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あぐらぐち物語 1998年4月分



1998年4月30日

午前中、色々な理由で二人スタッフがいなかったので大変だった。研修生の三宅君もだいぶくたびれて いるところへ、これだから段々研修らしくなってきた。私にしても、どうも喉が少しイガイガするが、 風邪というよりは、田植え機の排気ガスだと思う。低速で走っているにも関わらず、車体前部の底面か ら排出されていて結構、鼻につく。本当に煙突マフラーにしてもらいたいものだ。
そのような、絶好調な上に月末の給料計算、HPの月次更新があり、とどめに「ののいっちこを育てる 推進会議」があった。フラフラになって行ったが、あいさつ運動を始め、昨今の青少年のテレクラ、タ バコ、非行問題に具体的に取り組んでいる組織であるので、どうしても行っておきたかった。楽しいP TAもこのような所も押えた上での活動が必要であろう。でなくては、ただのばか騒ぎの会長になって しまう。もう、なっているか。


1998年4月29日

田植え開始。去年より、半日遅れだった。なにやら、色々ヤボ用が重なったせいで微妙に遅くなったの だと思う。無農薬用の田んぼも代かきしたが、一度雑草を生やしてからもう一度する。すると、あんま り生えないそうだ。ホンマかいな。
田植え機は、我が社の農業機械の中で一番、電子制御が多い機械である。非常に便利な機能だが、ひと つでもスイッチが入ってないと誤操作するので難しい。ジェット旅客機のエアバスが、コンピュータの スイッチを入れ忘れただけで墜落するようなものだ。


1998年4月28日

代かきが、半日分残ってしまった。明日は、世間様はお休みだが、我が社は営業である。さすがに、み んな疲れているのが分かる。なんとかしてやりたいが、現状で目一杯である。おまけに、月末なので色 々な、用事が出来て集中力を欠く。とどめは、もちつきだった。去年までは3月までしか製造しなかっ たのだが、今年はAコープで定番の棚が割り振られているので切らすわけにいかなくなった。あまり、 売れないとはいえ、作り置きは出来ないので少しずつ作っている。12年経ってようやく夏でも売れる ようになったということか。


1998年4月27日

あと、代かきが一日分。そのあと、すぐに田植えだが、ここ数日市街戦なので、非常に消耗している。 とにかく、入り口に車は停めてあるは、歩行者も多いし、幹線道路の横断は冷や汗が出る。それも、こ れも、私の成長のためにあると思ってやっている。おかげで、最近は成長し過ぎだ。


1998年4月26日

昨晩は、予想どおりしゃべりまくってしまった。これは、もうウイルスに冒されていると思ってあきら めることにした。その分、人の話も聞けばいい。無理か、、、。
昨日、泊まった「山和荘」(名前を書けと言われた)では、友人の奥さんが今日、出産予定日でおなか が大きい状態だったが、今まで私の話を聞いて大笑いした直後に生まれるということが起きているので、 きっと今ごろ、頭が出てる頃だろう。安産間違いなし!


1998年4月25日

午前中、PTAでサツマイモ用のマルチがけをした。マルチとは、薄いポリのシートで畑の上に敷くと 草が生えないというものである。そこに、苗の分の小さな穴を空けて植えるわけである。その時に昨晩 の文化教養部の部会で、私がしゃべり過ぎたことを指摘された。どうも、最近張り切り過ぎて、しゃべ り過ぎるようである。「信じて、任せる」という基本は青年塾で学んできたはずなのに、反省。
夕方から、石川郡のPTAの会合が白峰村である。懇親会もあるので、帰れないついでに白峰の友人の 民宿に泊まろうと思う。やっぱり、しゃべり過ぎるだろうなあ。いっそのこと、どこかでいやと言うほ ど話せばいいかも。


1998年4月24日

今年は異常に気温が高い。おかげで、苗がスクスク育ち過ぎて、みんな困っているようだ。我が社の苗 は、まあ長いとは思うが、そんなに極端には長くない。大体、みなさん、蒔く種の量が多すぎる。苗箱 といって30センチ×60センチの箱に、我が社は110グラム位。一般の人は140グラム以上蒔い ているらしい。そりゃ、ブワッと生えた方が見栄えはいいが、一本一本が細くて長くなってしまう。子 供も同じで、過保護にしたら悪い子になるのは、自然の摂理である。
ラジオのことが、本当にNHKで放送された。明日の朝も7時半から総合であるらしい。今回は、今本 君といってラジオ制作の中心人物がメインだが、私の妻も出てるので、興味のある方はぜひ、見て下さ い。今本君は、農業青年では珍しいジャニーズ系なので、やっぱり絵になるなあ。すると、私は何系?


1998年4月23日

事務所の私の机の上が、段々とエベレスト状になってきた。とても、志高い状態ではないが、どこかで 私が、忙しく仕事をしているのを見て、電話をかけたり、書類を送ってくるとしか思えないタイミング である。まあ、腐るものでないので、積んどくか。
そして、今から消防のハシゴで金沢の分団との合同練習に行く。かつて、金沢の親切な団員が、多町の 消防団にハシゴ演技「加賀鳶」を教えたら、無形文化財保護法だったか、なんだかに引っかかるとクレ ームがついたそうである。したがって、あくまで我々のハシゴ演技は「勇み鳶」と言って違うバージョ ンである。でも、隣町だし、決して金沢の消防団がすべて「加賀鳶」を出来るわけでもない、このご時 世に矛盾を感じるのは私だけであろうか。そんな堅いこと言ってたら、そのうち、本当に無形になっち ゃいそう。


1998年4月22日

結局、幼稚園の先生と2時間も話していた。70名ほどの園児が田植えをするらしい。受け入れてくれ たのは我が社だけらしい。まあ、そんな妙な申し入れを受け入れるのは、うちぐらいだろう。でも、ど うなるか、楽しみだ。
この前の上甲塾長との会食で、塾長が良く「これからは、農業の時代だ!」と声高らかにおっしゃるの だが、実は他の塾生の手前、困ると言ったら、「それは違う!一次産業というのは、これまでは一次的 な物作りとしてしか考えられていなかったが、これからは命に一次的に関わっている産業と捉えねばな らない」とおっしゃった。ウーン、やっぱり農業の時代だ。


1998年4月21日

昨晩のラジオでの私の担当は、「こんなもの、いらないコーナー」でコンビニがテーマだった。うまく 超ハイテンションで出来たと思う。これも、調子の波があって難しい。コンビニは、地域のコミュニテ イーとしての役割も担いつつあり、社会的にも、これから重要視されると思うが、どうしても納得行か ないのが、食品に使われる添加物の多さである。日に3回も配達に来ていながら、30℃で48時間も、 もたないと駄目というのは、おかしい。あんまり、そんなものばっかり食ってるから、精子が減るんだ。 と暴れた。今回は、NHKも取材に来ていて、北陸中部で24日の午後6時半からと25日の朝、7時 半(だったと思う)に放送されるそうだ。今までに、自分の放送はほとんど見たことがないので、最近 はあまり興味がないので、あやふやなのでご注意。
これから夕方に、幼稚園の先生と会う。なにやら、子供たちに稲刈り体験をさせてあげたいそうだ。ぜ ひ、協力して成功させてあげたいものだ。しかし、こんなに実際の農作業以外のことで、人々に与えら れるのも、中村君と三宅君のおかげだ。何年か前は、アバラが5本折れていても、トラクターに乗って いたのだから、考えられないことだ。たまには、ヨイショしとかないとね、中村君!


1998年4月20日

転作の、最終集計をしたが、なんと林農産分の転作割当面積が、二桁違っていた。おお慌てで、計算を し直して、午後集計をしたら、なんとか目標値に収まった。野々市は、住宅地の開発が多くてその分も カウントされるので、助かったということか。
午後に少し業者向けの米を出してビックリ、かなりねずみにやられている。積み直したり、テープで直 したりして出荷した。去年の後半から、契約してあった業者が来ていなかったようだ。見ていると、担 当者や下請けがコロコロ変わっているようだ。ねずみ駆除という、決してさやかな仕事じゃないかもし れないが、志高くやってほしいものだ。
という訳で、結局一度も田んぼへ出ないのに、くたびれて一日が終わった。これから、ラジオの収録に 行かねばならないが、ハイテンションに持っていくのは、並大抵じゃない。


1997年4月19日

昨晩、山中温泉へ上甲夫妻とその両母御さんに会いに行ったが、緊張の面持ちでふすまを開けると、浴 衣姿でリラックスされた上甲 晃氏がいきなりいらっしゃり、そのまま常光利惠さんを交えて話が始ま ったが、そのうち「風呂へ行こう!」とおっしゃる。こちらは、緊張してスーツでバッチリ決めていた ので辞退していたが、「温泉に来たら風呂に入らねば」という強行姿勢に負けて、予定外の入浴になっ てしまった。普段、青年塾では真剣勝負で和やかな中にも、かなりの緊張感がみなぎり、間合いを間違 うとバッサリやられそうな気配もある先生が、この時ばかりは、普通の人として接してくれることが、 うれしかった。そして、現在では塾生100人なので、このようにサシで話しが出来るのは、一生に一 度と言えるのではないかと思われた。おかげで、風呂上がりのサッパリした気分で飲むビールは最高だ った。常光利恵さんも、名前はややこしかったが、楽しんでもらえたと思う。写真は、そんな上甲夫妻。
右の写真は、山中塗りで作られた、青年塾の卒塾の盾。最近は、山中塗りの衰退は著しく、このような 本格的な木地の塗り物は、あまり無いらしい。しかし、中には志高い職人さんもいて、その方々が作ら れたのだが、そのお礼に今回の、恒例の母御を連れての山中温泉だそうだ。せっかく、国宝級の腕にな りそうな若い職人さんが、辞めていくことをなんとかしたい。その為の、キッカケにしたいとおっしゃ っていた。普通の賞状より絶対に価値があるので、色んな場面で使われるようになってほしいものだ。 ちなみに、我が社では、天皇杯の上に置いてある。
それと、今晩農業関係の就職に興味がある女子大生が、中村君の日記を読んで、東京から来る。中村君 もなかなかやる。





1998年4月18日

PTA総会は、バッチリ成功。したと思うが、保護者の方にまだ話を聞いてないので、今度聞いてみよ う。第3クオーターだけ代かきをして、今から、山中温泉まで上甲氏に会いに、常光女史を連れて行く。 ややこしいが楽しみ。


1998年4月17日

今日は、バリバリ代かきが出来た。ここから先は、耐久レースそのもので、いかにコンスタントに、先 へ進かで、一回のターンでもおろそかに出来ない。例えば、一日に仕上げる田んぼが26枚と27枚で は最終日に十数枚違うと、田植えが一日完璧にずれる。なんだ一日かと、言うなかれ、今までこの一日 で泣いたり笑ったりしてきたのだ。それほど、この時期の仕事はハードである。
私が、毎月楽しみにしているものに、青年塾塾長の上甲晃氏が毎日千文字メッセージとして書かれてい る「デイリーメッセージ」という冊子がある。今日、送られて来たが、この日記を書くキッカケにもな ったものなので、素晴らしい。志について、あるがままの毎日がつづられている。その、上甲氏と明日 山中温泉で会食がある。いまから、ドキドキものである。
とは言うものの、明日のPTAの総会の挨拶ツール製作やらなんやらもあるので、ノンビリもしておら れない。


1998年4月16日

午後から、代かきを始めた。代かきとは、田植えの為に水を入れて土をかき混ぜ均平にする作業だが、 これは重要な作業で、手を抜くと草が浮いて来てしまい、除草が大変になってしまう。田んぼの高低差 が大きいと、稲の成長がバラバラになったり、ひどい時は水没してしまう。ところが、田んぼの作業で この作業が時間的に余裕がない。田植えまで2週間もないし、農業関係の会合も多いし、PTAの集ま りも多い。大切な時に、矛盾しているが、集中してやるしかない。
今日、初めて自分のラジオ番組を聞いたが、現場で聞くのとは違い笑える。大体、普通の人の倍のスピ ードでしゃべっている。初期の頃の、ビートたけしのようだ。まあ、何を言っているか分からないが、 前のめりの姿勢は分かっていただけるだろう。


1998年4月15日

またまた悪天候で、午前中は休み。午後から、大急ぎで入水作業を始めるのだが、雨が降ると用水の水 量を調節されてしまい、肝心の水が来ないので苦労する。ところが夕方になって急に水が来て、またま た水門を調節して回るという事態になった。しかし、交通量が急に増えた気がする。すごく気を使うと ころが多く、田植えの時はどうしようと考えてしまう。交通整理のおじさんを雇わねばならない日も近 いかも。


1998年4月14日

昨日とは、打って変わりひどい雨で、仕事は午前中でやめた。しかし、私は、PTAの学級委員さんが 一堂に集まって話し合う実行委員会というものが、午後にあって出かけた。学校には、色々な行事があ りそのお世話をする人が、一クラスに5名選出されて、各部に別れて今後の活動をする。私は、全てに おいて、その意味と目的を問う形をとるので、けっこう盛り上がっていた。例えば、なぜベルマークを 集めるのか?とか、資源回収をなぜ学校でするのか?一つ一つについて、みんなで話し合った。ベルマ ークはただ集めて いるのではなく、なかなか教育委員会に頼んでも、買ってくれないものを自前で買えて、子供たちにこ んなに役に立っている。資源回収は、逆に有料回収になり赤字かもしれないが、なぜそうなったか、ゴ ミの意味を知る機会になるし、地域のお年寄りに子供たちが来るのを楽しみにしている方もいると、知 れば、「なんだ、そうか!」ということになる。
今度は、全校の保護者が集まる、総会が勝負だ。学校関係者には、シマッターと思っている方もいるか もしれないが、もう手後れである。


1998年4月13日

昨日、暑いなんて言っていたが、今日に比べれば甘かった。一体、何度までいったのだろう。おまけに 風が強くて、埃だらけで作業をしていた。材料や道具が風で飛ばされるし、集中力を維持するのに大変 だった。こんな日に限って来訪者が多く、応対に苦労する。どうして、ややこしい人は、最悪のタイミ ングで、現われるのだろうか。
コイン精米機横の、自販機の缶を掃除した。実は、すでに120円になっているところを、意地で10 0円をキープしている、あれは、両替機であって、自販機ではないというコンセプトだからだ。 日曜日など大量に買って行く人がいて、ゴミ箱が一杯になってしまう。ダ イドーさんと、コカコーラさんを置いてあるのだが、コカコーラは、100円では販売できないと言わ れ110円で販売している結果、月販売数がなんと、0本!0本というのは、すごい数字で、高い照明 器具と使わない冷蔵庫を動かしているようなものである。一度、撤去してくれと言ったが、9月まで契 約があるので、だめだとおっしゃる。まあ、それは良しとしても、コカコーラのゴミ箱は缶があふれて いて、それが悩みの種である。数ヶ月間、来ないのだから仕方がない。ところが、ダイドーさんは、コ カコーラの方の缶も出しておいていただければ、片付けますよと、涙もんのお答え。妻には、缶飲料こ そ、地球環境の敵と言われているが、飲む時は、ダイドーを飲んでいる。


1998年4月12日

日曜日だったが、天気が良いので荒起こしを終了させた。しかし、とんでもない暑さだった。夏服を出 してTシャツで仕事が出来た。そして、明日から田んぼに入水作業をする。250枚(我が地域は田ん ぼの数を、枚数で数えている)全部の田んぼに、用水をせき止める板を付けたり、パイプを取り付けた りする。用水も、土や、コンクリートで様々な形態があるので、すべて入水方法が違うので、結構頭を 使う作業である。ここで、しっかりした物を作っておかないと、毎日の入水作業での時間的ロスが生じ て大変である。


1998年4月11日

最後の芽出しで、完璧な苗が出来た。次は、田んぼを起こして、田植えの準備だ。ようやく、天気も春 らしくなって、世の中は花見一色である。他人事と思っていたら、高校の同窓生だった山先君からお誘 いがあって、今から出かける。しかし、花より団子なのは、言うまでもない。


1998年4月10日

昨日の雨が残って、無茶苦茶田んぼが柔らかい。泥の上をミズスマシのように、フラフラしながら起こ している。まあ、なんとか作業は出来るが、そのあと道路上に出た時に、タイヤについた大量の土も落 としてしまう。住宅地なので、それを、中村君が、スコップで取り除くのだが、田んぼの作業より時間 がかかってしまう。でも、がんばったので、たいぶ進んだ。
今日、近所のおばさんが、私の入学式の挨拶を聞いて、感激して涙したと聞いた。その他にも、噂は 聞いたが大人には、効いたようだ。あとは、子供か。


1998年4月9日

今日も、雨だった。一体どうなっているんだ。全然、春作業が進まない。その分、工場の掃除をしたり 青年塾二期生への手紙を書いて過ごした。64名、全員に書いているが、なかなか顔が浮かばない人も いて、入塾式でもっと集中してみるべきだったと反省している。夜のミーテイングで、頭がボーとして いるのが主な原因だが、どっちを取ると言われれば、後者を取るので仕方がないのかもしれない。研修 だけ学校の授業のように受けていても、全然、志は高くはならない。メダカの学校として色々な人と交 流してこその青年塾だと思っている。さてまた、かすかな記憶を頼りに、書こうとするか。


1998年4月8日

予想通り、今回の苗はバッチリだった。そして、5回目の種まきも終了。6回目は、今度の5月にカグ ラモチの種まきである。
しかし、天気が悪く作業が遅れている。今年は、中村君も一人前になってかなり、はかどっているはず だが、天気には勝てない。


1998年4月7日

今まで、どうも出芽の状態が思わしくなかったが、原因が分かった。なんと4つある棒温度計のうちの 一つが、壊れていて7度C低く表示されていた。それに気づかず、ドンドン設定温度を上げて行くもん だから、高温障害が出る。高温障害が出るから、温度が高いと思い全体の温度設定を下げると壊れた方も まだ高温で出ないし、正常な方は低温で出ない。そんなこんなで、3回もは種が終わってしまった。今 日は、天気が悪く本来なら休むところを、半日かかって、調子の悪い苗を捨てた。わずか数百円の温度 計のトラブルで、非常に大変な損害だった。大事も、ことを成すのは小事からということを、身をもっ て体験したことになった。


1997年4月6日

朝から、小学校の入学式に行き、PTA会長初仕事の挨拶をした。新入生用の「まなび」「あそぶ」の プラカードで、良く学び良く遊んで下さい。と色々やり、保護者用に「学び」「遊ぶ」の漢字のプラカ ードを見せて、皆さんも新入生です。学びは、知識ではなく、知恵を。遊ぶは、お金で買える遊びでは なく、工夫して下さい。と挨拶をした。面食らっていたようだが、それまでの長い挨拶でザワザワして いたのが、ピタッと止まった。先生や保護者の方々からは絶賛で、気分良く帰って来て、息子と息子の 友人に、「お父さんの挨拶どうだった?」と聞いたら、「全然、分からんだ、、、。」という返事で、 それまでの自信が音を立てて崩れ去ってしまった。ゴールは、遠い。
その後、中学校の入学式に行ったが、17年ぶりに校歌を歌った。なつかしいー。
もう一枚は、我が社で研修中の研修生改め「秘密兵器」三宅君。今日は、雨でお休みなので、お出かけ のところをパチリ。





1997年4月5日

今日は、どうしても種まきなので帰宅せざるをえず、早朝4時に起きて帰ってきた。なんとか、間に合 ったが、眠い。かといって目をつむっても、興奮で眠れない。左が、総勢64名の二期生に今後の研修 について説明しているところ。一期生が40名だからすごく増えた感じがする。そして、我々は早くも 先輩として別の目で見られている、これは油断できない。そして、右が大正ロマン館といって入塾式会 場で、大正村のメインホール。すごく、綺麗で感動的だったのを覚えている。中は名誉町民の高峰三枝 子、名誉村会議長の春日野親方の寄贈品や多くの美術品が並んでいる。塾生の晴れ姿を見れないのが残 念だが、早いうちから打ち込んで欲しいために、色々企画したり、飲んだり、話したりした。そんな心 配をよそに、十分以上にみんな、なごんでがんばってくれたので、今回の一期生の目的は達成された。 したがって、後は、信じているので、大丈夫だろう。





1997年4月3日

朝から、青年塾の二期生の入塾式に参加した。今年は、去年と打って変わって快晴で、ようやく雨男か ら抜けることが出来た。でも、一年経ったんだなあ。
左は、玄関で塾生を待ちうける、上甲塾長。右は、研修の中心が、掃除と調理で、朝食を作っているシ ーン。夕食は、120人分作るので修羅場だった。





1998年4月2日

とにかく、トラブルの多い日だった。相変わらず、出芽の状態が思わしくなく、並べずに積んだままハ ウスに入れたものが結構出た。その上、種まき機の駆動シャフトが折れるトラブルがあり、いつもは、 5時前に終了するところが、6時までかかってしまった。明日から、入塾式なので余力を残したいとこ ろだが、そうは問屋が卸さないということか。
昨晩、PTAの第一回役員会があったが、緊張した。初めて顔を合す方もいて、そうかといって、のん びり話をしている暇はなく、4月は決めなくては行けない事が多い。しかし、ベルトコンベア式に決め るのは、私の主義に合わないので、一つ一つ意味や目的を話しながら進めた。中で、PTAの努力目標 というのがあった、私でも読み間違えるような難しい内容で、県から来たものらしいが、どうしてこう 難しく考えるのだろうか?私の、P=パパママ先生 T=楽しく A=遊ぼうという努力目標の方がま しだと思う。でも、まあそんなに目くじら立てずに、これはこれで良しとして、自分のは挨拶でガツン とやらぜてもらおうと思っている。


1998年4月1日

なんと「味人めぐり」を読んでホームページのコピーを送ってくれと言われた方が、雑誌の取材で来た 。まあ、なんという縁だろうか。
天気が、悪くてついに雪になった。青年塾では、雨男と言われたが、今回も3日からの入塾式は荒れ模 様かも。天気が悪いので、色々用事が出来たが、ついにマイはしご演技用衣装を買って来た。腹当てと ズボンと腕ぬきだが、まずは形からということか。





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