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あぐらぐち物語 1997年07月分


1997年7月28日

友人から、安くカーナビを紹介してもらって、取り付けた。最近、まったく知らない所へ、突然出かけることが多くて、結構苦労していたが、降って沸いたような話で、すぐに買ってみた。普段、あまりカー用品にはお世話にならないが、これは優れものだ。発売当初は、色々問題があったようだが、今は非常に使いやすい。
まあ、一年ほど前は、そんな物、道の知らない素人の持つものと、決めつけていたが、突然の訃報で、夜中に出かけるとなると、まったく勘が頼りになってしまう。ここは、素直に、機械も認めようという、寛容な気持ちも必要だろう。
第3回の海辺のコンサート実行委員会をしたが、だいぶ煮詰まってきたが、どうしても司会者が、決まらない。確かに、素人っぽいのは、いいのだが、やはり、女性でキリリと締めてくれる司会者が必要だ。今までの、経験からも、どうもその辺が、だらだらした結果、うまくいかなかったように思う。
ここに、概要を載せるので、ぜひ来てください。



1997年7月27日

我が社の、スーパーボーイズが、パソコンのアップグレードやら、お掃除に来てくれて、かなりスッキリした。私自身は、重いのは嫌いで、なるべく軽いバージョンで済ませるものは済ますタイプなので、あまり、アップグレードには興味がない。
しかし、世の中は、ドンドン進んでいるので、否応無しに、その洗礼は受けなくてはならない。そんな時、彼らの、親切は助かる。私の使い方だと、ゴミ箱のファイルに100メガ分たまっても、平気でいるし、メールボックスが一杯になって、ネットスケープがまったく動かなくなることがあるくらいである。つまり、あんまり、整理をしないということで、今現在の机の上と、パソコン上のデスクトップは同じ動きをしている。
台風9号は、石川県には大した被害もなく通過していったが、今年は、若い番号の台風が多い。この調子で、30号くらいまで来るとなると、かなりの確立で、台風が来ることになるので、心配だ。特に、8月23日には来てほしくない。


1997年7月26日

近くの、学童保育「こうさぎクラブ」のキャンプ用の火文字の製作をした。去年は、ウサギ型の火文字、今年は「こうさぎ」を作った。これに、古シーツを5センチ程に裂いて、字の部分に巻いて行く。これに灯油をかけて、キャンプファイヤーで火をつけるのだが、結構、雰囲気が良かったので、今年は気を良くして、少し増やした次第である。
鉄筋の細いのを買ってきて、四角いフレームを溶接して作り、太い針金を、形にして、それに止めて行く。止めるには、ステンレスの細い針金をレースのワイヤーロック用のワイヤーツイスターと言うもので、ネジネジしながらつけて行く。これからのキャンプシーズンぜひ皆さんも作ってみては。肝心のキャンプには、参加出来ないが、これだけは、去年からの約束なので、しておきたかった。


1997年7月25日

フィリピンから、Dr、Serranoさんという方が、来られて、私の話を聞いていかれた。しかし、今私がやろうとしているのは、どちらかというと、アジア型農業なので、こっちが参考になる方が多かった。
さらに、やはりというか、どうも百姓には見えないらしくて、「哲学者」と言われてしまった。まあ、どこかに、百姓は哲学者にもっとも近いと書いてあったが、そうかもしれない。
午後に農業試験場で、新技術の会議があって出かけたが、「無農薬」とか「有機栽培」の研究には、どうも及び腰であった。そして、委員の間でも、それはマスコミに踊らされているとか、いや、有機栽培は素晴らしいとか、有機の定義がはっきりしないとか、議論が続いたが、肝心なところで時間切れと言って、打ち切られてしまった。
これこそが、素晴らしい会議の始まりだったのに、切ってしまうとは、残念だった。来年、またやるそうだから、もう一度仕掛けてみよう。


1997年7月24日

会計士さんと、打ち合わせがあった。この経営簿記という奴は、見方がむずかしい。いいようで、悪いようで、さらに、現時点での評価は、まあまあ良しとしても、米の価格等の、要因があるので、なんとも言えない。
言えないからこそ、計画や目標が必要なので、結局、少ない経験からいうと、どんなに分析しても、結局、計画どうりになる傾向がある。不思議なもんだが、波動と関係があるのかも。
あと、地元新聞の記者の方に、海辺のコンサートの記事のお願いをした。でも、なかなか、我々アグリネットワークの考えを理解してもらうのは、大変だ。後援の申請にしても、バーチャル事務局ののアグリネットワークでは、だめで石川県青年農業会議所と書いた。まあ、やっている人間は変わらないからいいけど、事務局の住所はと聞かれて、「www.karatsuなんとかこんとか」と言っても、相手は「?」である。
来た人が、スッタフです。とか、会員、会則とかが、なくてとか言うと、ますます{???」になってしまう。なぜ、百姓がコンサートと聞かれても、説明は長くなる。こんど、8月7日にテレビで、30秒宣伝の機会を得たが、うまくまとめないと、こりゃ大変だ。
これを、見て、行ってみたいなと思う人は、メール下さい。詳しくお知らせします。アグリネットワークのHPにも書いてあります。


1997年7月23日

大豆の培土が終了した。培土とは、大豆がある程度が大きくなったら、土を寄せることを言う。そうする事によって、草を押さえる、排水を良くする、培土したところから根が出て、生育が良くなる、倒伏しなくなる等のメリットがある。
この培土機は、まったくの専用機で、他の作業には使えない。大豆刈り取りも専用機だが、なかなか他の機械ではうまくいかず、結局専用機を買ってしまった。だから、たとえ転作率が変わろうが変わらまいが関係なく大豆は作っている。
毎日、草取りしかすることが無いので、ノンビリ仕事をしている。まあ、相変わらず、スーパーレデイースからは、もっと除草剤をまけと責められているが、聞き流している。草は、一本たりとも、許せないようだ。





1997年7月22日

今年は、消毒をしないので、本当に楽である。虫送りも、あってか、今のところ害虫の被害もないようだ。あとは、ジェット気流で中国からやってくる、ウンカという虫が問題だ。彼らは、すごい繁殖力で増えるので、稲が真っ黒になってしまうくらいである。
昨日、子供にせがまれて、近所のプールに出かけて、白峰村という所の、恐竜パークに出かけた。まあ、遊びすぎて、2人とも、熱を出してダウンしてしまった。普段、あまり、一般的な遊びをしないので、慣れてなかったのかもしれない。
ほとんどの場合、イベントやら、キャンプやらの企画に乗じて連れて行くので、一般的な、アミューズメント系には、行かない。不幸というべきか、幸福というべきか。迷うところである。しかし、恐竜パークでの、映画を見ていたら、平成8年度農林水産省、中山間地なんとかこんとか事業といきなり出てきてビックリした。
「ウーン、こんなところにも、ガットウルグアイラウンド対策か。」と思うと、複雑な気持ちになる。そういえば、岐阜県で泊った、コテージにも書いてあった。確かにリッパな施設だが、もう少し、手作りの部分があっても良いように思うのは私だけだろうか。補助金だと、リッパに作らないと許可が下りないから無理もないが。





1997年7月21日

昨晩の虫送りの、写真がさっぱり分からないものに、なってしまった。ストロボが無いので、極端にシャタースピードが遅くなるので、ボケルは、暗いわで、必死に修正をしたが、だめだった。まあ、幻想的には、なっているという風に肯定的に考えよう。
今回、消防に行って、気付いた事がある。毎年、使った「たいまつ」を、決められた場所に、集めに回るのだが、今年は、実に奇麗に片づけられていて、さらに、来年も使用出来る、リサイクル型も増えてきた。以前は、目を覆うばかりのたいまつだか、ゴミだか分からない状態だったが、我が地区も、捨てたもんじゃないなと感じた。
最近は、たいまつも、空缶を利用したり、色々な形があって、面白い。しかし、太鼓の革を勢い余って、破く事があるが、一枚30万円なりである。素人が叩くと、どうしても、先っちょで、ヒットしてしまうので、頻度が高くなる。おまけに、この日は、高い音をだそうとして、太鼓の皮をパンパンに張るのでなお更である。ちなみに、この辺の太鼓は、大型のツツミみたいな形で、麻縄で縛ってあるので調整が効く。
昔は、電話がないので、村の寄り合いは、この太鼓を鳴らして、知らせたものである。一向一揆の頃からの、百姓の知恵ではないか。
あまりにも、写りが悪いので、説明すると、左が、大たいまつに集まっているシーン。右が、太鼓を叩いて会場を目指しているシーンである。分かるかなあ。





1997年7月20日

地元の、「虫送り」という祭りがある。これは、村村から、大太鼓とたいまつを持って、集合場所にある、巨大たいまつに、火をつけて、太鼓を打ち鳴らす祭りである。
昔は、これしか、楽しみがなく、村の青年が、毎夜毎夜、太鼓の練習をしては、飲んだそうである。しかし、今も、伝統の祭りとして、新しい町民と旧の町民との交流の場になっている。
今から、500年ほど前に、この辺の加賀の百姓が、一向一揆によって、豪族富樫一族を滅ぼしたことがあるが、その時の恨みによって、害虫の被害が続いた。その霊を、おさめる為に、するようになった祭りと言われている。
たいまつに、群がる、虫を、大たいまつまで、おびき寄せて、一気に燃やすのであるが、このたいまつに、太鼓を打ち鳴らしながら我先に集まる、村の衆、と青年団と消防団との、衝突が、クライマックスである。私も、青年団の時何度も味わったが、火と太鼓の音が近づいてくる時の何ともいえない、気持ちの高鳴りは、原始のものである。
最近、ようやく、攻撃側に移って、やれやれと思っていたら、今度は、消防団として、受けて立つ側にもどってしまった。危険なので、写真がうまく撮れればいいが、火文字等も、青年団OBとして、朝作ったものである。去年は、これが火が付かず、あせった。
なには、ともあれ、結構危ない祭りなので、今から、テンションを上げて行くつもりである。でも、いつも、そんなのばっかりかも。


1997年7月19日

午前中は、昨晩の海辺のコンサート第2回実行委員会の、まとめと、メールの発信をしていた。ケンケンガクガクの、討議の末に、結局、お客様をたくさん呼ぶには、一人一人の力しかないという結論に至った。
「あなたに、会いに来るんですよ。」ということである。コンサート自体も、そんなにリッパなものでない、手作りだし、時間も短い。でも、もてなしの気持ちは、人一倍みんな持っているので、その力を発揮して欲しい。
マスコミにしても、利用するというのではなく、能登の海を思う、同じ気持ちを持つ、仲間としてとらえて行きたい。それに、しても、金にならない仕事のなんと楽しい事か。
午後から、子供たちと、PTAの自転車教室に、一緒に出かけた。帰ってきて、さっそく、下のあぐり君(5歳)の、自転車の練習をしたが、もう、ほとんど押して走るので、ゲロが出そうになった。最近、走ってないからなあー。


1997年7月18日

「おわびと訂正と感謝」

また登場の新人・中村です。北村さん、万年小作さん、水渕さん、ファンレター(?)をありがとうございます。
今後はタイトルと名前を付け、おちゃらけつつも時にはまじめに書いていこうと思います。
さて、7月11日の日誌で除草剤のことを書きましたが、私が勘違いしてたことがあるのでここで訂正させていただきます。 今、うちの会社でまいている除草剤は、液体がかかった部分は枯れますが、これからはえる草をおさえることはできません。 草刈り機より歩くスピードが倍以上早くて楽というだけで、薬は日光で分解され、土壌中には残りません。
土壌中に残留し、これからはえようとする草も殺してしまう農薬もあるのですが、それを使った時は土が死んでしまい、 あぜ道が崩れていったそうです。濃度を加減すればよいのかもしれませんが、環境に配慮してることもアピールしたいし、 この場で訂正しておきます。もちろん、人体には危険なものですが。(脱毛は多分できない)
ところで、今日は、追肥といって稲穂のための肥料散布と草取りをしたのですが、うわさの「ヒエ」を写真におさめました。 右の写真の、右側がイネで、左側がヒエです。ちがいがわかります?
(中村)





1997年7月17日

ほとんど、田んぼの仕事をせずに、海辺のコンサートの準備をしていた。 なにやら、マスコミ関係と言うのは、「後援」というものがあり、申込みをすると、告知やら、取材やらをしてくれるそうなのである。
とにかく、県内外から宿泊してほしいので、宣伝活動は重要なポイントである。去年の田んぼのコンサートは、 その辺を失敗してしまったので、今年はガンガン行くつもりである。
ほとんど、仕事はしないが、2時間程「ヒエ取り」にスーパーレディースと出かけた。 「ヒエ」というのは、イネ科の植物で、とにかく除草剤が効きにくい。イネと非常に似てるので、見過ごしやすい。 しかし、おかしいもので、遠くのや、後ろを振り向いて今さっき取ったはずの所のは、良く気付く。 そして、他人の草取りをしている所も良く見つける事が出来る。まさに人生そのものだ。 自分の今の状況はなかなか見えないものである。


1997年7月16日

PTAの仕事で校長先生と、子供安全連絡所のシールを貼ってもらうのに、校下のお店を回った。 これは、変質者から子供を守るために、かけこむことが出来る場所を作ろうというものである。 これに関しては、やれる事はどんどんやっていけばいいと思う。 昔は、こんなんではなかったという嘆きの声も聞こえるが、今もそんなに捨てた世の中ではないと言う事に気付けば、この様な作業も受け入れる事が出来る。
でも今回は、そういう話ではなく、10ヶ所ほどのお店を回ったが対応の差が色々あって面白かった。 かつての教え子が経営していたりして盛り上がった所もあったが、中には、まったく無視の経営者もいたりした。 別の場面では、私も校長先生もお客なのに、残念な事だ。 立場を逆に考えれば、自分も体調の悪い時とかに、その様な態度をとっているのではないかと反省をした。
でも一事が万事だから、本当に考えてしまう出来事だった。
今年も新米販売用の看板を立てた。「この田んぼの米売ります」のコピーは結構インパクトがあって、去年はかなり評判だった。 しかし、台風でお盆に倒れてしまい、いわゆる「看板倒れの林農産」とみんなに言われてしまった。





1997年7月15日

有機米の肥料を散布した。中村君と、研修生の谷口さんにとっては、数少ない肥料散布の機会なので、参加してもらった。
我社の肥料は、60%が一発肥料と言って、最初に田植え時に入れて終わりなので、最近ではあまり散布の機会がないのである。 昔は、夏の盛りに、一品種に2回も3回も散布するので、消毒と合わせて、もう動力散布機を担がない日が無い位だった。
今はこうして、出来た時間で、色々な事が出来る。しかし、素人は、細いアゼ道を歩くのは、至難のワザらしい。 よくこけて、骨折したりもするので、油断は出来ない。しかも、フラフラとして散布しているので、おそらく芸術的な田んぼになるだろう。





1997年7月14日

水俣から、帰ってまいりました。熱い濃い勉学の日々でした。特に水俣についての発表は、地元のゲストを交えて、非常に活発な討論になった。休憩なしで3時間もぶっ続けだった。
水俣は、とても奇麗な街で、ゴミも20種類の分別をしていたり、温泉もあり、会場になった、福田農場は、地ビールで有名で、毎晩、のみ放題で本当に楽しかった。水俣病という、同じ町の人同士で起きた公害が、悲劇を生んだが、被害者の語りべの老人は、恨みを超えて、これからの21世紀の生き方を切々と語っておられたのは感動だった。
ゴミの収集にしても、他の町が、達成に10年かかるところを、ほぼ1年で達成したというのは、市民の意識が高いということに他ならない。それ以外のことでも、とてもプラス思考で、志の高い印象を受けました。
結局、5日間ぶっ通しで、「気」を全開で、やり続けたので、今は、もうろうとして、ぬけがら状態。でも前回の箱根の時より元気なので、だいぶ復活したなと安心しています。しかし、帰ってきて、メールを見たら、中村君の日記への絶賛の嵐で、完全に乗っ取られていた。中には、新しい中村君のページを作れという意見まであった。何事にも、ライバル大歓迎。
しかし、熊本はすごい雨だった。雪でなく雨で1m以上も降ったのだから半端じゃない。行くのにも帰るのにも本当に苦労した。しかし、水俣の山は、棚田があるので、土砂崩れはないそうである。どれだけ、砂防ダムを税金を使って造っても、棚田には勝てない。その棚田の米を使って日本の農業を守ろうという経営をしている会社がある。トンカツチェーンの「浜勝」がそうであるが、西日本の人は、みんなで、浜勝でご飯を食べよう。そうすれば、自動的に日本の山々が守られるのである。


1997年7月13日

「締め切りマニア」

今日は日曜日だが、農協と、農業改良普及センターによる、コシヒカリの現地指導があった。今回は藤平全体での話で、近所の田んぼの生育状況も見れて参考になる。
昨日の夜は中宮温泉近くのとうふ料理屋「むらうち」で、豆腐のフルコースをいただいた。(名目は大豆加工研修)
どれもこれもおいしく、豆腐だけでおなかがいっぱいになった。おかみさんとの話も楽しかったし、うちも大豆を生産してるのでこれが縁で事業にも結びつくかもしれない。
明日は、社長が帰ってくる予定。九州はひどい雨だったが、連絡がないということは生きてるのだろう。浩陽さんは「晴れ男」というイメージがぴったりだけど、雨にあわせて、水俣へ行ったようなもんだ?!
自分の書いた文章が一部の人に好評らしい。ありがたいことです。大学生協でニュースを書いたり、執筆活動はちょっと経験がある。特に私のインタビュー記事は人気があった。
あのときは締め切りの種類がたくさんあって苦労(笑)した。1次締め切り、本当の締め切り、裏の締め切り、最後の締め切り・・・
まあ、一応編集長をしたこともあるので、やっぱり締め切りは一つである。みなさんも締め切りに追われる快感を味わいましょー!
(中村)


1997年7月12日

「クリント・イーストウッドとの共演?」

今週から稲刈りまでしばらく、林農産は週休二日の予定である。稲刈りが始まれば日曜日もないので、今のうちにやれることをやっておきたい。
で今日は、農業法人・六星生産組合の20周年記念式典・祝賀会に出席した。
代表取締役・北村歩氏が挨拶の冒頭で感極まって涙声になったのがすごく印象的だった。他の方もうつむいていたり、つらそうな顔だったり・・・
「20周年記念なんだから、もっとにこやかに」なんてのは、やはりあさはかな考えなんだろうなぁ。(自分は前の方の席でヘラヘラしてた。)
永年勤続者表彰の時も、表彰状記念品を渡す側も、受取る側も涙ぐんでいたり、素敵な記念式典だった。どんな苦労が頭をよぎっていたのだろう。
幾多の試練苦難を乗り越え、地球の農業に尽くされた方々に敬服いたします。

ところで、祝賀会は立食パーティだったのだが、松任市長が帰る時に、私たちのテーブルまでやってきて、なんと私の1メートルぐらい前で「ありがとう」といわれたので、 私は「ご苦労様です」と返したが、あんな挨拶でよかったのだろうか?地球の常識を知らない宇宙人としては心配である。
パーティで公人が挨拶をしてまわる、という場面で、イーストウッド主演の映画「シークレットサービス」を連想する私は病気?
警護の人の姿も見えなかったし、私は胸の内ポケットに手を入れたくなった。(バカ)さてその後の展開は?
@、拳銃を出す
A、名刺を出す
B、いんろうを出す
本当はイーストウッドに「Gun!」と叫びながら走ってきてほしいが、今日は都合が悪かったようだ。
答え:「あ、御祝儀忘れた!」「じゃあ地球よってく?」「いいねえ!」ラララ・・・ (中村)


1997年7月11日

「除草剤と雑草」

今日は大雨になりそうなので除草剤もまけず、たいした仕事がない。まあ基本的には「晴耕雨読」が自然にそった生き方で自分好みである。 なんでも、農業をやる人は哲学人が多いらしい。自分もそう。雑草や害虫にも、なにか存在意義があるはずだ、ということを考えながらも、それと矛盾した仕事をすることもある。 うちは除草剤はあまりまかないほうで、一番草だらけの田んぼが目印になってるが、あまり草だらけだと害虫や病気のもとになったりして、 近所の田んぼにも迷惑が及ぶのですぐに完全無農薬というわけにはいかない。
田んぼの仕事というのは、ほとんど雑草との戦いの歴史だそうな。イネ科の雑草は水があっても平気で生えるし、稲刈りの障害となる。 あぜ道の雑草はたくましく、刈っても、薬をまいても、すぐはえる。うちの田んぼは400枚ぐらいあって、この前草刈り機を使って一周したが、 最初に刈った所はもうだいぶはえている。今度はそこに除草剤をまいていくのだが、まああまり気持ちの良い仕事ではない。みなさんもつるつるのあぜ道を見たことがあるかもしれないが、 それは除草剤がよくきいているからである。草もはえない、虫もいない田んぼというのは土が死んでいるわけである。 お金をかけて、危険な思いをしてまで、大地を傷つけなければいけないのか?
しかし、稲刈りの時期に草刈りなどできるはずもなく、今のうちに薬で押さえつけておく必要がある。それは「安さ」との引き換えなのである。 自然にも浄化作用はあるから、適度なバランスなら問題はないかもしれないし、うちの田んぼは手が回らなくてうまくいってるような気もするが、矛盾しないにこしたことはない。 雑草との共存という考えは間違ってるのか?アスファルトのすきまからはえる雑草のたくましさに、自分はなにか強烈な「訴え」を感じるのだが、みなさんはどう思われます?
(中村)


1997年7月10日

「新入り登場!」

さて、今日から社長が出張なので、新入社員の私・中村善行がこのページを担当します。
簡単に自己紹介をすると、大学では情報科学が専門で、もともとコンピュータが得意だったので、このような作業には抵抗がない。 大学には長い間いて、いろいろと勉強したり、思索にふけったりするうちに、世の中で一番大切な職業は農業だと考え、この会社にたどりついた。 肩書きは銀河系支部長で、「新しい生命と文明の探索」が主たる任務だが、(ウソ)最近はNASAに代行してやらせていて、自分は田んぼで草取りである。(なんだこのギャップは)
今日も直播きの田んぼで草取りをしていたが、やっと「ヒエ」と「イネ」の区別がつくようになってきた。素人にはイネを摘み取っているようにしか見えない仕事である。
午後は社命で、講演会に行ってきた。講師はローヤル社長、鍵山秀三郎氏。イエローハットの、掃除好きな社長、といえば、知っている人もいるだろうか。 「身の回りが汚れていれば心もすさむ。街をきれいにしたいし、社員も素晴らしい人格の持ち主になってほしい」ということで、最初は一人で黙々と掃除をし、 今では社員全員で、毎朝、会社の近所までも掃除するようになった。1年間に40回ほど、学校や駅のトイレなどへ掃除に行く珍しい「社長」だが、 進学率が高い学校ほど汚かったそうな。「丁寧に掃除をすれば、人に優しい、穏やかな人物になれる」と言っておられた。 たしかに、思いやりがなければきれいな掃除はできまい。勉強以外の時間を惜しむ受験戦争とは正反対である。
自分も一人暮らしを始めて3ヶ月。心がすさむ前に部屋の掃除をしよう。 (中村)





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