思った次第である。 午後は、野々市町稲作受託組合の役員会。今年度の作業受託料金や総会の相談をしたが、またまた、パ ワーポイントでバングラデイシュの報告をすることになった。ここのところ、続くなあ。 風邪の方は、なんとかこんとか小康状態を保っているが、いつ爆発しないか、ドキドキである。 |
1999年2月4日 昨晩、PTAの会合に、二つ顔を出したら、またウイルスをもらってきてしまった。喉が、少し痛い。 午前中は、青年塾のタイムスケジュールを作って、午後は、また寝ていた。何がなんでも、治さねば。 |
1999年2月3日 昨日は、農業法人協会で、JA石川連合役員との懇談会があった。この中で事例発表をするために、こ このところ、かかりっきりでパワーポイントでプレゼンの準備をしていた。この日の午前中もギリギリ まで、作ってようやく間に合わせることが出来た。JAと農業法人の関係で我が社は、かなりのレベル で良好な共生関係を築いているので、テーマはずばり「共生」。まあ、こんなパソコンとプロジェクタ ー、パワーポイントを使って発表するのは、我が社だけと思っていたら、一緒に発表した(有)すえひ ろさんも、凄いレベルのものを持って来ていて、びっくり。そんな2社がガップリ四つに組んでの発表 だった。ところが、私の番になって、発表開始と同時に、すでに4名の役員の方のうち2名が、口を開 け空を向いて寝てしまっているのである。この時点で、私のテンションも、急激に低下、冷や汗がドッ サリ。JAと農業法人の関係が、期せずしてデジタルに出てしまったということか、もしくは、私のプ レゼンが超面白くなかったのどちらかだろう。 そんな感じで、今日は、ボンヤリして過ごしてしまった。本当は、出発式の出し物のアイデアや、細々 した事務仕事があるのだが、やる気が出ない。いつものことだが、青年塾に行くまでのスケジュールが ドンドン詰まって行く。明日は、少し、馬力をかけよう。 |
1999年2月1日 ついに、インフルエンザの毒牙にかかってしまい日曜日は一日、寝ていた。妻に言わせば、たまには家 にいろっ!ということになるのだが、今日は、月初めでもあり、重要な会合もあって、フラフラと起き てきた。その会合というのが、「農政改革大綱等に関する意見交換会」というものだった。 農政改革大綱及び同プログラムへの意見 あえて、急進的意見を述べさせてもらいます。しかしながら、世情は、これよりも急激に変化していることをご理解願いたい。 *農政改革についての基本的考え方 「21世紀は農業の時代!」 シンプルにして欲しい。まだまだ、お役所言葉だと思います。(広告代理店) *国内農業生産を基本とした食料の安定供給の確保と食糧安全保障 農業者という限定ではなく、国民の食を考える志の高い方であれば、株式会社であれ、多くの産業の 参画を望みます。そして、今のお金を安全と環境のために使うことを望みます。兼業農家も専業農家も 、単なる商品としての農産物ではなく「いのち」の産業を担っているという自負を持つような国民のコ ンセンサスがまず必要。国民の多くは、農業者は農地というGHQにたまたまもらった資産で裕福に暮 らし、補助金で税金を食いつぶしていると考えている。これらを考える時、教育の問題が一番と考えま す。「いのちの教育」の中に積極的に組み込まれることを望みます。 *消費者の視点を重視した食料政策の構築 原産地表示、遺伝子組み替えの表示は絶対に必要。 流通側に立った商品から、生活者に立った商品へ、変革しないと、流通を強化すればするほど、国内 農産物の価値は下がる。(真っ直ぐなキューリ、価格のみの棚割) *農地、水等の生産基盤の確保、整備 農地が資産として見られている限り難しい。我が社は、来年、農地の3分の1が宅地化される。 *担い手の確保、育成 これからの、高齢化社会を考えると、熟年支援を促進する。 *農業経営の安定と発展 補助金をやめる。法人税支払い内部留保を奨励する。 *技術の開発、普及 有機農法、環境型農業について、積極的に支援して欲しい。 *農業の自然循環機能の発揮 試験場や普及センターでは、NPKの体系のみしか研究しない。菌や波動、水について色々な商品が 出ているにも関わらずほとんど無関心。 *農業、農村の有する多面的機能の十分な発揮 農業者が、農地を資産として見ている限り、都市部の人達に農村の良さを理解してもらうのは困難。 長い期間、損得抜きの活動が必要。 農業経営も商品開発も、農林水産省側だけの支援ではなく、他省庁を巻き込んだ、幅広いものが必要 。(コンサルテイング)そして、自立した農業者側からの要望には、積極的に柔軟に対応して欲しい。 結局、自立した経営マインドがなければ、不可能。 我が社の考え 補助事業を受けない。法人税を払って内部留保 てなことを、レジメに書いて行ったら、まあ沢山の農政関係者に囲まれての発言で、冷や汗をかいた。 しかし、冷や汗をかくもかかないも、しっかり文章にして持って行ってるんだから逃げようがなく、 ボヤーとした頭だったが、口だけは自動で話した。まあ、おそらく理解されてないと思うが、本来は、 もっとチャーミングに話したかった。無理か、、、。 |