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あぐらぐち物語 1998年12月分



1998年12月31日

なんと最終日に、雪が降って各店舗から、欠品の電話の嵐だった。しかし、もう仕込みで量は決まって しまっているので、いきなり増産はできない。そんな、スタンプで押すようには、餅は出来ないのであ る。それでも、前年からすると、かなり多く出荷した。結局、天気にはかなわないという教訓が分かっ た。
今から、通称「返品ツアー」に出かける。これで、売上げが決まるが、今年は、ほとんどないと考えて 前年比10%アップというところか。この不景気に、健闘したと言えるだろう。写真は、我が社のスー パースタッフ?の映像である。では、良いお年を!!



  


1998年12月30日

もうすごい一日だった。狭い店舗に、240件以上の予約来店と飛び入りの予約、そして、各スーパー 、配達のお客様の、催促の電話が、朝9時から延々夕方まで続いた。しかし、製造の方でミスがあって 、米の洗いが遅れて、3時から出てついているにも関わらず、出荷に追いつかれてしまった。今年こそ は、欠品をしないと誓って、深夜に起きてがんばったのに、ガックリである。それでも、なんとか、中 村君達のがんばりで、危機を脱し、ほとんどの品物が、売り切れ状態までになった。
やはり、30日だけのこの現象は、いつやっても、大変だ。ここ1ヶ月の努力が、この数時間で勝負が 決してしまう。それだけに、寸止めで品物を作れた時は嬉しい。さあ今年も、あと一日だ。


1998年12月29日

ようやく、天気が崩れ、年末らしくなって、餅も順調に出始めた。明日は、午前2時には出社してボイ ラーに火を入れる。スタッフは3時集合である。とにかく、大量のつきたてを午後早い段階までに納品 しないとまずいので、どう計算してもそうなるのである。
予約販売は、ようやく前年を越えたが、スーパー関係は厳しい数字が予想される。とにかく、早く帰っ て寝よう。と言っても、昨晩は変な時間では眠れなくて困った。


1998年12月28日

やっぱり天気が良くて、つきたての売れ行きが厳しい。と言うか、案の定というか、どうも30日に買 おうと思っているようだ。どう計算しても、去年以上の注文は厳しいのに、明日は、比較的暇なので、 買ってくれないかな。
しかし、我が社の店舗では、順調に売れ行きを伸ばしている。こうなれば、人は頼まず、自分の所で、 やろう。


1998年12月27日

天気が良すぎるー!全然、お餅が売れない。おかげで、去年のデータがまったく役に立たなかった。し かし、以前地元ラジオ局のMROさんに、我が社の巨大お鏡が取り上げられた縁で、生出演した。とこ ろが、あたかもそれを妨害するかのように、もちつき機がトラブル、その他のトラブルも発生して、回 り中騒然とした中、電話での出演は、さすがにハードだった。おかげで、店には結構、お客様がお出で て少し助かった。電話番号を言おうか迷ったが、あんまり殺到されても、対応できないので、近くの目 印だけ言ったが、それで良かったのだろうか。つきたて餅の残品を見て、大いに迷うところである。


1998年12月26日

いよいよ、スーパー各店正月商品販売開始である。ポップや価格表、ダンボールで売り場をセット、さ らに、派遣の売り子さんとの打ち合わせと、朝から全開である。もう、セットさえ出来れば、あとはも う投入するだけである。しかし、例年押し迫らないと皆さん、お餅を買わないので、まだまだ、日中は アイドリング状態である。
売上げが、現在のところ、前年比90%というところだが、果たしてどうなることやら。


1998年12月25日

クリスマスも過ぎそろそろ、お餅の出番である。スーパー各店の段取りも、進み明日から納品開始であ る。スーパーも色々で、やっぱりバックヤードつまり、後ろの倉庫の雰囲気が、明暗を分けているよう な気がする。明るく、整理整頓されていると、店員もなんとなく優しい雰囲気で、売上げが伸びそうな 感じがする。それにしても、年末商戦用の商品の山は、すごい。こんなに売れるのだろうかと思うくら いである。我が社も、もう商品と資材で埋まってしまっている。これが、たった3日間でアッと言う間 に無くなる様は、壮観である。ところが、売れ残りと、欠品は、紙一重で、どちらも、地獄を見る。


1998年12月24日

テレビ局の取材が、昼休みにあった。ワサビ入りのお鏡の話で、実際にアナウンサーが二人、ワサビ入 りと抜きとワサオーロというワサビ成分付きのシート用の3パターンの餅をついた。来年の8日夕方の 放送なので、自分は見れない。とにかく、お鏡を食べて欲しいので、がんばって協力した。タッパーウ エアーのふたに、使い捨てカイロを貼って、もちを保存すると、長持ちするという裏技も教えておいた。 まあ、大きな脱酸素剤ということか。ということは、密閉された部屋で、みんなでカイロを使うと酸欠 で死ぬということか。
今日は、特殊餅シリーズを作ったが、とにかく大変だった。簡単に、塩を抜けだの、倍にしろなどと言 うが、見た目には変らないので一個一個名前を貼って、注意していないとトラブル。特に、今日は取材 もあったり、バタバタした結果、やはり何回か間違ってしまい、現場が混乱した。やはり、断るべきだ ったかもしれない。昨日のペースの半分になってしまった。身に染みるサービスも、身を滅ぼす危険性 との、微妙なバランスで出来るのであって、そろそろ崩れかかっている気がする。
思い出したが、今日はクリスマスだった。苦労して、次男のリクエストの品物を買ったが、結局第3希 望であった。それでも、金沢近辺のおもちゃ売り場は全部見て回った。まったく、親バカだなと、つく づく思う。まあ、苦労して手に入れる事の大切さを大きくなってから知って欲しい。


1998年12月23日

林農産の法則に、事務所に一人の時に、お客様と電話と、ファックスと携帯電話が重なるというのがあ る。今日も、昼一人で店番していると、これでもかと、ややこしいお客様がお出でて、ヒーヒー言って レジを打っていた。トドメは、接客中に、火事のサイレンが鳴って出動まであった。幸い、車輌火災で すぐ鎮火で助かった。電話に関しては、好き好きコールというので、自宅からと私の携帯は、呼び出し 音が違うので、あわてて取らなくて済むので助かる。昔は、あわてて取ると、子供の電話でガックリで 困ったが、さらに自宅と電話番号を変えたので、本当に静かになった。
明日、北陸朝日放送で、お餅の特集で、取材にお出でる。アナウンサーに、お鏡をこねらすのだが、果 たして出来るのであろうか?楽しみである。


1998年12月22日

なにやら、色々やっているうちに、一日が過ぎた。この雑用というか、細かい準備が結構大変なのであ る。この時期、会合の参加の問い合わせ、会費の納入、振り込み、と聞いてくるほうは気楽な物だが、 一つ一つは大した事はなくても、こちらは集中してくる。年賀状も書いているが、毎年正月一杯かかっ て来たものに返事を書いていたが、今年は3日から10日までバングラデイシュなので、実質書けない 。返事は、老人の日になりそうだ。


1998年12月21日

昨日の、お鏡を袋詰め。私は、午前中、納品するお店回り、午後は、配達とフラフラしているうちに、 一日が終了。配達から、帰って来て事務所に入ると、地元ラジオのMROで、我が社の巨大お鏡のオブ ジェが、どうのこうのと放送しているではないか。びっくりして、みんなに聞くと、突然担当アナウン サーの河内さんが来て、色々聞いていったというのである。この地域の特集をしていて、たまたまラジ オカーが通ったのである。よっぽど、マスコミ関係には縁があるのか、ないのか、とりあえず、なんと か、私がいなくても、年末のコシヒカリ3合プレゼントは放送されていたので、オイシかった。21日 から、この工場の店頭にて、お買い上げのお客様にプレゼントするのであるが、本来、工場直売は安く したいのだが、近隣のスーパーさんとの兼ね合いで、安く出来ないので、せめてお米をプレゼントしよ うというのである。もちろん、我が社のお米のおいしさを知ってもらう狙いもある。
次男のクリスマスプレゼントに苦労している。なぜか、彼は、古いタイプのオモチャを好むらしく、こ の移り変わりの早い現代では、もう生産も販売もされていないタイプばかりを欲しがるのである。たっ た、半年でもう次のタイプが出てしまうのは、なんだか問題があるような気がする。そうやって、まだ まだ、大量消費の感覚が日本に残っている限りは、不況だ不景気だと言っているのは、詭弁である。そ して、問題は、次男がサンタを完全に信じている点なのである。一度は、どうしても無いので、サンタ から、私の携帯に連絡があって、別のタイプにしてくれないかと言われたと話して、なんとか今度のタ イプにしてもらったのに、またまた、その話をしなくてはならない。その度に、どうして電話番号を知 っているのか?家には、煙突が無いがどうして、もってくるのか?どうして、沢山の子供に一度に配達 が出来るのか?等々の質問攻めに会ってしまい、刑事に責められる容疑者のようになってしまうのであ る。


1998年12月20日

全開で、1升お鏡を製造した。単純に昨日より倍の大きさなので、攻めのもちつきになる。杵が停止す る時間が4秒程度でつき続けている。おかげで、全員、手や腕が痛くてポジションを頻繁に入れ替えな がらしている。私も、首から肩にかけて強烈に痛い。
一件あたりの注文数が、前年比6%ダウンになっている。去年は、30%ダウンだったので、なぜか少 ない。あとは、順調に注文数が伸びる事を祈るだけである。現在前年比48%だ。
子供が、毎日、任天堂64のゲームをクリスマスに買ってくれとせがむが、頑として買わないと言って いる。今まで、散々ファミコンで嫌な思いをしているので、もうそんな不幸せにはなりたくないのであ る。食事もとらず、ピコピコやっていたり、兄弟喧嘩したりと、ありとあらゆるトラブルが発生するし、 何よりも、あのバーチャルが、まったく生の感覚の欠如につながって、情緒の発達を阻害すると考える からである。それでも、男同士の話し合いで、もちつきのバイトをして貯めるのであれば、自分のお金 なので自由にすればいいとなった。よって、ゲーム機は無理だが、ソフトを買うということで、本人は 納得したようだ。9,000円近くするから、果たして貯めれるかは、本気の度合いによる。貯めれな いようなものなら、最初から大した代物ではない事になるだろう。ちなみに、今日5時間程働いていた ので、1、500円である。しっかりタイムカードを押してもらっている。


1998年12月19日

全開で、5合お鏡を製造した。今日明日は土日でスタッフが確保されているので、ひたすらお鏡を作る 。昔は、暮れも押し迫ってから作っていたので、日中のつきたてもちの後、お鏡を深夜に作っていた。 そして、クリスマスまでは、スタッフも少なくなるので、またノンビリモードで作る予定。
今日、新しい名刺が届いた。今まではアグリネットワークの集合名刺だったが、今回、中村君、弟、嫁 さんの分も作ったので、会社独自のを製作した。特に、中村君の肩書きは「銀河系担当」となっている。 (本当に印刷してある!)宇宙の平和を守るのが彼の役割である。ホンマかいな!


1998年12月18日

玄米餅と、初老のもちつきの他は、工場の中の資材を、正月餅モードに変更。今年は、ライスセンター の中も積極的に使用する事になった。ダンボールや、お米の10キロ袋等のかさばる物は、ライスセン ターでストックになる。それほど、加工場の方が、手狭になってしまったということだが、まだ3年し か経っていない。でも、それも12月の29日30日に全てが集中しているからであって、普段は、広 すぎるほどである。まあ、工夫していくしかないだろう。
資材も、前年通りの注文があるという、想定で揃えたし、商品もそのつもりで生産している。実は、去 年もそうしたのだが、20%以上も注文が増えて、袋、エージレス、バーコードの紙、ダンボールとあ りとあらゆる資材が、30日に無くなってしまい、非常にあせった経験があるので、今年はこれでもか と用意してある。こんな年に限って、だめなものだが、自分を信じよう。逆に、20%また上がるとす れば、ミラクルというほかないだろう。そして、そうなればなるで、突貫で生産するので、ダイハード になることには、変わりない。
最近、マウスが、自分の思った所に行かないので、ボールを綺麗にしてみたりしたが、やはり調子が 悪い。ボーイズの一人に、これは擦り減っていると指摘され、新しいマウスを購入したら、走る、走る これぞマウスだ。今までのは、亀だった。


1998年12月17日

午前中、標準小作料の会議があった。結局、原案通りになったが、問題は、我々のような農地を利用権 を結んで耕作している者ではなく、戦前からの小作人と言われる人たちの小作料であった。なんと、こ の標準小作料は、その小作人にも適用されるために作られたものだった。したがって、農地を借りて生 業としている我々と違い、なんだか小作権やら、使用権やら、そして離農料とか、権利や金銭にまつわ る話になってしまい、議事が混乱した。つまり、我々は農業をするために借りるが、小作人の中には、 地価が上がった結果、地主に返す際、高額の離農料を請求するのだそうだ。そんな人の為に、安い小作 料をわざわざ決定するのが、納得いかないようだった。やっぱり、それと我々の利用料とは、分けて考 える時期が来ていると感じた。小作人の名誉の為にも、言っておくが、真面目に農業をしている人もい れば、地主にすんなり返す人もいることを付け加えておく。
午後は、店番をして、保育園の大掃除に参加して、蛍光灯や、天井扇風機の掃除を任された。ハシゴの 演技が効いたのか、高い所の作業は、自動的に私になった。その後、すぐに、ラジオの収録に出かけた 。お正月特集で、2日放送分なので、あけましておめでとうと、やるので、なにやらお正月番組を撮る タレントさんのような気分だった。1時間のバトルトークはアッという間に終了。3時間あっても、大 丈夫だった。聞く方が大変だろう。


1998年12月16日

午前中、お雑煮用丸餅を作った。これで二日で18,000個作った。それも、一個一個機械から出た 物を板に並べて、冷やして粉を払って袋詰めをするのである。見た感じは、機械から自動的に全部簡単 に出来るように見えるが、実は一個一個作るのである。紅白になっているが、この赤は天然色。とても 高価なもので、しかも色が出にくいので大量に必要で、おまけに紫外線と熱に弱い。でも、お雑煮用だ けは、こだわって使っている。
我が社専用ドメインが取得できた。もちろん、これまでのアドレスもOKであるが、新しい名刺には、 www.hayashisanchi.co.jpと書かれることになる。使える様になったら、ホ ームページアドレスの紹介は、ずいぶん楽になる。





1998年12月15日

一日、配達と、製造の計画のデータを整理していた。この時期、ボツボツと配達があるが、人員はすべ て製造の方にまわっているので、社長自らの配達となる。それにしても、普通じゃないコシヒカリが、 すごい勢いで注文が来ていて、在庫が少なくなってしまった。お歳暮に贈られるのが、ほとんどだが、 やはり、どんなに不況でも食べ物は強いのかもしれない。すでに、収穫量の3分の2が、売れてしまっ たので、来年は早々に売り切れてしまいそうである。来年は、面積を1.5倍にする予定なので、なん とかなるだろう。
バングラデッシュのビザ用に、顔写真を焼き増しに持っていた。5センチ×5センチという、一般的な サイズでないので、特別にすることになった。写真でさえ、こんな調子なので、どうなることやら。ま ったく準備がされていないので、不安である。これを更新したら、インターネットで調べてみよっと。


1998年12月14日

午前中、小作料更新で野々市町稲作受託組合と農業委員会との役員協議会があって、でかけた。私の要 望で、昼食会議にしてもらった。そうすれば、昼食の時間を有効に使えるので助かる。本来なら、夜や って、その後飲みがあるのだが、もうこの時期堪忍して下さいという感じである。会議自体は、非常に 有意義なもので、小作料は実質10アール当たり1、000円ダウンということで落ち着いた。試算に よると、3、000円下げなのだが、近隣市町村と比べて余り突出するのも困るので、その辺りで決ま った。今度の17日に、関係団体の代表者会議をして、正式に決定する。
小作料は、安い方が良いに越した事はないが、でたらめに下げるのも、考え物である。近隣のスーパー の駐車場とかに貸すと、何十倍もの借地料が手に入るし、売れば何千倍の代金が入る。それでも、我が 社に預けて、農業をさせてくれている人は、ありがたい人達なのである。とっても、矛盾を感じながら も、感謝して農業をしているのである。
現場の方では、昨日作った小重ねを袋詰めだけで、もちつきはしなかった。とにかく、去年のデータが まだ揃っていないので、でたらめには作れない。ちなみに、昨日スーパーに出した「つきたて豆とぼ餅 」は、半分返品だった。いかにデータが大切かが良く分かる。B型血液の私でも、慎重にならざるを得 ない


1998年12月13日

朝から、初老の餅を、一重ね作り忘れていて、あせった。これまで、いかなる複雑な注文もパーフェク トにこなしてきたのに、さすがにこの二日間はきつかった。ちょっとした集中力の欠如が、原因だが、 注意しなくてはならない。その他は、新しいスタッフも優秀で、がんばってくれていて助かる。
明日は、今日作った、小重ね2、000組の袋詰めをひたすらするだけである。さすがに、今日は、次 から次と、小餅を丸めたので、途中めまいがした。今から、エネルギーを充填するためと、ボーイズの 一人が誕生日なので、焼肉を食べにいく。


1998年12月12日

昨日とは打って変わって、好天であった。どうも、過去の記憶をたどっても、小さなお重ねを作ると晴 れるというジンクスがある。天気がいいのに餅をこねているのは、なんだかミスマッチである。外で仕 事をしたくなる。それにしても、超肩凝り状態である。明日で、4200組完成である。やれやれ。


1998年12月11日

午前中は、やはり正月餅の計画をしたが、既に今日からお供え用の小さな鏡もちを作った。現場はもう 見切り発車で動いているので、頭が少々混乱している。それでも、鏡もちは順調に出来たので良かった 。わずか、200グラムのこの小さなお鏡は、正月にはなくてはならないものなので、いつも足りなく なってしまう商品である。しかし、作るのがメチャクチャ時間と手間がかかるので、全開でもちつきが 始まると、とても製造できないので、あらかじめ早めに作り始める。そうしておいて、エージレスとい う脱酸素を入れた袋に保存しておく。もちろん、カビ防止のワサビもつき込んである。昔は、どうして も、その手間が嫌で、12月20日位について置いたら、暖冬で早くかびてしまい、ひどい目にあった 事がある。そうやって、我が社の売りのつきたて餅を作る余力を捻出しておくのである。つきたては、 本当に数時間が勝負なので、とてもじゃないが、お鏡など作っている暇はない。
今日、バングラデッシュ行きの、航空券やビザの事が志ネットワーク会員の方から手紙で送られて来た 。はっきり言って、何も出来ていないし、考えられない状態が続いているので焦る。パスポートだけは 、取得したので助かる。来週中が勝負だな。


1998年12月10日

餅と米の少しの配達の他は、あまり何もしてないような気がするが、もう夜になってしまった。あらか じめ、バーコードをプリントアウトして袋に貼る作業や、もち米の精米や大豆を農協に取りに行ったり 届けたりと、現場の方は急ピッチで、正月モードになっているが、事務サイドは、まだ初老の餅の段取 りでひっかかって、なかなか進まない。とにかくギリギリになって注文してくるお客様が多い。クリス マスケーキとお餅を同時に、食べさせられる方の身にもなって上げて欲しいものだ。
最近、長年携帯電話愛用の方キャンペーンで、新型機種を3、000円で売りますというのが、私の元 に来た。不景気だ不況だと言っている人間が、コロコロ機種を変える事自体、訳が分からないし、環境 だ、なんだと言っているのに、まったく問題なく作動している携帯電話を捨てるのは、許せない。した がって、壊れるまで今の携帯は使うつもりである。おそらく、11桁で味をしめて、半年もしないうち に、きっと12桁になるはずである。そうすれば、ドンドン新しい機種が売れる。郵便番号もそのうち 、8桁になるだろう。


1998年12月9日

今日も、昨日とまったく同じパターンであった。だいぶ、書類の山も崩れ、正月もちの段取りも進んだ。 これから、ケアレスミスがないか、チェックしながらの準備になる。そして、もちつきの予定を綿密に 作る。20人以上が、2週間近く全開で仕事をして、12トンのもちをついて1000件あまりの注文 と自社店舗とスーパー6店舗をこなして、餅の残品をわずかにするのは、巨大タンカーをミリ単位で止 めるような計算が必要である。どんぶり勘定で、沢山餅を残すのや、返品やスーパーで大晦日に沢山余 って3割引シールを貼られるのは簡単だが、そのわずかな差が、後々影響が出る。
今年は、自社店舗用つきたて白のしダンボールを作ったり、玄米餅や、新しい名刺、そして10年前に 6万袋も作ったマーク入りポリ小袋が、ついに無くなりリニューアルするなど、新しい試みが多かった 。その分、初期投下も多いのだが、どれもかつての物より、省資源省力化になっているので、仕事自体 は、コスト低減すると期待している。そんな時に限って、コストアップするのだが、餅が余ったら、中 村君の給料は、現物支給だ。


1998年12月8日

早朝のもち配達の後、正月餅の段取りで一日が、終わった。今日閉め切りで、年賀状、名刺の入稿が、 あったりで、非常にあわただしかった。大豆の検査もあって、3等と規格外の間という妙な等級になっ た。まあ、規格外でなくて良しとしよう。
プロバイダーさんの、勧めで自社ドメインを持つことにした。ところが、名刺の締め切りが今日で、結 局、完全にOKが出ていないうちに入稿になってしまった。これは賭けである。
新しい、アドレスは、www.hayashisanchi.co.jpになる。もちろん、今までの、 アドレスも使えるので安心下さい。人に自分のホームページアドレスを教える時、すごく楽になるはず である。


1998年12月7日

本来は、今日は臨時休業にしたのだが、朝から電話、ファックス、メール、来客、商談と引きもきらず 結局、夜の初老のもちつきまで全開で、働いてしまった。なぜか、昨日の昼から急に腰が痛くて、思考 能力が低下したままなので、しんどかった。そして、今からPTAの役員会。
つきたてもち専用のダンボール箱の件で、話をしていたら、今年は不況だと言って、80%の営業計画 で、さらに資材は50%しか用意していないので、当たり前だが、後半に急に資材不足で、あわてて注 文してくる場合が多い。特に、箱は最後に不足してくるので、もっとひっ迫した状態で注文が入るそう だ。今年の、初老の注文も、例年ならもう落ち着いてくるのだが、ギリギリになっての注文が多くなっ てきた。幸いに、去年よりは多くなったが、もうすでに正月モードなので、メモリーを割かれて苦しい 。クリスマスに初老のお餅でもないような気がするが、あながち冗談とも思えなくなった。


1998年12月6日

昨日もスーパースケジュールだった。朝、今年一番の量の、初老もち配達と同時に、近くの四十万(し じま)小学校のもちつきをした。5年生以外の分をこちらでついて、先生が車でピストン輸送するとい う技である。この餅米は、なんと子供達が、代かき、田植え、草取り!水周り!刈り取り、脱穀と全て したというのだから、驚く。我が小学校も、もちつきをがんばってやったが、授業をやりくりしてこれ だけの事をするのは、並大抵ではないし、特に農業は、天気に左右されるのでさらに大変だ。おかげで 、感動して、かなりややこしい要求だったが、担当の先生と相談してなんとか出来た。教育というのは 、こんな面倒をする先生や校風が大切だと思う。効率ばかり、勉強ばかり、やっていては、心の教育な んて夢物語である。
その後、次男の保育園の表現会を見に行った。驚くほどの人が見に来ていた。おそらく、園児の倍はい ただろう。この、可愛い可愛いと言っているのが、段々可愛くなくなって、肝心の授業参観の後の、懇 談会には全然来なくなるのとは、ギャップがあり過ぎする。ぜひ、このエネルギーをトータルに使って 欲しいなどと、妙な事を考えているのは、私だけであろうか。
そして、今度は郡PTA連合会の臨時総会と役員研修、そして懇親会に50キロ先の白峰村まで、車を 飛ばして参加した。講師の先生が、子供に苦労させなさい、それが心の教育につながるとおっしゃって いた。そして、東南アジアの事が多く話に出てきたが、今度バングラデッシュに行く私としては、非常 に、シンクロした話だった。「無為の善意は悪である」と言われていたが、まったくそうである。お金 ばかりあげる事は、決して援助にはならない。返って害になる場合が多い。魚より竿を与えねばならな いのである。子供の教育に共通する部分も多い。その後の懇親会は、25年ぶり、お会いした体育の先 生とも話に花が咲いて、春とは違って随分打ち解けて楽しかった。そして、偶然にも泊まった宿が、大 学の同級生の家だったので、彼と嫁さんと深夜まで話をしてようやく睡眠。
今日の早朝、50キロ下って、もちの配達。のし書きのミスや、入れ違いのトラブルがあって、ギリギ リの配達になってしまったが、なんとかクリア。そして、午後より消防の点検日で出動である。サボル 事も、出来なくはないが、今回は団員から初老の注文をもらっていて、どうしても今日持って行かねば ならないので、出ることにした。まだ、長い一日は続く。


1998年12月4日

午前中、餅の商談や役場に用事で出かける。私の、もっとも苦手な商談は、最後まで自社の価値を守る し烈な駆け引きになる。すぐに、卸価格の下げや、売価の下げを提示してくるのだが、頑として受け付 けないか、譲ってもわずかにしている。まあ、一般的な業者からすると、ずいぶん強気な会社と思われ ているだろうが、価値観の喪失が結局、事業の崩壊につながっていることを痛いほど知っているので、 なんとか土俵際でこらえている。そうして来たからこそ、曲がりなりに、お客様に変らぬ価値を提供す る林さんちのお餅とお米でやってきたのである。それにしても、この手の商談は疲れる。
午後は、夜の初老のもちつきが大量にあるので、仮眠をしてからついた。なんとか日付が変らぬうちに 終了したが、明日も早起きで10軒近く配達をする、商売繁盛だ。


1998年12月3日

午前中、もちつきや、袋詰めが現場の方ではあったが、私は、もちの注文やら今度の正月もちの計画やら で、てんてこ舞いだった。パスポートも取りに行ったが、昔と違って小さいし、なにやら写真にも特殊 な加工が施してあり、よっぽど偽造に手を焼いている様が分かって時代の移り変わりを感じた。
午後も、正月餅の計画で頭をひねっているうちに、もう夕方になてしまった。一度、スタートしてしまう と、ロケットの様に飛んで行ってしまうので、この計画は重要である。毎年、弱気な計画をしてしまって は、後半つらい思いをするのだが、やっぱり余るのは恐いので、迷い葛藤の日々が続く。


1998年12月2日

昨晩の講演会の後、ゲームセンター進出反対決議をする予定だったが、先方から中止の連絡が内々にあ った。ようやく、運動に終止符が打たれたが、経営者の英断に感謝したい。この不況で、新しいテナン トを探すのも、かなり困難が予想されるので、同じ経営者のはしくれとして他人事とは思えない。
講演会では、神戸連続殺傷事件で心理鑑定をした先生の話を聞いたが、非常に面白かったし、理論的で あった。あの少年Aは医学的に病気だそうだ。それは、少年時に受けた、肉体的精神的な虐待が原因で 内分泌系がおかしくなるのである。その虐待の原因が、人間には交感神経型と副交感神経型の2種類が あって、その特性を無視した対応が結果的に虐待になる。前者は、良く言えば動きが速い、後者は熟慮 型である。その辺を良く見極めた肯定的な対応が必要だとおっしゃっていた。もちろん、自分は超交感 神経型である。


1998年12月1日

今日は、早朝と金沢市中心に配達があって、大変だった。おまけに、やっと渋滞を抜けたどりついたら 、値切られてしまいがっくり。もちろん、初老餅は値切ったりしないが、雨の中ようやく配達した挙げ 句だったので、困った。このようなお祝いは値切るとケチがつくと思いますと言って、切り抜けた。
その後、経済連さんとの商談だったが、こちらも譲る所は譲って、話をまとめた。こちらの価値は良く 理解してもらっていると感じたからそうしたのだが、わずか数%のやり取りをやっていくうちに、なん だか数字に惑わされているような気になる。その、地獄にはまらないよう、身にしみるサービスをする ことが大切だと思う。
これから、PTAの大規模な講演会に行ってくる。ぐああー、間に合わない!!





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