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あぐらぐち物語 1998年9月分



1998年10月1日

うーーん、カグラモチが少ない。刈っても刈っても、コンバインのタンクに溜まらない。何度も何度も 後ろから落ちているのでないかと、振り返って見ても、そんなことはない。刈れば刈るほど青ざめてい る。新説陽明学からすると、これも次の飛躍への試練と考えれば楽しくなるのだが、やっぱりね。私も 人の子、つらいものがある。
それに、今日から4日の運動会でのハシゴ演技の練習がある。集中力を高めねば。


1998年9月30日

昨日は、大阪の富田林市へ、林田明大氏の講演を、餃子の王将のフランチャイズの株式会社ダイショウ の全体会議におじゃまして聞いてきました。林田氏の講演は、やっぱり苦労して行った甲斐がありまし た。ぜひ、皆さんも「心が技術に勝った」とか「雀鬼と陽明学」という本を買って読まれたら、日々う まくいかない事も、うまく行くこともすべて分かります。この、餃子の王将というところで、私自身あ んまり、うまいもの食べた思い出がないので、結構否定的に見ていましたが、ここのダイショウの女性 社長が志ネットワークの会員ということと、専務が青年塾の2期生ということで、知合いになりました 。ところが、良く聞くと、他の店とは全然味もサービスも違い、いつも列が出来ているそうです。確か に、若い店員さんも実にキビキビ動く姿が印象的でした。たかが、ギョーザでも、志が高いと味もサー ビスも変わってしまうという事実に感動しました。その後、青年塾数名と深夜まで話しが盛り上がり、 朝少し痛い頭で、家に帰ってきました。すぐに、午後からカグラモチの刈り取りを開始したが、希望に 反して収量は少ないようだ。ガックリ
ガックリついでに、帰って来てニュースを聞いていたら、隣りの松任市の市長さんが収賄で逮捕された そうである。去年の市議会選挙で少なからず関係したので、残念なことである。背中を磨くということ の大切さを痛感する。


1998年9月28日

午前中で、もみすりできる分が終了。あとは昨日刈った直播きコシヒカリ分のみ。それにしても予定収 量に達しなかったので、店舗販売用の在庫が少し足りない。前期が気温が低く推移してお米の消費が進 んだというのもあるが、無駄には使えないのは確かである。
しかし、コシヒカリが去年余った分、カグラモチが不足ギリギリだったので、今年はカグラモチは面積 的に余裕がある。なかなか、あっちを立てればこちらが立たずでうまくは行かない。
もし不足の場合は、例え価格が高くても、殺虫殺菌剤を使用していないお米を探すことになるが、なん とか8月までもって欲しい。


1998年9月27日

日曜日だったが、お米の配達をしてとりあえず終了した。しかし、天気予報を見ていると、とても晴れ が見込めないので、思い切ってスクランブルダッシュで、残っていた直播きコシヒカリを刈り取ってし まった。うまく雨の合間に刈れて良かった。こういう時の決断が、今後の予定にすごく影響するので英 断だったと思う。なぜなら、コシヒカリが残っている限り、カグラモチの刈り取りのための掃除も準備 もなにも出来ない。雨が降っているうちに、準備は済ましておきたいので、このコシヒカリ終了は大き い。


1998年9月26日

昨晩は、やっぱり午前様。もう、ひどい二日酔いで、今日一日ひどかった。午前中は、子供の運動会に 出てから、午後は地主さんへ年貢米を届けた。それにしても、PTAの会長さん達は良く飲む、とても ついていけない。それでも、いつも付き合いが悪いと言われていてがんばって繁華街まで行ったが、疲 れからか調子が悪かった。次回は、程々にしよう。


1998年9月25日

相変わらずの雨。昨晩のハシゴの練習も、なんとか気合で乗り切ったが、疲れて朝の挨拶運動には出れ なかった。この辺が、意志の弱さが出てしまったようだ。もみすりも、中村君と三宅君が真面目にやっ ているので、雨の中順調にタンクの中が空になって来ている。それにしても、収量が少ない。やっと、 去年並みか、それ以下の量しか確保できないかもしれない。でも、昨年は在庫が余りそうで、色んな人 に助けてもらったことを思えば、丁度良いかもしれない。いずれにせよ、工業製品ではないから、一朝 一夕に出来ないので、在庫計画は難しい。
さらに今晩、町のPTA役員会と事務担当者会議がある。その後懇親会もあるのだが、明日は朝からも ちの予約があるのと、次男の運動会、そして地主にお米を配る作業があり、結構ハードである。程々に して帰ろうと思っているのは、毎度のことである。


1998年9月24日

まだ台風疲れが、泥のように残っている状態で、仕事をしているが、稲刈りの方も結局雨で出来なかっ た。それに、今日は10月4日の地区の運動会にハシゴで出ることになり練習に行かねばならない。
しかし、ようやくインターネットの方もなんとか使えるようになり、少し通常業務に戻りつつある。肩 の痛みも少しマシになったので、後は天気次第である。


1998年9月23日

結局、昨日午後5時に災害出動。あふれた河川の堤防で土のう積みをした。堤防脇の公園のフェンスを カッターで切り、ハシゴを堤防まで渡し、命綱を付けて手渡しで積んでいく。一時は、その土のうすら 流す勢いで、生命の危険を感じるほどであった。私は、河川の横に流れる2mほどの用水にかけたハシ ゴの上で作業をしていたが、不安定で何度も落ちそうになり、疲れて交代してもらうと、その人が必ず 落ちるものだから、結局2時間半交代無しでがんばった。やはり、ハシゴ演技でそのような揺れる感覚 には慣れているのかも知れないと思った。しかし、最後は爪がむけ腕が上がらなくなってしまいリタイ ヤしてしまった。その頃には、もう台風も抜け水位は下がり始めていた。夜、帰っても肩が痛くて寝返 りをするたびに起きてしまった。
朝、起きてボロボロの体で、昨日の後片付けに遅刻して出動。ホースを片付けたり、消防車を洗ったり で夕方までかかってしまった。それにしても、こんなに災害出動の多い年は初めてである。明らかに、 無計画な開発で、上流の保水能力が落ちている。コシヒカリの残りの田んぼが冠水したようだが、見に 行く元気がない。明日、見よう。


1998年9月22日

結局、昨晩は波動かとうかしらないが、関係者全員がトラブルに巻き込まれていたようで、ラジオの収 録でスタジオにたどりつけた百姓はたった3人であった。プロデユーサーすらコンバインが路上で動かな くなって雨の中、交通整理をしていたようだし、もう一人は、納品トラブルで来れないし、最後にはこ のホームページを管理しているプロバイダーさんが、トラブっているようで、昨日からアクセスできず に日記だけは更新している。もはや生き残りゲームと化しているが、トドメに台風7号が来て、すごい 雨を降らせている。消防からも待機命令が出ている。そんな中、デパート販売最終日なので、撤収に行 かねばならない。おそらく天気が悪かったので、売れ残りの山だろう。俺は、最後までがんばるぞー。


1998年9月21日

朝、起きて、さあ稲刈りだあと思ったら、ザーと無情の雨。せっかく今日コシヒカリが終了すると思っ ていたのにとガッカリ。と、思ってのんびりしていたら、午後から急に晴れて、稲刈り可能に。ところ が、段取りがすでに雨仕様になっていたため、おお慌てで段取りを組み直し稲刈りをしたが、バタバタ してしまい、結局最後は、トラックは溝にはまるし、とどめはコイン精米機が詰まって止まってしまっ た。こんな日は、こんな日とあきらめて、落ち着いてやらねばなるまい。ところが、今から、配達とデ パート行きが残っている。ラジオの収録もあって、相棒に頼んでいたが、さっき電話があり、精米機が 火を噴いて行けないとのこと。これも、波動であろう。しかし、どうしよう、、、。


1998年9月20日

朝から、紺色に近い快晴。もう、UV浴びまくりと言う感じである。コンバインも余りの暑さに今期初 の、オーバーヒートの警告。休み休み冷やしての作業だった。デパートの方も、余りの暑さに売れてい ないとの中間報告があった。巷では、1度上がると、何億の経済効果と言うが、餅とお米に関しては、 涼しい方が売れる。ちなみに、同じ催事場で販売している、本ぶどう園のぶどうは、暑いと売れている ようだ。みんな、その日の天気で、一喜一憂の日々である。そんな中、妻の販売額が、度々トップだそ うである。お米は、やはり高額なので、一つ売れると、金額が上がるためであるが、逆に売れないとガ クッと減る。
そして、妻を迎えに、これからデパートに行くが、本当に10時間以上も販売で立っているのは感心す る。冗談抜きで、越中商人の血はあなどれない。


1998年9月19日

朝から、運動会にデパート、稲刈りと頭がこんがらかりながら、なんとか作業を終了。今から、配達一 件と、デパートへ妻を迎えに行く。ひとつ、イレギュラーで増えるだけで、結構大変である。
運動会は、会長らしく?来賓席に鎮座ましまして、観戦させてもらったが、実はこの来賓席が超苦手で ある。町のエライ人が沢山くるし、いつものようにアホな事も言えないので、真面目に話しをしている 。今回は、校長先生のお許しでジャージで良かったが、普通はスーツでもっと大変である。だから、隙 をねらって、末席の方へ逃げるのが、私の常である。でも、会長という公の立場からいうと、もっと大 人になったほうが、良いのかもと反省もした。ちゃんと、立ってキッチリお辞儀をするという当たり前 の事が、なおざりになっているような気がする。次回は、ちゃんとしよう。


1998年9月18日

さすがデパートと言うべきか、結構売れて、商品が足りずに、おお慌てで餅をついたり、揚げたり、焼 いたり、しかも追加納品に行ったりと、おまけに稲刈りもしたので、せわしない一日だった。
そして、久しぶりに稲刈りをしたが、角刈りをした稲が、ほとんど腐っていた。コシヒカリは発芽性が 悪いので、大丈夫だが昔は、根っこが生えていて、メリメリと剥がすように持ち上げたりした。餅米の 一部の品種で発芽性の良いものは、雨が降ると刈ってないのに立ったまま芽が出るのもあるくらいで、 稲刈り時の、天気はかなり気を使う。それにしても、これだけ長引くとは思わなかった。
明日は、地元小学校の運動会なので、PTA会長の私は来賓席?にて観戦である。でも、天気が危ない なあ。


1998年9月17日

朝、妻を販売場所のアトリオ地下食品売り場に、送っていったが、渋滞で遅刻しそうだった。往復で2 時間近くかかったので、明日はもう少し早く出なくてはならない。しかし、開店時のデパートを歩くと 、みんな綺麗なユニフォームで、起立して「おはようございます!」と会う人会う人に言われるのは、 恥ずかしい。朝のあいさつ運動の時の子供達の気持が分かる気がした。
そして、今日で3日連続の雨。さすがに困ってきた。田んぼに稲があるというだけで、どうも落ち着け ない。田んぼにお札を敷き詰めてあるようなもので、それが、段々雨で痛んでいるような感覚と言えば 分かるかな。見た目にも、稲の倒伏がひどくなってきている。


1998年9月16日

朝からもみすり。それと、いよいよ明日から、地元の大和デパート、アトリオでお米と餅を22日まで 販売する。加賀能登、味人めぐりと題して、本に登場した農家の仲間の物品の販売である。ほとんどを 、妻が仕切っている。富山出身で越中薬売りの商人の血が騒ぐのであろう。デパートではお米も沢山置 いてあり、我が社のお米や餅がどう評価されるかが楽しみである。お米は、1升マスでの計り売りであ る。
午前中は、すごい雨。午後は、強風、そして夕方からは、またまた豪雨。実は稲刈りのために角をすで に刈ってある田んぼある。この雨で芽が出ていなければいいが。
そして、こんな日は、青年塾OB会のために手紙や、PTAのあいさつ運動のお誘いの文章、色々な方 への手紙と、ワープロやら便箋での作業が続く。まさしく晴耕雨読。でもいい加減稲刈りしたいなあ。


1998年9月15日

なんと朝から雨。昨日までそんな気配はなかったのに。一日中もみすりをして、ようやく林農産のお米 がフルラインナップした。
そう言えば、今日は敬老の日だが、私の持論によると、昭和35年以前に生まれた、しかも、昭和10 年以前の人の方が元気である。だから、敬老の日はこれからは、90歳を過ぎたら参加資格があるよう にしないと、人数が多すぎて困ることになると思う。ちなみに、もうここ野々市町でも、人数が多いの で、午前の部と午後の部に分けてバスを手配しているようである。笑い話で、送迎バスが一杯で、あと から乗った人が、「若い者は立て!」と叫んだそうだ。全員75歳以上なので、立った人はいたのか、 いなかったのかは謎である。ちなみに、最近は「寝たきり青年」という方が増えている。仕事から帰っ て家では寝るだけという若者である。そんな意味からも、どっちかというと「若者の日」をもうけて送 迎バスで集めて、集団見合いでもさせたほうが、子孫繁栄するのではないかと考えるのは私だけであろ うか。


1998年9月14日

林農産自慢の?、普通じゃないコシヒカリが出来た。普通の方も、今日刈ったので明日には、出来る。 続続と、新米が店頭に並ぶには、なんだか心踊る気持がする。農協や業者に出すのもいいが、やはり自 社のコンセプトを明確にして売れるので、嬉しい。例えば、カメムシが食べたと言っては、等級を下げ るが、あのカメムシを防除するのにどんな薬を使っているか知れば、そんなのたいしたこと無いと思う はずだし、時々、クサネムの種が混じっている時があって、それも完璧に除草するとなれば、どれだけ 除草剤を散布しなくては、いけないか知れば、これもたいしたこと無いと思う。カメムシに関しては、 あぜの雑草にいるので、セッセと草刈りはしたし、クサネムもがんばってとってはいる。そして、決し て、稲作に適した地域でなく、食味とかで言われると、あまり自信がないが、馬鹿正直に志のみで、作 っているようなお米と思っている。そんなこんなを知って、我が社のお客様が買ってくれているのが分 かるだけに、なお一層感謝している。
普通という意味も、我が社にとって普通という意味で、一般的と言う意味ではない。ケイカル150キ ロ散布、化学肥料散布は7割、除草剤一回、消毒は一切しないが普通である。普通じゃないは、ケイカ ル200キロ散布、カルス菌散布、種子消毒を超酸性水でして、薬剤は一切使用しない、有機肥料散布 も一般的な使用量の7割、除草剤一回、消毒は一切しない。そして、その意味には、もっと深い意味が あって、我が社の経営基本理念に深く関わる。中村君いわく、棒茄子でも幸せな農業法人ということか。


1998年9月13日

昨日は、右肩が痛くて首もまわらない状態で、キーボードを打つのもままならなかった。歳をとると数 日後に、体が痛くなるのだが最近は顕著である。それもあって、この日曜日もしっかり休んだ。妻から は、「家族サービスするつもりがサラサラない人ね」と、言われるが、とてもそんな気が起こらない。 しかし、バイクに乗る気は起きるらしくて、久々に行き付けのバイク屋さんに、愛機ビュウエル号を駆 って勇んで出かけたが、途中調子が悪くなって走りづらい。2千から3千回転の最も常用する領域で、 ギクシャクする。2ヶ月ほど前から症状が出ていたが、もう我慢できないところまで来てしまった。店 のオヤジがキャブをばらしたが、どうも電気系の疑いも出てきた。結局、お店にお泊りになることにな って、この日のツーリングは10キロで終了してしまった。この店は、すでに15年来の付き合いで、 バブルの頃も、踊らずにしっかり仕事をしていた志高い店である。バイクや用品、整備は、絶対に値引 きしないが、完璧に仕上げてくれる。もし、間違った方向に行くようだと、しっかり忠告してくれる。 愛想は悪いし、口は悪いしで、一般受けはしないが、結局生き残っているいるような気がする。本物は やはり残る、良い例だと思っている。
と、ここまで誉めたから、直して下さいと、祈るしかない。本当に、ハーレーは、壊れるとややこしい のである。若い人が、古いタイプに憧れて、格好だけで乗ると、暑い炎天下押すはめになる。まあ、一 回は押してこそ、自分のバイクになるのも事実である。
もう、肩が限界なのでこの辺にするが、予想どうり雨が降らない。明日から、灼熱の稲刈りである。残 りあと、半分である。


1998年9月11日

昨晩の消防のハシゴ練習で体が痛いのと、やけ酒で頭が痛いので、調子が悪い。仕事の方は一日もみす りをしていた。その間隙をぬってバザーのポスターや近くの農業短大への野菜花卉の購入願いを作った りしている。まあ、調子が悪くても、最低限動けるのがリーダーの条件とも言えるし、健康管理がなっ ていないとも言う。
明日、我が社の普通じゃないコシヒカリを刈る。いよいよ、コシヒカリの新米の販売だ!


1998年9月10日

コシヒカリの刈り取りは順調に進んでいるが、先日出荷のアキヒカリの業者渡しと農協の価格差が15 0万円にもなることが分かって、ガックリ落ち込んでいる。後で考えたら、春先の段階で打つ手はあっ たのだが、遅きに失している。とにかく、栽培と金もうけの下手さ加減には、あきれる。あの、寒い日 のあぜ塗り、つらかった田植え、毎日の水周りが頭を過ぎって悔しさが倍増する。でもまた、高い授業 料を払ったと思ってプラス思考することにした。
そんな状態だが、昨晩のPTAの役員会は深夜11時半までバザーの話し合いでかかった。このバザー は近隣でも有名でかなりのお客様が来て、収益がある大掛かりなものである。しかし、役員を含め先生 も初めての人が多く、昨晩は前会長と前会計の方に御足労願って打ち合わせをした。今年のバザーでは ゴミ箱を置かないことにして、ゴミは持ちかえることとした。子供達や保護者にゴミについて考えて欲 しかったからである。とにかく、ゴミ箱を置くとゴミが集まる傾向がある。最近、登山の山にもゴミ箱 は置かないようである。ちなみに、我が社の100円自動販売機の缶専用ゴミ箱の回りにも良くゴミを 置いていく人がいる。最近、目に付くのが、マクドナルドのゴミ。私にすれば、未だにあまりにも粗大 な使い捨て容器が、頻繁に置いてある。どうも、価格の低下と同時に、客層も低下してるようである。 ゴミ一つをとっても、あなどれないのである。我が小学校のバザーの客層が上がるような手を打ってい かねばなるまい。


1998年9月9日

稲刈り、もみすりと同時に、もちつきをした。17日から22日まで、地元のデパートの大和アトリオ の催事売り場で、農産物の販売を仲間でするためである。しかし、暑かった。キチッと白衣を着ると、 汗びっしょりであった。果たして、この暑さで売れるか心配だが、コンスタントに工場を稼動させる事 は機械にも良いことである。
今朝、挨拶運動に寝坊して行けなかった。すると、実は昨日で終わっていた。ホッとするやら、情けな いやら。本当は、毎日立ったほうがいいのだが、今回は期間中だけでも全部立ったので良しとしよう。 それにしても、挨拶が出来ない子が多い。つまり、基本的な人間関係が構築できないということである。 我が社に来るボーイズも、ほとんど出来ない子がいる。しまいには、「挨拶しないと給料やらないぞ」 とまで冗談でいうほどだが、結局、親の教育だなあと痛感する。こんな子供にした責任をどうとるとい うのか。挨拶が出来なかったり、話が出来ないと、非常に誤解を生む場合が多く。しまいには、脳に障 害があるのでないかと言われることさえある。まあ、私自身こんな簡単なことに気づくまで38年を費 やしているんだから、人のことは言えないかも。


1998年9月8日

アキヒカリのもみすりも終盤に入り、コシヒカリを刈り始めた。特に無農薬米を刈ったので食べてみる のが楽しみ。しかし、アキヒカリで農協の出荷分が2等になってしまい。1俵(60キロ)が12、0 00円になってしまった。一等13、500円だから全部で258俵あるので40万円ほどの収益減。 連絡を受けてしばらくは、ぼう然として動けなかった。今年は、乳白といって玄米が白くなる現象が見 られる。やはり天候不順はこういうところに出る。でも、作り方が下手なのはどうにもならない。今晩 はヤケ酒だあ!


1998年9月7日

全開で、もみすりをしている。次のコシヒカリに向け、乾燥機もタンクも空にしなくてはならない。し かしアキヒカリは、1200袋ほどあるので、そう簡単には終わらない。しかも、今日はレギュラーは 残業せずに、私とナイター専用のボーイズとやる予定が、その彼がどうも様子がおかしい。聞くと、昨 晩、熱いお茶を股間にこぼし火傷したとの事。仕事をしているうちに、こすれて痛くなったらしい。使 い物にならなくなっては、一大事と帰ってもらった。笑っては、悪いがおかしかった。人間、いつどこ で、何に出会うか分からないとは、この事である。でも、笑い話で済んだが、以前、下の息子が民宿で 熱いお茶をやはりこぼして火傷した時は、あせった。そんな時は、脱がさずそのまま水で冷やすのが正 解。ちなみに、その時、脱がしてしまい、お医者さんに怒られてしまった。ベロッと皮がむける場合が あって、そこから化膿する可能性があるそうである。


1998年9月6日

午前中は、遅くまで寝ていてブラブラ子供達とテレビを見て、午後は事務所でエベレスト山状の書類の 山を崩した。そして、いよいよ今年度のお米の予約申込書を作成した。今年は、天候不順が影響して、 まだ、収穫する前から問い合わせが多く、みなさんお米だけは確保しておきたいと思っているようであ る。価格は、去年と据え置きで行こうと考えている。我が社のお米の価値は不変であり、高くも安くも ならないという考えである。さらに、今年は無農薬米をアトピー皮膚炎の方、玄米食の方に販売する。 価格も10キロ4、500円で、普通じゃないコシヒカリと同じにしてある。どうも、この手は高すぎ るのが、気に食わない。病気の人の弱みにつけ込むと言う感じがしてならない。我が社の無農薬米は、 中村君が、がんばって草取りした逸品である。ぜひ、少量だが欲しい人には食べて欲しいと思っている。


1998年9月5日

うまい具合に、アキヒカリの刈り取り終了。明日は、久しぶりの日曜日である。それにしても好天が続 く。あれだけ雨が降ったので、もう年内は降らないのでは思うほどである。
先日の、青年塾サマーセミナー以来、青年塾のOB組織について考えを巡らしている。塾長がなぜ、わ ざわざOB会を作ろうとするのか、あんまり理解出来なかった。そもそも、自主的な会であり、どっか にあるような同窓会組織では意味がない。しかし、これから例えば、10期600人とすると、どこか で一本、筋を通すべきと気づいた。「いやー人数が多くなればいろんな人がいますよ」というのは、こ と志に関しては、あってはならない。タバコを投げ捨てたり、食べ散らかしたり、という人間としての 基本を外すようであれば、一般の団体と変わらなくなってしまう。その志の規範を示す意味でも、人数 の少ないうちに、組織せねばならないだろう。
こんなことや、PTAで「おやじの会」が出来ないかなとか、救急法の講習会が出来ないかなと考えて 稲刈りしているので、結構忙しい。


1998年9月4日

昨晩のラジオの一本目はさすがに切れがなかったので、2本目はコーヒーを飲んで気合で決めた。その 後のハシゴの練習もなんとか出来たので、今日は体の調子が良い。やはり、最高のストレッチである。 とは、いいながらもう、盆明け以来、みんな休み無しに働いていて、体力的にピークを超しているのは 、目に見えている。そんな時、県外の大学に行っているボーイズが夏休みで帰って来て、すぐに手伝い に来てくれた。そんな時は、救世主に見える。彼だけでなく、みんな仕事帰り、学校帰りに、気にして 顔を出してくれるボーイズも多い。ありがたいことである。その辺が、うまくは言えないが、我が社の 最高の特徴である。


1998年9月3日

限界領域で刈っている。その後の、もみすりともう疲労はピークに達している。こうして、打っていて も焦点が定まらない。しかも、この後、ラジオ収録と、消防ハシゴ練習がある。信じられない。
ご飯を食べて、風呂に入れば少し持ち直すかもしれない。日本一体力の無い百姓はつらい。


1998年9月2日

効果は、2回目から早くも出てきた。子供達も慣れるのもあるが、こちらが自然体になれるかどうかが 挨拶の分かれ目であると感じた。
稲刈りの方は、ようやく早生の稲刈り作業の請負が終了し、アキヒカリという加工米の刈り取りに入っ た。ほとんどが、市街地の稲作には向いてないところに、病害虫、倒伏に強いアキヒカリを植えてある ので、コンバインはコンクリートジャングルの間を、戦車のように刈り進んでいく。我が社が借りてい る田んぼなので、地理のくせも分かるし、なによりもアルミブリッジで橋をかけなくても良いように、 土でスロープを作ってあるので、ほとんど停止せずにガンガンいくことが出来る。おかげで、第3クォ ーターまでには、乾燥機4台が一杯になった。そして、これからが大変である。明日もこの調子で刈る 為には、タンクを4台空けねばならない。しかし、ハイペースがたたって疲れ果てた体で、もみすりを したが、明日午前中は、もみすりをせざるを得ない。
それにして、いるはいるは、虫が。ツマグロヨコバイ、ウンカ、コブノメイガ、いわゆる害虫と呼ばれ る虫達、そして、バッタ、キリギリス、コオロギ、カマキリ。なんたって、一切殺虫剤は散布してない ので、よそからも来たのを含め、刈り取って最後の一行を刈ると、グウワアーと出て来て、全身虫だら けになる。幸い、私は、カエルは絶対だめだが、昆虫類はまったくノープロブレムなので、関係ないが その間は、呼吸を止めて刈る。呼吸をすると、鼻の穴に入ってくるのである。それでも、耳の穴に入っ てくる物好きはさすがに困るが、いわゆる、これが無農薬の世界と思って頂ければいい。これが、もう 少し落ち着けば、天敵も出て来て自然の循環に入るのだなあと思って刈っているのは私だけであろうか。


1998年9月1日

今日から、子供達の二学期。それに合わせて、「あいさつ運動」なるものが10日間始まる。これは、 通学路に立って、おはようと挨拶を子供達にするのだが、どこの誰だか分からないオッサンが言うので だれも、返事をしない。この前のラジオで要らないものコーナーで取り上げたくらいである。要するに 、家庭であいさつしないのに、外でするはずがないという、言い分なのだが、最近、ハッと気づいた。 10日間ある挨拶運動に、当番で1回か2回しか出ていない。これじゃ、だれもしてくれるわけがない 。ということで、明日から毎日出てみるつもりだ。でも、起きれるかなあ、、。





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