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あぐらぐち物語 1998年8月分



1998年8月31日

実は、28日の朝、雨が降っていたので、居ても立ってもいられず丹後半島に急行したので、日記が 3日間もお休みになった。電話もないところなので、メールすら送れなかった。しかし、フル参加出 来て良かった。休校シンポジウムやキャンプファイヤー、そしてこれからの日本を考える討議等など、 充実した3日間だった。充実し過ぎて帰りの眠かったこと。
休校では、総勢80名の研修生と40名の会員で10年ぶりの大掃除をした。掃除研修で鍛えに鍛え られたつわもの達によって、びっくりするほどによみがえった。その後の、討議は単なる休校廃校を 考えるのではなく、今までの日本、これからの日本を考えることになった。夜のバーベキューでは、 野外コンサートやキャンプファイヤーを塾生自身の手作りの形で行い、思い出深い体験をさせてもらっ た。最終日は、松下政経塾の卒業生を交え、これからの日本を考える討議が行われたが、もはや国民が 自主的に良くしようと思わねばどうにもならないところに来ているのをヒシヒシと感じた。ニッポン株 式会社はとっくに倒産しているので、一度破産してやり直す日が必ず来ると確信した。それは決して悲 しい事ではなく、親方日の丸から、自己責任への輝かしい転身につながるものだと思う。
というわけで、朝からもみすり稲刈りとぐずつき気味の天気を縫って仕事をして、一気に現実に引き戻 されている。でも、疲れ果てた体の奥に暖かいものを感じるのは、私だけではないと思う


1998年8月27日

朝から稲刈りをしたが、午後から雨が降ってしまった。明日も、雨のようだし、しばらく稲刈りはお休 み状態になる。この隙に、丹後半島でのサマーセミナーにおける、休校シンポジウムの準備や、夏休み 明けに向けての、PTA会長の挨拶文を書いている。
休校と廃校の差は、廃校にしてしまうと、その地域でその維持経費を負担しなくてはならないが、休校 だと教育委員会が見てくれるそうである。そして結構、私の知合いでも廃校を利用している方がいて、 色々質問している。滝沢さんもの一人だが、やはり芸術家タイプが多いみたいだ。
この後、青年大会の交流会に行くが、なるべく早く帰ろう。だめか、、。


1998年8月26日

実は、私、かなり往生際が悪くて、今晩ある会で林田明大という方の講演会に行きたくて行きたくて、 グズグスやっていましたが、結局行けずに、今、日記を書いています。こういう時に行くのが、本来の 豊さだが、やり過ぎも良くない。難しいところだ。大体、私の場合「やり過ぎエリア」にすでに入って いる。今晩、妻は皇太子夫妻の接待でいないし、明日は青年大会の交流会に夫婦で参加するし、現在動 けるのが私と弟ぐらいなものである。
しかし、なんやかんやと言いながら、稲刈りは順調に進んでいるような気がする?人がいないので、逆 にあきらめて落ち着いて刈れているのかもしれない。関係ないが、稲刈りをしていて何やら臭いので、 不審に思い、その方向を見たら、なんと猫が死んで腐っていた。おまけに、クローラーで踏んづけたみ たいで、毛が抜けていた。どうして、田んぼの中で死んだかは定かでないが、稲刈りの掻き揚げ部分で 引っかけなくて良かった。ただでも、その手は苦手なのに気を失ってしまう。すかさず、「南無阿弥陀 仏」と唱えたので、きっと成仏したことだろう。良い人にあったと猫も今ごろあの世で感謝しているに 違いない。しかし、浄土真宗系の猫だったのだろうか?


1998年8月25日

午前中、雨でもみすりをして、午後から稲刈り。8月7日未明の大雨で洪水になった地区を刈ったが土 砂は、たまっているし、変なゴミが出てくるし、そして押し流されて倒れた稲は腐っていて刈れなかっ た。まだまだ、中国や韓国の洪水に比べれば、まったく大したことがないが、それでも自然の脅威を感 じるには十分であった。
今日の夕方より、中村君が全国農業青年技術交換大会のスタッフで28日まで不在である。さらに研修 生の三宅君も27日はスタッフとして川下りに参加することになった。ただでも、稲刈りで大変な時期 でとっても痛いが、豊かさというのは、実はこういう時に出れるか出れないかが、キーポイントなので ある。百姓はとにかく田んぼにいると安心するので、このような時に出ないことが多い。そのことが、 井の中の蛙となって、さらに悪循環を生んでいる。だから、あえて三宅君にも出てもらうことにした。 さて、うまく川を下ることが出来るやら。


1998年8月24日

稲刈りをした。なんだか、暑い日でしんどかったが、雨が降れば降ったで文句を言い、暑いと言って文 句を言う。反省をせねばなるまい。おかげで、お米の方も一息ついたと思う。しかし、やはり収量は少 なく恐くて収量計算が出来ない。
夕方、ライスセンターの前にテントを張ったが、これがとどめで、めまいがした。おまけに夜、PTA の町の常任委員会というのがあって、さらに東京から知合いが急に来て、今から飲むことになった。こ りゃ絶対に死ぬパターンだ。中村君も、全国大会の準備が押し迫って来て、キツクなってきたようだ。 こういう時は、倒れる前に雨が降るものである。しかし、中村君、皇太子殿下の前で、きっと何かやら かしてくれるはずだ。社をあげて期待しているぞ!


1998年8月23日

日曜日だが、もみすり(お米の籾殻をとって玄米にする作業)をした。やれる時に少しでも、乾燥機と タンクを空けておかねばならない。乾燥 機は40石(一石約150キロ)が4台とタンクは約70石が4台、40石が1台ある。しかし、基本 的に、お客様で乾燥機とタンクを分けるので、これらをフルに使うことはない。効率は悪いが、お客様 の立場になれば、混ぜてほしくないのが人情である。したがって、もみすりをしては、空ける作業がこ れから毎日続く。以前は、コンバインの性能が低く、刈り取りに時間がかかったため、もみすりの時間 がなく、やむを得ずフレコンという大きな袋にタンクから抜いては、稲刈りをしていたが、抜く作業も さらに、もう一度タンクに戻す作業も時間がかかり、非常にロスが大きかった。ライスセンターが、足 の踏み場もないほど、フレコンで埋まってしまったものである。今は、刈り取りスピードがアップして 早めに帰ってもみすり作業が出来るので、楽である。楽といっても、毎晩8時までオニギリをほおばり ながらの作業である。


1998年8月22日

相変わらずの市街戦が続くが、あんまり青いので、今晩は残業なしで、研修生の三宅君が昨日から来て いるので、歓迎焼肉を食べに行くことにした。
我が社のデザイナーが、誤植で7000部もの修正を手書きで、やるはめになっていたので、スーパー ボーイズ、レデイースに、頼んで一日手伝ってもらった。それでも約4000部ほどしか修正が出来なか ったが、一人でするより、はかどったと思う。私の後輩とは言え、二つ返事で一日つぶして手伝う彼ら はスーパーというにふさわしい奴等だ。
関係ないが、最近チョミ吉(我が家のオス猫)が制圧領域を増やすための、3日ほど帰って来なかった と思ったら、喉はガラガラ、おなかはペコペコ、おまけに泥だらけで、首の後ろには傷を負って、帰っ て来た。ひたすら、食べて寝て、また出て行く。その後ろ姿に思わず、男らしさを感じるのは私だけだ ろうか。


1998年8月21日

稲刈りを開始したが、やっぱり青い。我が社の都合を言えば、26日から30日まで、私や従業員の皆 様が全国農業青年技術交換大会や結婚式、青年塾で入れ替わり立ち代わりで不在なので、なるべく早め にスタートを切りたい。しかし、上甲塾長にも自分の都合で動くことを、きつく戒められているし、な によりお客様に悪い。ここは、リスクを背負うが、月曜日から全開で刈ることにした。なんとかなるで しょう。
それにしても、市街地は疲れる。それも今日と明日は高級住宅街と商店が建ち並ぶ中での作業で、おま けに大雨で田んぼが柔らかく、それがコンバインの足であるクローラー(ゴムの無限軌道)に付着して 移動の時、盛大に道路上にまかれることになる。その除去だけで相当の時間と労力がかかってしまう。 しかも、田んぼの数の割には面積が少なく、作業料は面積で請求するので、ますます割に合わなくなる 。もうこうなると、志高く生きるという意地でやっているようなものである。でも、市街地で田んぼを 作っている人の身になると、むげに断れないのである。この前の大雨の時も、きっとこの辺の田んぼも 水を一杯にしてがんばったと思うと、どこかで、補助金をもらって百姓をしている人に成り代わってや ってあげねばならないだろう。
というような考えでは、まだまだ青い。ここは、やはり苦労をさせていただいている。ありがたいと書 かねばと、また反省した。仏の道は、未だ遠い。


1998年8月20日

今、稲刈りを少してきたが、まだまだ青い。水分値も26%と高い。これを15.5%までに落すには 灯油をたき過ぎる。この水分値というのは、微妙で15%を切ると胴割米になりやすい。胴割米とは書 いて字の如く、お米が乾燥し過ぎて真っ二つに割れた状態で、まず精米した時に歩留りが悪い。普通は 10%程がヌカでなくなるのだが、胴割米の場合は飛躍的に白米になる率が悪くなる。お米屋さんは、 この精米時の歩留りが、コンマ数%でも良いと利益になるので、神経質である。また、胴割米を炊いた 時は、なにやら「糊状」になって食感、食味とも非常に悪くなる。
我が社では、この水分値を少し高目の16%に設定している。年内から春にかけて食べるのであれば、 これぐらいが、おいしい。しかも冷蔵庫を持たないので、少しずつ乾燥して15%ぐらいに最終的に 落ち着くのである。
今度は高水分米、17%以上の場合は、まず精米機が詰まる可能性が高い。積んでおくと、袋が湿っぽ くカビや、へたすると発酵して腐る場合もある。乾燥前のモミを4時間以上トラックに放置しておくだ けで高温になって発酵が始まるくらいである。油断は出来ない。結局、お米は生物なのである。


1998年8月19日

いよいよ盆休みも明けて、営業開始だがどうも休みの時の方がハードだったので調子が出ない。あんま り回転数の上がらない頭で、稲刈りの段取りを始めている。今晩は、ラジオの収録も3本あるしで、明 日もこんな調子かもしれない。
明日から、ハナエチゼンという極早生を少しだけ刈る。掃除はしたがコンバインと乾燥機やもみすり機 等にわずかに、残っているカグラモチを、これを循環させて除去するためと、機械の調子を見るためで ある。どれだけ、一生懸命掃除しても、どこかに潜んでいるもので、かつては暑い最中乾燥機にもぐっ て脱水症状になる位、掃除してもいざ、袋に詰めてみると結構残っていてトラブルを起こした。さらに 昔は大麦も栽培していて、この掃除は大変だった。良く麦飯が出来てしまい、結局家で食べるしかない ことが良くあった。そんなことを思うと、わずかのロスで済んで最大の効果があるのでこの方法は、う るち(ご飯にする米)ともち米(もちにする米)の切り替え時には有効である。うるちにもち米が混じ ると炊いた時、色が黄色っぽくなり、匂いが臭くなるのが早くなる。炊き立てを食べる分には、もちも ちしていて美味しい人もいる。もち米にうるちが混じると、もちにブツブツと粒が混入した状態になり 製品にならないので、事は重大である。だからうるちからもち米への切り替えはより慎重に行うのが常 である。本当は、専用の設備があればいいのだが、貧乏な我が社では望むべくも無い。


1998年8月18日

富山で、妻の実家に帰った亭主らしくおとなしく上げ膳据膳の生活をして帰ってきました。帰ると同時 に、見学やらお米の配達やらで間髪を入れずに、元の生活に戻ってしまった。実は本当の休みは、これ からなのだが、状況はそれを許さないようである。しかし、コンサートの後はずーーと雨でが降って、 そこら中からキノコが生えてきそうである。
それに、ついに我が社の米も出荷先からの返品でなんとか手当てしていたが、そこもすでに限界にきて しまった。今年は冷夏で、お米が売れているようで、そこも在庫が底をつきそうで心配していた。しか も、不作が追い討ちをかけて、大変な年になりそうな予感である。とにかく、我が社のお客様の分は、 何がなんでも確保したい。


1998年8月15日

完璧だった。天気も、演奏も、打ち上げも、ついでに今日の海水浴までも良かった。本当に、昨日の朝 は青空を見て鳥肌が立つほど、神がかり的だったが、きっとこんな所で運を使い果たしているんだろう なと感じる。聴衆も、御陣乗太鼓とのジョイントもあって宿泊客も多く来てくれて、おそらく500人 以上はいたと思う。途中、座席が足りず、立ち見の人も出たくらいで、演奏者の滝沢さんも、恍惚とな っていた。準備段階では、今回は岩の上でなく舞台を設置したのと、演奏者や楽器が増えたので、時間 と労力がかかった。その分、観客との距離も短く一体になれたように思う。
朝、起きていくと、時間前なのに、もうほとんど片付けが終わっていて、あらためてスタッフの優秀さ に舌をまいた。その後、美大時代の友人家族と海水浴をして、昼過ぎについに雨が降ってきたので、大 渋滞の能登海浜道路で帰ってきた。そして、今晩から富山の妻の実家に帰るので、しばらく日記はお休 みです。そうして、私の短い夏も終わりを告げ、いよいよ、稲刈りモードである。果たして、収量はど うだろうか?運を使い果たしている、今の私では危ないかもしれない。いや、そのまま行くのでは。さ あ、どっち?


1998年8月14日

晴れた!奇跡的である。とにかく、今日一日だけでももって欲しい。そろそろスタッフも集まり始め今 から、出発する。成功の報告を乞うご期待。


1998年8月13日

今日も雨。もうどうにでもなれという気持だ。明日の、海辺のコンサートの天気も気になるし、稲の生 育も気になる。しかし、どうにもならないので事務所で店番しながら、パソコンのデータのバックアッ プに精を出していた。ここ最近の雷も、油断ならないのである。
昨晩のコンサートの打ち合わせの後、前座バンドの練習を見に行ったが、実に素晴らしい。こんな才能 を隠し持っていたとは、去年の即席のとは違い今回は気合が入っている。ぜひ、明日素晴らしい天気で 演奏して欲しいものである。それに象徴されるように、今回の企画は実にそれぞれの、タレント性が生 かされていていい企画だなと自画自賛している。
しかし、今晩消防の操法大会の打ち上げがある。なんで今ごろなのかというと、当日、あまりの疲労で 人数が揃わず、延び延びになっていたものである。さすがに、勘弁して欲しいが、仕方がない。軽く済 まして帰ろう。と、いつも思ってはいるのだが、、、。でも本当に早く帰らないと。


1998年8月12日

相変わらずの雨で、午前中床屋に行ってから、夕方からNHKで今度の海辺のコンサートの告知でスタ ジオ収録があった。2年前もやったが、今回もやはり難しかった。緊張はしなかったが、なかなか自然 体で話すのは、まだまだ修行が足りない。今晩放送だが、自分で見ると笑える。床屋に行って眉毛の形 がイマイチだったのが気になる。
今晩、そのコンサートの前座バンド練習と、打ち合わせ、おまけにラジオの打ち合わせと目路押しであ る。


1998年8月11日

午前中、社会保険事務所へ年金額算定基準の面接に行って、その足で、北信越ブロックの法人協会の意 見交換会に出席した。主な議題は、農業法人の社団法人化と農業への株式導入の是非だったが、結論か らいうと、すごくネガテイブな議論に終始してしまった。農業法人協会の基本理念そのものが各県で温 度差がある上に、さらに社団化とは一体どう会員に説明していいか分からないというのが本音だった。 でも農林水産省側では、今までの任意団体では物を言えない。社団化して社会的認知をしてもらい、政 策を提言して欲しいということであった。しかし、農業法人協会自体のアイデンテイテイが確立してい ない現状では難しい感じがした。私自身は、法人というからには、儲けて法人税を払うことによって 社会的認知を得ると信じているので、基本理念を「農業で儲けて、社会に還元する」ぐらいにしたらど うですかと発言したが、通じなかったようである。
さらに、盛り上がったのが、株式の問題。結局大半の時間を、株式の前に、農林水産省は法人を担い手 にするのか、集落営農を主にするのか、どっちなんだと詰め寄る話と、農地の仮登記による違法転用の 危険性について費やされた。私のような、環境では集落営農とのバッテイングはないが、どうも皆さん 相当ストレスを感じているようで、真剣に株式等で担い手を考えているなら、今の法人や認定農業者に もっと施策をしろということだった。たしかに、30ヘクタールの農業法人がバンバンあれば担い手の 問題は解決してしまう。しかし、あまりにもネガテイブな話ばかりなので、途中ついに、せっかくの意 見交換会なんだから、もっと株式の有効性について積極的な意見交換をしたらいいのではないかと、言 ってしまった。株式を必要としている農業経営もあるはずだし、リスクを回避するための方策も議論し てほしい。問題は、こんなネガテイブな議論に終始する農業法人の体質に問題があるのではないかと発 言してしまった。また、やってしまったと思ったがその後に続いた石川県の方々がそのとおりだと言っ て、積極的な発言で応援してくれたのはありがたかった。どうも、私は農業界の鉄砲弾のようである。 鉄砲弾は鉄砲弾らしく切れ味鋭く切った方がいいらしい。


1998年8月10日

大豆の消毒をしたが、のらりくらりと仕事をしている。唯一、チャーミングに無農薬や環境問題をクリヤ するのは、実はこれしかないのである。やれ、風が強い強いなど、薬がまだ届いてないなど言い訳はいく らでもある。そうして、夕方になり和醸日本酒の会という私の所属している会でもかなり面白い集まり に参加した。久しぶりに酔っ払ってキーボードを打つ難しさを実感して書いています。あー酔っ払って いるーー・


1998年8月9日

年間に何日あるかないかの、何もない日曜日。珠玉の一日の午前中は近くの町営のプールに子供達と出 かけた。このプール、以前死亡者が出てから、規制が強力になり3年生以下は最低二人に大人一人が、 ついて泳がねばならない。したがって、今日は子供の友人兄弟も来たので、私と妻の二人で行くことに なった。少しでも離れると注意を受けるので、子供と一緒について泳ぐのでくたびれた。おかげで、午 後は、昼寝がたっぷりできた。こうして、珠玉の一日は過ぎて行く。本当は、コンサートの準備でもす ればいいのだが、脳みそがお休みモードに入るとテコでも動かないのはなぜだろう。


1998年8月8日

朝の地元の新聞(北国新聞)に、用水があふれて倒れている稲の写真が出ていたが、良く見ると我が社 の稲であった。みんなで、のしかかっているゴミを撤去しに出かけたが、ついに我が社の稲もマスコミ デビューだ。しかし、それもほんの極一部であって、あれを見た人は、ほとんどの稲が被害を受けたと きっと誤解するだろうと思った。
午前中、新規に農業を始めた田中純一さんという青年が、バケツ苗を通じて一般の人達と農業を語る会 を催していて、その講師に金沢市の芸術村という所に出かけた。一言にバケツ苗といっても各人各様で 面白かった。そして、まったく素人に農業の話をするのは、私の志の一つであるから、張り切って話を した。このように地道に農業を知ってもらおうとする田中さんの活動には拍手であった。


1998年8月7日

昨晩は散々だった。深夜に雷雨が激しくなり、これはヤバイと思い消防に出動したら案の定、警戒警報 が出て、結局徹夜で警戒に当たるはめになった。用水という用水、排水溝という排水溝から水があふれ て、大変だった。我が社の田んぼも冠水とは行かないが、あふれた水とゴミでなぎ倒されたところもあ る。新潟に比べると、微々たるものだが自然の恐ろしさをまざまざと見せ付けられた感じがする。しか し、上流の開発がいかに治水能力を低下させているかは一目瞭然であった。ほんの30分で見る見る川 の水位が目一杯まで来た。あと、1時間激しく降ったら、どうなったか分からない状況だった。そんな 、時でも田んぼは必死に水を溜めて我慢しているように見えた。良くがんばったと誉めてやりたい気持 である。
そして徹夜明けでそのまま、長田君と曽々木海岸へ海辺のコンサートの現地打ち合わせに行った来た。 現地の人も去年の経験があるので細かいところまで協力的で助かった。しかし、眠くて倒れそうだった 。ところが、長田君が話し掛けてきてほとんど眠れず、帰ってきてこれから地元の盆踊りの警備でまた また消防で出動である。ここまで来ると笑ってしまう。


1998年8月6日

大豆の草刈り終了。午後は、雨で仕事にならず、お米を運んで終わりにした。それにしても、ここへ来 て良く降る。それも、バケツをひっくり返したように突然降り出す。熱帯雨林のような気候になってい るので刈った草が、1週間も経たないうちに良く育つ。でも、今年は除草剤の使用量もずいぶん減らせ て良かった。しかし、草は育つがお米の方は、少し心配である。極早生のハナエチゼンをなるべく早く 刈ってお金にしないと、今月はヤバイ。明日からカラッと晴れて連日猛暑が続かないかと思っているの は、浜茶屋と私くらいか。


1998年8月5日

草刈り半分と、海辺のコンサートの宿泊の段取りをした。今回は特に混成部隊なので、宿泊もバラバラ に順番に部屋割りとは行かない。せっかくのお泊りだから家族で知り合い同士、友達同士を組み合わせ てあげたいので頭を絞っている。観光協会案内センターも、各民宿に均等に泊めさせたいし、部屋数も あるしで、お互い大変である。また、ドタキャン、ドタインがまだあって決めかねている。私の仕事は コンサート当日までで終わってしまうものが、ほとんどである。当日は、我がスタッフは、短い指示で 良く動くので、去年も演奏者の滝沢さんが絶賛したほど。今回は、前座バンドも結成して練習するそう で、あとは天気が晴れることを信じるのみ。雨が降るなんてまったく考えていないところが、スゴイと 良く誉められるくらいだから大丈夫。念ずれば晴れる!


1998年8月4日

まる一日、久しぶりに農作業をした。草刈りは、結構しんどいが、色々考え事が出来て好きな仕事であ る。で、思い付いたのが、今度の海辺のコンサートの告知をこの日記でしていなかったのではというこ と。

8月14日 輪島市 曽々木海岸にて午後7時半開演
      この海を二度と汚すまい 海辺のコンサート’98
演奏 滝沢組 御陣乗太鼓
問い合わせ先   林農産   076−246−1241
宿泊予約先 観光案内センター 0768−32−0408


現在スタッフ総勢60名ほどが、行くことが決まっているが、肝心の下見が副実行委員長の長田君のギ ックリ腰で延期になって困っている。さてさて今年は、どうなることやら。


1998年8月3日

さすがに、日記が更新できないくらい疲れてしまった。もう堪忍して頂戴状態。こう連日出動があると まいってしまった。まず、1日のハシゴ演技はかなりヤバイ感じで終了した。やはり、暑さでまいった 気がする。そして、2日は、午前中近所の生協でトウモロコシ狩りがあって家族で出かけた。もう蒸し 暑くてあの高いトウモロコシ畑では子供の泣き叫ぶ声が聞こえて、さながらベトナム戦争という感じで あった。一家族10本の割当だったが、もうすでに取り尽くされて探すのが大変だった。しかし、私も 知っている農家が無農薬で作ったもので、なんと生で食べることが出来るのである。そう言えば、タケ ノコも6時間以内なら、サシミに出来るのだが、これも4時間以内なら大丈夫だそうである。そして、 アブラムシを防ぐために天敵のテントウムシを使っているそうである。それにしても美味であった。
そのあと昼過ぎには、今度は町の祭りの警備にまたまた出動。夜まで交通整理や、警備をしたが途中、 雨がひどくなり合羽を着ての警備は本当にしんどかった。思えば、7月に入ってハシゴの練習でずいぶ ん出た気がする。これも、あんまりやり過ぎると有り難味が薄れる。ちなみに5日の近くの病院での演 技は中止になった。はっきり言ってホッとした。
今日は、夏休み明けでリフレッシュして出てきたが、私はもうドロドロ状態。海辺のコンサート、給与 支払、年金の算定基礎の手続きと、やっているうちに夕方になった。久しぶりに家族と夕食をとれそう である。


1998年8月1日

滋賀県には結局、弟の250ccのスクーターで行った。半分正解で半分失敗だった。もうとにかく 暑くて暑くてめまいがした。こりゃハーレーだと大変だった。しかし、行楽客で大渋滞だったがバイク だったのでなんとかなった。バーベキューはすごく盛り上がったが、ここへ来ている連中は肯定的な人 ばかりだから、農政が悪いとか転作問題とかは余り話題にならず、みんなの経営手法について話し合う ことが多かった。そしてさっき、大渋滞の中、琵琶湖一周してフラフラになって帰ってきたが、今から まつりでのハシゴ演技に出動しなくてはならない。気合を入れ直してしっかり持とう。





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