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あぐらぐち物語 1997年08月分


1997年8月31日

昨晩の反省会は、盛り上がって、ギター、バンジョー、マンドリンとオンパレードだった。やっぱり、バンド結成をしなくてはならないだろう。私が、12時ごろに体内電池が切れてしまって寝たが、2時か3時ごろまでやっていたようである。
おかげで、今日の稲刈りはつらかった。ボーとしながら刈っていたが、幸い大きな田んぼだったので助かった。ようやく、今日で、早生の稲刈りのお客様分が終了した。明日は、我が社の田んぼを刈る。やはり、稲刈りのお客様の田んぼは、気をつかう。場所も不明確な場合が多いし、コンバインを入れるにも、アルミブリッジを使用しなくては入れなかったりする。その点、我が社のは、ほとんど橋をかけなくても大丈夫なように、土盛りをしてある。
すごい所になると、コンクリートの壁面、数センチのところまで植えてあるので、刈りにくくて仕方がない。昔の人の、少しでもとろうとする気持の表われだが、結局、機械を壊したり、稲が込み過ぎて収量を落とすはめになる。中には、スッキリと植えてあって、しかし、収量もある方もおいでる。生き方は、その稲の植え方一つを見ても分かるから恐い。


1997年8月30日

順調に、稲刈りが進んで、今日は残業なしで終了できそうである。今晩、海辺のコンサートの反省会があるので、助かる。反省会が一番盛り上がるのは、スタッフが一番知っていて、おそらく多くの人が集まるだろう。
稲刈りも、1週間が経ちようやくボーイズも慣れてきたが、なかなかアイコンタクトで動くまではいかない。農作業一般に言えることは、機械がうるさくて、声が届かないので、どうしてもボデイーラングウエッジになる。しかし、カンが鈍いとなかなか理解してもらえなくてイライラする。
特に、あるのが、市街地なので田んぼは、壁で囲まれている場合や、障害物が多い。そんな時、コンバインをバックするときには、後ろを見て欲しいのだが、バックギヤーに入れて、そっちを向いているにも関わらず、意味が分からずボーとしている。林農産は、単なるバイト先ではなく、人生の学校と思っている。単なるバイトなら、決められた事だけを、8時間すればいい。しかし、我が社に来たのなら、少しでも色々気づく人間になって欲しいから、声を枯らして、教えている。
だから、その一生懸命が、相手に伝わって、長く仕事に来てくれるようになると思っている。就職してからも、きっと、役に立つはずだ。


1997年8月29日

ようやく、早生品種も、先が見えてきた。毎晩、8時まで残業で「もみすり」をしているが、「もみすり」をすれば出るのが、「もみがら」。我が社では、もみがらを、リアルタイム方式と呼んでいるが(勝手に付けた。)、もみすりして、直接、トラックに積んで、田んぼにまきに行っている。
以前は、畑や田んぼにまいて、火をつけていたりしたが、近隣から、煙が臭いと苦情があったり、台風が来ると危ないので、やめた。次にしたのが、ビニル袋に詰めて、暗渠(あんきょ)排水用に、業者に売ったりした。暗渠とは、柔らかい田んぼに、排水用のパイプを埋設することをいうが、その時、パイプの周りに、もみがらを入れるのである。
しかし、袋に詰める作業は、非常につらくて、スーパーレデイースをもってしても、やりたくないということで、これもやめた。もみがら袋を運んだときに、穴が空いて水がたまったのを、知らずに持ち上げて、私がもう10年近く苦しむ原因になった、ぎっくり腰のおまけ付きだった。そこで、考え出したのが、この方法。1車で10俵分しか入らないので、面倒だが慣れたら、そんなに苦でなくなった。
この辺は、田んぼが硬いので、出来る芸当だが、雨が降り続くと、やはり、スタックしてしまうが、そんな時は、道路からあけている。田んぼで採れたものは、田んぼに返すのが原則なので、地力増進にも役に立って、一石二鳥だ。おまけに、この装置、弟が、廃品を利用して1万5千円で、作ったから笑いが止まらない。買うと、何百万もするそうである。





1997年8月28日

今日は、究極の市街戦だった。稲刈りより、交通事故を避けるのに、精一杯という感じだ。おまけに、犬の糞が多い。ひどいのは、田んぼの角をコンバインでターン出来るように手刈りしてある稲の上に、していく奴までいる。
しかし、これだけ色々な町内を刈って回ると、その程度にも差があることに気づく。いわゆる、町内会でも風土というものがあるのだろう。イソップではないが、我々は、都会のねずみなので、そういう中でも、楽しく作業をしているので良しとしよう。
大体、こんなところまで来て、稲刈りをする物好きはいないので、とにかく、感謝される。お菓子や、ジュース、たばこ、果てはビールに現金まで、もって来てくれる。さらに、年寄りに両手を合わせられて、拝まれるのが、一番、効く。私は、まだ、生きているってと言っても聞かないので、精一杯、頭を下げて、感謝の意を表すしかない。
この世の中、なかなか、拝まれる職業はないと思うのだが、どうだろうか。


1997年8月27日

午前中、雨が降ったが、もみすりで丁度よかった。我が社の、乾燥機は、4台で、基本的には、稲刈りの家を一軒一軒分けて入れている。普通、大きなカントリーという巨大な乾燥機に、全部混ぜて入れて、後で計算してお米を渡すのが一般的だが、我が社の特徴として、一軒ずつ乾燥している。
やはり、お客さんは、自分のところの米にはこだわりがあるし、もし、具合の悪い米があったら、全部だめになってしまう危険も回避できる。しかし、今は除湿乾燥と言って、火力と違って非常に優れた乾燥機もあるので、人それぞれのやり方がある。しかし、設備投資が1億以上になるのは、最近の米余りでは、厳しい。
稲刈りで、毎日残業が続いているが、3日目あたりが、一番キツイ。そのうち慣れるのだが、体もかゆくてしかたがない。「ハシカ」とこの辺では呼ぶが、籾殻の表面を覆う、細かいトゲトゲが、肌をこすってかゆくなるのである。初めての人は、ひどいと、かぶれてしまうほどである。したがって、暑くても、長袖に、タオルを首に巻いたスタイルになって、なおのこと、体力を消耗する。
それと、ついにご要望?に答えて、中村君のコーナーをページを作るので見てやって下さい。当然、カウンターもつけるので勝負だ!


1997年8月26日

今日も、朝からテレビの取材があった。今回は、番組制作用。最近、やっと普通の顔で仕事が出来るようになってきた。なかなか、カメラでアップにされると、緊張するものである。
しばらく、市街戦が続く。私達も、レデイースも、ボーイズも、少しも気を抜けないので、大変だ。田んぼで作業するにも、通行車両や歩行者、さらに見学者まで、注意して刈らなくてはならないのは、相当の集中力を要する。しかし、大きな田んぼで、楽して稲刈りするより、我々にか出来ないんだという、プライドだけが、我々を支えていると思う。
稲刈りのあとは、残業して、「もみすり」つまり、刈ってきた稲(もみがらがついた状態)を乾燥(水分15%)の後、もみを取って、玄米にして、紙袋に30.5キロに詰めて、パレットというフォークリフト用の板に積む作業がある。この辺の話は明日。


1997年8月25日

朝から、テレビ局の取材があった。今回は、報道用らしい。しかも、いきなり稲刈り全開だったので、脳みそのモードチェンジが大変だった。
今、刈っているのは、ハナエチゼンそして加賀ひかりという品種だが、間髪をおかず、次の品種が刈り取り適期に入るので、ぐずぐずしてはおれない。
おまけに、中村君と研修生の谷口さんにも、コンバインやらライスセンターの操作を教えなくてはならないので、さらに気をつかう。最近、コンバインに掛けれる、傷害保険が出来たので、今日掛けた。なんといっても、素人が運転するので、絶対に必要だろう。


1997年8月24日

海辺のコンサート大成功!素晴らしい天気、素晴らしい仲間、素晴らしい演奏、どれをとっても完璧だった。
とにかく、午前中ですでに、岩の上に全部資材を上げることが出来たのが大きかった。途中、前座で、バンジョーとギターの演奏があったりで、意外な特技をみんな持っているのを知ってびっくりした。
打ち上げでも、即席でバンドを組んで、盛り上がりまくった。深夜にわたる交流もあって、くたくたになったが、本当に楽しかった。今日の片付けも、超スピードで済んだ。明日から、稲刈りだ。








1997年8月23日

今、朝の6時44分。今から、曽々木にコンサートに出かける。昨晩も、資材の積み込みをしているが、問題はステージを岩の上にスムーズに設営出来るかにかかっている。作業能力の高い精鋭が集まっているので、おそらく、短時間で完成することが出来ると思っている。
怪我もこわいので、保険にも入った。70人で2000円で、入れるイベント保険みたいなものだが、お守り代わりだ。こういうのは、入っていると事故は起きない。さあ、天気も完璧な、青空になった。出発!


1997年8月22日

新米発売開始!少し、予定より早く発売が出来た。しかし、だれも買いに来ない。全然宣伝していないから仕方ないか。
今日、お米屋さんと話をしたが、めまいがするほど、値段が安かった。倒産せずにやっていくのは、並大抵ではない。最近、このことを考えると、残暑にもかかわらず、寒くなる。
昨晩、我が社に、パワーザウルスの実演にセールスの方がおいでて、見せてもらった。すごい、性能でビックリ、14年前にパソコンを初めて買って、友人と、「400枚もある田んぼのデーターを、外に持ち出して扱えたらいいね。」と話していたことが実現してしまった。
何と言っても、エクセルとワードのデーターが扱えるのは、すごい。おまけに、インターネットにデジカメが出来て、しかも早い。へたな、ノートパソコンなんて真っ青だ。俄然、欲しくなったが、さっきの米の値段の話もあるし、迷っている。贅沢かもしれないし、でも、欲しいし、困ったなあ。
友人から、教えてもらったが、沖縄の教師の方のHPで、紹介されていて、すごくうれしかった。この、日記も、時空を超えていろんな人に、読んでもらっていると思うとうれしい。


1997年8月21日

少し、ハナエチゼンを刈った。早めに刈るため肥料を押さえたとはいえ、収量は非常に少ない。しかし、昨日刈った新米を、精米してみた。毎年、この新米が一番おいしいと感じる。この辺でも、だれも刈ってないので、貴重なお米だ。
今年は、異常に米が安いことが予想される。業者への引き渡し価格が、政府米価格を下回るという、逆転現象が起きている。つまり、かつては安くて見向きもされなかった政府への供出が、逆に高くなってしまう。諸行無常では、ないが、良いときもあれば、悪いときもあるのが、この世だと思い知らされる。
農協を馬鹿にして、業者ばかりに出荷していたところは、本当に苦しくなるだろう。我が社は、幸いに農協とも取り引きがあるので、少しましだが、それにしても、先行きが不安になる。やはり、店頭販売を強化すべきなのだろう。


1997年8月20日

稲刈り開始!これから、10月半ばまでは稲刈りが続く。今日の品種はハナエチゼンという早生である。毎年、機械のサビ落しとセッテイングを兼ねて、田んぼを2周づつ刈る。そして、ライスセンターに入れて、すべての乾燥機、タンク、もみすり機に通して、調子を見て、今年一番の新米が出来あがる。
23日のコンサートに間に合えば、3合づつお客さんにプレゼントしたいのであるが、少し青い。昨日の打ち合わせで、やはり7メートルも上の岩の上での設営は大変なので、出発を1時間早めた。みんな、普段から困難な状況で作業をしている、能力の高い人ばかりなので、なんとかなるだろう。





1997年8月19日

石川県農業青年大会の研修で、我社に十数名の若者が来て、私の話を聞いていった。2時から、5時半まで3時間半、しゃべり続けたのは、さすがにハードだった。題目は、「情報」ということで、インターネットの実演を、大きな投影機でやったりしたが、内容は、聞き方を含め、インフォメーションをいかに、知恵を使ってインテリジェンスに変換するかについて、実体験に基づいて話した。
途中、一人一人、語り掛けながらの、研修になったが、聞けばみんな色々な考えを、かなり、はっきり話すのは、聞いていて楽しかった。
今晩、海辺のコンサートの最終打ち合わせがあるが、ちょっとエネルギーを消耗し過ぎたかもしれない。この、エネルギーだけでも伝われば、それで成功したも同然だ。


1997年8月18日

2日間も、さぼってしまった。なんと、15日の分を書いて、さあー更新だと思ったのに、FTP動かない。ありゃ、またやってしまったと思って、プロバイダーさんに電話したけど、盆休みでだれもいなかった。自分の方が壊れたと思って、恐くて触れなかったが、今日電話したら、サーバーがダウンしたとのこと、それなら大丈夫と、また書き始めた次第である。
短い間だったが、16日、17日と書いてないが、どうしたのと言われて困った。さて、16日は、里にいたが、もう17日の早朝から、防火訓練があるので、自分だけ、帰省ラッシュのサンダーバードで帰った。その晩は、弟の友達がバーベキューだったので、まぜてもらった。おかげで、次の日の防火訓練は、二日酔いで大変だった。700人の住民参加の訓練で、かなり大がかりなものである。しかし、暑かった。
そして、その後が、面白い。同窓会で、たまたまあった、山先(やまさき)君が、川北温泉で、日本酒の会があるから来ないかと、メールが入っていたので、行くと軽く返事をしたら、本当に行く羽目になってしまった。毎日の飲み会で疲れていたが、行って良かった。本当に良かった。当時の彼からは想像もつかないほど、素晴らしい人物になっており、かなり、教師になるのに苦労したおかげで、人を教えることの本質が分かっている数少ない、人物になっただと思う。
私の持論だと、人の話を聞かない人ベスト3は、教師と住職と、自分と思っていたが、そうでない先生も、いたのは感動だった。お酒の会も、やりたいことを、やれる人が、好きなようにやるという、我々が、21世紀型と呼ぶやり方だし、話すこと話すことすべてが、共感できる素晴らしい時間をもてた。あっと言う間に、お昼から、深夜まで話し込んで、結局、泊めてもらった。波動ではないが、同じ考えを持つ、他の業種の人がいるとわかっただけで、生きる勇気が湧いてくる。
今日から、稲刈りに向けて作業を開始した。だんだんと、目つきが鋭くなっていくのが、自分でも分かる。また、野生の自分が目覚める時がやってくる。


1997年8月15日

いやー、昨晩は盛り上がってしまった。帰ったら、2時だった。最初は、まったく分からず苦労したが、クラスの人間が集まってからは、高校生モードに入れることが出来それからは、スムーズだった。うちの高校は、進学校で、理系、文系と別れている上に、校舎に、廊下がない特殊構造だったので、同じ学年でも知りあう機会が極めて少ない事情があった。
だから、当時は、まったく話しもしたことがない文系の女子の皆様に、ガンガン話し掛けたのはゆうまでもない。ところが、結構、近所に嫁いだり、近くの学校の先生になっていたり、信じられない私の友人の名前が出たりで、大いに盛り上がった。最近は、「一期一会」の思いが強いので、昔に比べて話し掛けもスムーズになったように思うし、女子もせっかく同窓会に来て、つまらないのではもったいない。
しかし、しゃべり過ぎて起きたら、昼だった。今から、富山の妻の実家に電車で行かねばならない。今年のお盆は、なんだかせわしない。


1997年8月14日

今から、同窓会に行ってくるが、知っている友人がいるだろうか心配である。午前中に、やっと、バイクを走れる形にしたので、弟とスーパーボーイズの坂本君と、これまたスーパーボーイズの水淵君がお勤めの、山の郵便局まで、ひとっ走りしてきた。私のは、1200ccで、あとの2台は85ccのダックスとモンキーである。
デコボコチームで、久しぶりのツーリングは、楽しかった。やっぱり、バイクはいい。残暑の残る、緑濃い、山道を走行しているとなんとも言えず気持がいい。アルファー波が出ていると言う感じがする。
でも、帰ってきたら、首と、背中が痛い。4ヶ月ぶりのフル加速に体は、まだついてきてないようだ。でも、心地よい気分で、出かけられる。


1997年8月13日

今日は、雑用や、床屋に行ったり、コンサートの打ち合わせに人が来たりで、なんとなく時間が過ぎてしまった。本当は、バイクを直したかったのだが、なかなか時間がとれない。
コンサートの打ち合わせには、司会進行と打ち上げの担当者が来たのだが、みんな意識の高い人ばかりで助かる。完璧に任しても、大丈夫だ。今回の、コンセプトがしっかりしているのも原因のひとつだが、例え、ナホトカの事故でさえも、プラスに持っていく人間のエネルギーは素晴らしいと思う。
明日は、高校の同窓会が19年ぶりくらいにある。自分自身、進学校で、あまり良い思い出がなく、友人も少ないので、最初は迷ったが、なかなかない機会なので、申込んだ。高校時代の思い出は、サッカー部に最後まで在籍したという一点だけだった。視力が弱いので、ボールも良く見えず苦労したが、1年生の時、もうつらくて辞めようと思っていたおりに、たまたまトイレで一緒になった先輩から、「林、辞めるなよ」と言われて、「あー気にしてくれている人もいるんだ」と気づいただけで、なんとか最後までやってこれた思い出がある。
人間って、そんなもんだと思う。だれか、一人でも、生きてる証を証明してくれさえすれば、生きていけるのだと思います。みんな、びっくりするだろうな、まさか百姓をしているとは、思いもよらないと思うから。


1997年8月12日

昨日は、大豆の消毒を炎天下で、やった。昔は、これをほぼ毎日していたかと思うと、信じられない思いだ。その後、海辺のコンサートの打ち合わせをした。宿泊者も65名は確保したので、能登の海に浮くことはないと思うが、一般のお客さんより、スタッフの方が多いような気がする。模擬店も出るそうだから、一般の方にも来てほしいと、思う毎日である。しかし、動員では絶対に今回のコンセプトに反するので、21世紀型のイベントのあるべき姿を見てほしい。
まず、現場に行って、設営とともに、清掃チームがトイレ掃除から始める。ビールも、樽で用意して極力、カン等ごみを出さない。ジョッキもマイジョッキを用意してもらう。重油回収できれいになったのに、自ら汚したのでは、話にならない。
そのあと、友人と飲みに行ったのだが、めずらしく少し荒れてしまった。ようやく、精神バランズが取れてきたかなと思った矢先の事故だったので、自責の念に耐えられなかった。したがって、とてもHPを更新する気にもなれずさぼってしまった。
今日は、その方の告別式に行ってきたが、趣味人らしく、友人が多くて、故人の生前が思い浮かぶ式でした。人の命は、あまりにも、はかない。しかし、重い。冥福を祈りたい。合掌。


1997年8月10日

今日は、超ブルーな日だった。朝、田んぼの水周りをしていて、フッと上を見上げたら、近所では有名だが、乗馬中のおじさんがいた。と、次の瞬間、馬が後ろ足を、歩道から踏み外して、さお立ちのまま、1.5メートル下の、用水に落ちてしまった。びっくりして、駆け寄ったが、馬は暴れるし、おじさんは痛がるしで、とにかく、家に電話して救急通報、そして、通行中の車を止めて助けを呼んだ。しかし、馬と人で水を塞き止めてしまい、見る見るうちに水位が上がって、下敷きのおじさんの顔にかかるようになってしまった。
呼び止めた車の方が、ホースを持ってきて、息を確保しようとするが、ドンドン水は来るし、すぐに、上流に行って、水門を止めるが500メートルも上流にあって、バイクで行ってすぐに止めて、そのころには、弟がシートを持ってきて、さらに止めたが、帰ってきたら、もう意識がなくなっていた。救急隊員も、馬が相手でどうしようもなくて、結局、レッカーで馬を吊って、助け出したが、時すでに遅しであった。
あの、馬をもろともせずに、助け出せば良かったかもとか、レッカーをもっと落ち着いて呼べば良かったかもと、後悔が残る。この、乗馬のおじさんは、もうだいぶ前から、家に馬を飼っている方で、いつも田んぼで見かけていたが、まさかこんなことになろうとは、しかもその現場に居合わせた私は、一体なんだろうと考えてしまった。周り中コンクリートで固めてしまって、馬も歩けない環境にしてしまったのかもしれない。
人は、確実に死ぬということを、再認識した一日であった。毎日、悔いのないように生きるしかないだろう。


1997年8月9日

昨晩、盆踊りの警備のあと、消防と青年団で飲んだ。結局2時ごろまで飲んで帰ったので、今日は完全に二日酔い状態。最近、海辺のコンサートで「気」を全開発射しているので、ちょっとエネルギー不足気味だ。
今から、ぶった農産でファーマーズマーケット サマーパーテイーのバーベキューがある。お知らせに、ぶったファミリーの皆様へと書いてあったが、林農産には、ぶった最大のライバルへと書いてくれと、クレームをつけるつもりだ。ぶった農産が、ドコモなら、うちはセルラー。ぶった農産がNECなら、うちは、富士通。ぶった農産が、トヨタなら、うちは日産。というぐあいだ。
自称、日本農業界の双璧が、同じ地域で存在するのは、神のいたずらしかない。おまけに、ぶった農産の専務は、同級生だった。私を、このような道に導いてくれたのは、彼なのだが、やはり切磋琢磨の意味でも、最大のライバルでいつづけることが、必要だろう。
そろそろ、まじめに仕事をしようと思う、今日このごろだ。


1997年8月8日

相変わらず、コンサートの問い合わせがないが、そんなものかもしれない。もっと、視聴率の高い番組に出ればいいというのは、理屈だが、かといって、視聴率が低いからと言って、手を抜いたり、誰も聴いていないからと言って、FMに出演しないのは、まさしく「小成功病」で「化学肥料栽培」になってしまう。
すべてに、通じると思うが、今回のコンサートでも、有機栽培と同じで、土作りは時間がかかる。今回のテレビ出演を世話してくれた、デイレクターさんも、仕事でもないのに、現場に来てくれて、遅刻した我々のために代わりにリハーサルしたり、緊張をほぐしてくれたりと、親身になってくれて、それだけでも成果があったと思っている。
色々、やっているうちに、これは結局は自分のためというのが、はっきりしてくる。自分の力が、どの程度か23日に分かるのが、楽しみだ。


1997年8月7日

疲れ果ててしまった。30秒生放送というのは、異常な緊張感だった。おまけに、カメラはドアップ、モニターでは、カウントダウン、BGMもあおり立てるような、せわしないのが入って、スタッフの方が、指でカウント5秒前には、早くと言わんばかりに指示してくるしで、かなり、トチッテしまった。
電話番号も、何回も言ったけど、家に帰ったら、問い合わせは全然ないしで、今は、ボーとしている。タレントというのは、大変な仕事だなと、やってみて思った。アナウンサーとの受け答えは、まあまあだったので、当日の天気だけ心配して、待つことにしよう。やるべきことは、やったとはずだ。
世の中で、無駄なものはないと、言われるので、きっとこの一見、徒労のようなことも後で、良かったと思うようになるだろう。今日も、夕方から雨で、地域の盆踊りは順延になった。青年団が、がんばっていたのに残念だ。他人のこととは思えない。


1997年8月6日

地元のFM局で、海辺のコンサートの宣伝をした。ここ1週間ほどの疲れで、ボーとしているが、なんとかうまく話せたと思う。明日は、テレビ金沢で、5時半の番組、「ジャンケンポン」に出演して、30秒だけ宣伝が出来るコーナーに出る。
とにかく、がんばらないと、輪島港に浮きかねない。その帰りに、先日、山中 掃除の会で知り合った、イエローハットの金沢営業所所長さんに、会って、チラシ500部とポスターを手渡してきた。イエローハットさんなら、この海辺のコンサートのことを理解してくれる、最高の会社なので、心安く受けてくれて本当にうれしかった。
しかし、ここのところ、気温の低い、雨がちな日が多いので、稲の成育が心配だ。花が咲いている時期で、寒いと、花粉管が伸びないので、実がつかない。おまけに、病気が出やすくなる。今年は、消毒をしていないので、結構ドキドキである。


1997年8月5日

ようやく、能登から帰ってきた。海辺のコンサートの打ち合わせで、地元の方々と、飲んだが、やっぱり行って良かった。実際に行ってみないと分からないことも多かったし、なによりも、お互いの気持ちが分かり合えたのが良かった。
昔の、能登ブームがあって、全然努力しなくても、観光客がわんさか来た時の話、祭りをするにも地元の青年団が、活動をしたがらないこと、何か企画しても、なかなかうまく行かなかったこと。どれもこれも、我々が、経験してきたことばかりで、今も抱えている問題そのものがそこにあった。
そして、今回会場に選ばれた理由の第一が、天然記念物 窓岩でもなく、曽々木海岸でもなく、りっぱなトイレがあったからというのは、驚いていた。そして、深夜にわたる話し合い?の末に、色々なことを決めてきたが、コンサートのステージはなんと、岩の上に設置、左側の少し平らな部分、そして、宿泊はホテルも、民宿並みの6500円に設定、打ち上げでは、サザエが200個出るそうである。
しかし、料理は、すごかった。まあ、接待性もあるかと思うが、地元の方の誠意が伝わってきて、ありがたかった。もう、タイやヒラメの舞踊りで、サザエも、10年分は食べた。どっちにしろ、この新鮮さは、この価格で驚異的な味である。しかも、それを食べてしまった私が、後戻りが出来なくなったのは、事実である。





1997年8月4日

「カメラ目線」 by中村善行

今日から12日まで、農耕車限定の大型特殊という免許の教習を受けに行く。畑を走るぶんには免許はいらないのだが、路上を走って事故を起こした場合には会社としても非常に都合が悪い。 また、うちの会社は住宅地など、条件の悪い所を仕事にしていて路上を走る機会が多いので、事故を防ぐ意味でもこの教習は重要だと思っている。 しかし、せまいコースで、なれないトラクターを運転しての安全確認というのは意外と難しかった。また、テレビ金沢が特番の取材に来ていたので、よけいに緊張した。
プロに、じっとカメラで見詰められるとどうしても動揺してしまう。なんでも、自分や研修生の谷口さんなど、家が農家でないのに農業をやっている人は恰好の取材対象らしい。 運転中も結構指導を受けてかっこ悪かったが、テレビ的にはまあいい絵になったのだろう。


1997年8月3日

「ケビン・コスナーになりそこねた話」 by中村善行

自分は映画が好きで、一度見た映画は結構いつまでも忘れない。そして、なにかの場面で思い出したり、連想することがたまにある。 実は、昨日・今日と関西へ旅行に行って来たのだが、大阪駅の階段での出来事。ベビーカーを押したお母さんが登場、とくれば「アンタッチャブル」の有名なシーン。 ところが、エリオット・ネスの出番か、とおもいきや、そのお母さんはひょいとベビーカーを抱きかかえ、こともなげに階段を上って行った。 もっと大きそうなベビーカーをかかえて階段を降りていくお母さんにも出会った。いやはや、母は強し。自分はアル・カポネでも演じようか。
ところで、おみやげには兵庫県産のお米「どんとこい」を買ってきた。「こしひかり」にまさるともおとらない品種という評判もあり、どんな味か楽しみだ。


1997年8月2日

昨晩は、大変なことになってしまった。なんとハシゴの演技中に火事が発生してしまった。止めるに止めれないが、心はもう火事に行っている。いかん、集中力だと思っても火消しの「さが」か、どうにもならない。
早めに、終えて、結局出動とあいなったが、放水までにはいたらなかった。地区の分団や、常備の消防署もいるので、大丈夫とわかっていても、マズイ時に出火したものだ。だから、なんだか、疲れた夜だった。
そして、あまり寝れない夜を過ごして、早朝から、山中町での、「そうじに学ぶ会」に参加してきた。我々は、仲間3人と参加だが、総勢80名ほどの人数で、小学校のトイレの掃除をした。ビデオを見たり、意見発表があったり、チャッカリ、海辺のコンサートの宣伝をしたりした。
しかし、メインは、トイレ掃除で、8人チーム編成で、2時間ビッチリした。今までも、青年塾で経験があったが、やはり掃除が目的なのと、研修の一部では、全然迫力が違う。「ここまで、するかー!」というところまでやった。しかも、同じ掃除道具を使っても、地域によって、ずいぶんやり方が違うもんだと、感じた。
帰ってきて、すぐに、久しぶりの見学の団体があり、2時間話して、日記を書いているが、さすがに疲れた。「便器を磨くのではない、心を磨いているのです」という、言葉があったが、私のピカピカの心をわかっていただけただろうか。


1997年8月1日

ついに、お店の前の県道(4車線)が開通した。いままでは、信号もないT字路だったが、いきなり信号付きの交差点になった。つい、5年前では考えられない状況になってきた。
私の、強力なプラス思考回路をもってしても、農業環境は悪くなる一方である。しかし、販売環境は良くなる一方である。ますます極端な人生を歩みそうな予感がする。
今から、町の祭りで、ハシゴの本番である。集中力を高めて、ビシッと決めよう。





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