な〜んも専務のひとり言 1999年06月分





1999年月日()



1999年6月30日(水)

明日は、1999年7月、そうノストラダムスの大予言、人類滅亡の時、この本を読んだのは、小学生のとき、友達も家族もみんな死んでしまうのか、悲しい、あの当時は、本気で信じていた、しかし、今では、先のことなんて、分からない、それよりも、明日、命が、あるか保証は、まったくない、帰り道で交通事故で死ぬかもしれない、どこかで、転んで、頭打って死ぬかもしれない、また病気かもしれない、ノストラダムスの予言が当たって死ぬ確率よりも、今日、車に引かれて死ぬ確率の方が、はるかに高いのではないか、結局、先のことなんて、神様でも仏さまでも分からない、




1999年6月29日(火)

今日、田植え機の整備も終わり、昼から、草取りに出る、カッパを着て腰にカゴを付けて、よし、いざ出陣!田んぼを見ると、ヒエ〜ッ、ヒエがひどい、これぞ低農薬の田んぼだ、確かにこれまで、農薬をバンバン使ってきた、しかし、会社の方針で(時代の流れ)ここ近年、極力農薬を使わないようにしてきた、その影響なのか、今年は、草が多いような気がする、来年は、もっと増えるのではないか、少し心配

農業経営として、このまま手で取るか、農薬で押さえるかであるが、草を手で全部、取ることは、うちの農業経営として無理、しかし農薬で全部、押さえつけるのは、今の時代に反している、だから、一つを選択するのではなく、両方を統合して考え、とっちに傾くわけでもなく、絶妙なバランスを取ることが良いのではないか、ただ一人の人間て、何事も統合して見ることは、難しい、さいわい、うちでは、草取り派、農薬派、あまり仕事したくない派(自分)どっち付かづ派が、お互いに文句を言い合いながら、なんとかバランスを取っているような気がする、(経営者は大変)これがもし経営者好みの人ばかりを雇うとバランスが崩れて会社は良くない方向に流れるのではないか、

今の時代に合った会社の経営理念をしっかり持っていれば、あとは、自然に人は寄り付くもの、今日、草取りをしながらそう思った


1999年6月28日(月)

昨日の疲れが出たのか、あまりヤル気が起きない、たしかに昨日の流しそうめんパーティは8時間耐久レース並み、昼の12時から始めて、帰ったのは夜の9時頃、もうヘトヘト状態、あれから、うちの若い衆はラーメン食って、ラスト、カラオケに行ったみたい、最近、若い衆について行けない!


1999年6月27日(日)

キムチ屋源さん(西田栄喜)と、ゆかいな仲間達による、恒例の流しそうめんパーティー開催、
今日は、あいにく朝から雨、場所を西田邸から林農産ライスセンターに変更、





1999年6月26日(土)

今日、うちの中村くんと友人とで夕食を食べに行き、その帰り、友人の行きつけの自転車屋さんへ行った、お目当ては、そう、憧れのマウンテンバイクである、自分と友人は、あれがイイ、これがイイ、こっちのほうがカッコイイ、なんて話しをしていた、とにかく自分はタイヤとかエンジン付きの物が大好きである、しかし中村くんは、まったく興味をしめさず、「そんな無駄な物、もったいない」と一言、その時、自分と中村くんとは、まったく、価値観が違うのだと強く感じた、マウンテンバイク一つにしても価値ある物、無駄な物、ぜんぜん見方が違ってくる、当然といえば当然、生まれも育ちも環境もまったく自分とは違うからである、そのようなことを考えると、うちの職場でも同じことが言えるのではないか、うちの会社では、経営者、社員、パート、アルバイト、皆それぞれ違う価値観を持っている、そんな人々と一つの仕事をする、仕事の内容でも、個人、個人によって、ぜんぜん見方、考え方が違ってくる、自分は、自分の価値観だけだはなく、他の人の価値観も理解することが、社会人として会社の責任者として大事なことではないか、


1999年6月25日(金)

・・・・・・・内容が浮かび上がらない、そんな日もあるもの



1999年6月24日(木)

部屋の窓を見ると、市街地に囲まれた、うちが管理する田んぼ(ハナエチゼン)が見える、その横を行き交う車、夜となると、ネオンの明かり、車のヘッドライトが流れ、カエルの合唱、その鳴き声を聞きながら、う〜ん、今日は、何を書こうか、頭の中で、考え、思い、今日の出来事などを浮かび上げている、これが毎日、夜の日課である、


1999年6月23日(水)

草刈作業、刈った、尻から草が、生えてくる、


1999年6月22日(火)

今日、夕方、昨日事故を起こした加害者が、お詫びに会社へ来た、40歳前後の女性であろうか、会議室へ通して、話をした、相手は、エアコンが効いているにもかかわらづ、顔から汗をだしながら、こちらの不注意です、申し訳ございません、と、ただ頭をさげるだけ、その姿をみていると、もし自分の不注意で相手にケガでもさせた事故ならば、あのように頭を下げ、謝るのだろう、もし謝ってすまないような事故は、大変ツライ立場に追い込まれるのだろう
みなさんも事故には気をつけましょう


1999年6月21日(月)

じつは言うと、昨日、交通事故にあった、日頃、自分は、会社の責任者として、事故とかケガには、うるさく言っている、しかし、昨日は、田んぼの水まわりの途中、愛車、営農バイク(ダックス)に乗り、いったん停止の交差点で、左右確認のため、停止した瞬間、乗用車にドンと追突、そのまま転倒した、たいしたことないのだが、相手が、動揺してたのか(女性)すぐに救急車を呼んでしまった、来てしまったものには乗るしかない、そのまま、松任中央病院に搬送、ケガもたいしたことなく(軽いムチウチ程度)すぐに帰宅、
事故は日頃、どれだけ注意していても避けられない時がある、だから、今回は、たまたま、自分は被害者であるが、いつ被害者、加害者になるか分からない、お互いさまである、
最後に、救急車に乗るのは、初体験だが、けっこう乗り心地が悪い、サスペンションに問題あるのではないか、観光バスのように足回りをエアーサスペンションにして、路面の凹凸からの突き上げを押さえると、イイんじゃないかな!


1999年6月20日(日)

今日は、ボーリング大会に、うちのメンバーとぶった農産の社員で参加した、大会が終わり、会社の休憩室で反省会(宴会)して、夜食として、ラーメンを食べに行く、みんな、けっこう楽しんでもらえた、そう言う姿を見ると、自分は本当に涙が出るほどうれしいものだ!



1999年6月19日(土)

しゃちょーは、今年、初老の前厄をドカーンとするらしい、
自分としゃちょー(兄)とは年齢が三歳、離れている、でもこの年になれば、ほとんど、年の差なんて感じない、そのしゃちょーが今年、前厄とは、
餅の加工販売を始めて、14年目、あの当時は、まだ23歳、その当時、注文で初老の餅作り、お客様へ届ける、そのとき、初老の人は、もうイイおやじに見えた、自分には、まだまだ遠い先のこと、関係ない、そんなことを思っていた、しかし、あれから、10なん年、しゃちょーが初老の前厄とは、時間が流れていることが、ひしひしと感じる、自分も来月、36歳、久々に合う友人なんて、もうイイおやじに見える、しかし自分は、ぜんぜん変わらない、あの当時と同じガキである、少しショック
最後に、しゃちょーは、今年、39歳、初老は数え年で42歳だから、今は、数え年で40歳、正確に言うと、前前厄である、今は、初老の年の前後はあまり関係ないみたい


1999年6月18日(金)

朝から雨、梅雨らしくなってきたぞ!


1999年6月17日(木)

朝から、雨、今日は、晴耕雨読で草取り作業中止かな!、少しは期待したが、さすがに、おばちゃん達、ヤリが降ろうが、何が降ろうが、問題ナシてな感じ、雨で草刈作業が出来ないので、当然、草取りに出なければいけない、さっそくカッパに着替え、腰にカゴをぶら下げ、豪雨の中、いざ出陣!
毎日、機械を使った作業ばかりなので、たまには、田んぼの中に入って草取りもいいだろうと思った(本当は、これが当たり前のこ)だって、農業をして、それも、稲作で、一度も田んぼの草取りをしたことない、それで、よくも農業していますなんて、デカイ声で言えるはずがない、去年なんて、たしか、一度も田んぼの草取りをしていないはずである、
これまで、なんだかんだといって草取り作業をさけていた、今年は、時間がゆるす限り、出ようと思う、
やっとオレも農業者じゃ!

最後に、このページ、内輪のもんだけじゃなく、ほかに誰か読んでいる人いるのかな!もし、いたらメールちょうだい、たとえば、おもろくないとか、よく分からないとか、聞きたいことでも、なんでもイイよ!


1999年6月16日(水)

毎日、草刈作業のせいか、身体が痛い、特に腰に負担がかかっているようだ、
もともと、体力に自信がなく、農作業といっても、3月頃から、大豆播種作業が終わる、6月頃まで、ほとんど、農機のオペレータで力を使うことが少ない、いつもシートの上でハンドルを持つだけ、急に、草刈作業をするものだから、身体が痛む、とてもツライ、「なぜ、こんなに、体力がないんだ、オレにもっと体力があれば、バリバリ仕事するのに、チクショー」時々、自分を責める、悲観的になる、河二さんなんか見ていると、(あの太い腕)羨ましくなる、
だが、ものは考えようで、得るものあれば、失うものありで、もし自分に体力があったならば、多分、こんな会社になっていなかっただろう、(典型的な農家)もくもくと、農作業して、朝から晩まで仕事づくしの毎日、日曜日もないだろう、今、アルバイトの確保のため、休みなど色々なイベントなど企画し、少しでも楽しい農業に目指しているが、そんなこともしないであろう、ましてや、こんなに毎日ホームページの書き込みなんかしない、必要ない、こんなに人も寄り付かない、仕事もこんなに効率良く(手抜き)していないであろう、ただ力まかせの作業がつづく、だから結局、体力があったからと言って、事態は、あまり変わらないのではないか、
ただ、今の現状で頑張るしかない、まあ、五体満足仕事が出来ることに感謝しなければいけない


1999年6月15日(火)

今日も、一日が終わろうとしている、時計を見ると夜の11時、カエルの鳴き声を聞きながら、ページの書き込みにはいる、
別に特別なことがあるわけでもなく、ただ、今日も一日が過ぎて行く、


1999年6月14日(月)

今日から、田んぼの草刈作業、草刈と言っても、カマで刈るのではなく、25ccのエンジン付きの草刈機を腰に付け、ナイロン糸を回転して、草を刈る、刃先がナイロン糸で叩くように草を刈るので、草とか石が飛び散る、その為、長靴、長袖、エプロン、顔には、タオルを巻いて覆い、安全のため、アクリルのお面をかぶる、完全武装である、今日みたいな、暑い日はもう地獄である、もう、汗があふれるように出る、最悪の作業環境、時々、空を見上げて、雨、降らないかな、と思う、
これも自分の仕事だから良いのだが、今、アルバイトで小島君が毎日、アルバイトに来ている、彼は、こんな過酷な作業でも、文句も言わす(ひとり言は多い)ただ、ひたすら刈りつづけている、最初は、少し無理かな、と思ったが、とりあえず、帰りに「明日もたのむぞ」と言った、彼は、ハイと一言、彼はまだ16歳で、定時制の学校で勉強している、昼は、アルバイト、夜は勉強、たいしたものだ、彼を見ていると、自分のあの年は、昼は学校で寝て、夜は、遊びほうけていた、親にバイクを買ってもらい、毎日のように乗り回していた、完璧な親のすねかじりである、(そのツケが今になって帰ってきた)
そう言えば、彼が小学生のとき、トラクター、コンバイン作業のとき、何時間でも、ずっと見ていた、その時から、農業(農機具)に興味があるのだろう、(家が近所)彼はまだ若いので、将来とかあまり考えていないようだけど、ぜひとも、将来、農業をしてもらいたいものだ、
よし、明日から小島君の耳元で「田んぼ、儲かるぞ」と言いつづけよう
彼の潜在意識に叩き込んでやる!


1999年6月13日(日)

今日、夕方の田んぼの水まわりの時、不覚にもスズメを引き殺してしまった、鶴来方面の田んぼへ行く途中である、田園地帯のド真中、直線道、愛車、営農バイク(ダックス)で5速全開、多分、80以上の速度であろうか、路肩にいたスズメがびっくりして飛び上がったときに引いてしまった、もう一瞬の出来事である、どうすることも出来なかった、自分が天気も良く、調子こいて、スピードの出し過ぎである、バードウオッチャーとして自分は、かなりショックである、多分、スズメは自分にスピードの出し過ぎですよ、と身を投じて警告してくれたのであろう、反省!


1999年6月12日(土)

今日で、大豆播種作業が終わる、 好天に恵まれ、作業も順調に進んだ、ただ、天気予報によると今年は、から梅雨らしい、


1999年6月11日(金)

今年、7月頃、農者大から、研修生が来るらしい(暫定)
住み込み、になるので一様、家族の了解を得るため、しゃちょーが、「今年、7月頃から研修生来るけど良いか」家族のみんなは了解したが、自分は、仕事の方も助かるから良いが、はたして、うちへ来ても勉強になるのか、なんてたって、日本一、なめた農業法人だから、遊ぶことばかりで学ぶものがあるのか、疑問に思う、「うちよりも、もっと勉強になる所の方がいいんじゃないの」
それを、しゃちょーに言うと、さすが、志の高い人の言うことは違う、伊達に仕事サボって、仙台まで行ってるのではない、
「それは違う、むこうが勉強するのではなく、こっちが勉強させてもらうのだ、むこうは、稲作の本場、新潟しかも農林水産省直系農者大エリートだ、ヒロユキ、おまえ考え方、逆だ」と、しゃちょーに言われた、
確かにその通りである、妙に説得力があった、


1999年6月10日(金)

毎日、天気がいい、でも今度、あまりにも天気が良すぎると、大豆の生育に影響する、ちょっこ、雨、降らないかなあ!ほんと人間て勝手なものだ、


1999年6月9日(水)

今日の夜、ぶった農産での勉強会の日だが、ズル休みをした、
大豆播種作業で、毎日、トラクターに乗っているせいなのか、身体がだるく、あまり行く気になれない、自分だけ疲れているのではなく、みんなも日中、仕事しているんだ、でもこんな日は、無理に行かない方がいいだろう、ちょっとだけ、後ろ髪、引かれる思いだ、みなさん、ごめんね
さあ、今日は、風呂、入って、チOチOのアカ落として、はよう寝よっと!
明日も天気がよさそうだ、大豆、まき、まき!


1999年6月8日(火)

とても梅雨とは思えない、清々しく、爽やかな一日だった、きっと、天の神様がプレゼントしてくれたのだろう、
おかげさまで、大豆播種作業も順調に進んでいる、感謝、感謝!


1999年6月7日(月)

今日は、朝から雨、大豆播き、できないので、昨日の振替休日をもらう、
よし、今日は、アパートの大掃除だ、と気合を入れたまでは良かったが、結局、ちょこっと、掃除機をかけただけで終わってしまった、要するに、めんどくさいのである、仕事場の整理整頓、掃除は、嫌いではない、コイン精米機なんて、ほぼ毎朝、掃除をしている、だが自分の部屋となると、そうはいかない、
なぜか、それは、職場では、人が見ているという緊張感、また、人に評価される、直接、結果に結びつく、だが、アパートでは、人が来るわけでもなく、何か評価されるわけでもなく、まあ、どうせ一人だ、住めば都、ちょこのホコリぐらい問題ナシぐらいしか思わない、結局、自分は人に評価されたいがために掃除をしているのだろう
本当に大事なことは、例えば、朝起きたら布団をたたむとか、食事の準備をするとか、雨戸を開けるとか、ちょっと家の前を掃くとか、そういった身辺の雑事ごとを、しっかりと、こなすことである、分かっちゃいるが、志がないのか、なかなか出来ないのが現実である
「私事も、ろくに出来ないものが、何が出来るものか」と自分に言い聞かせる、


1999年6月6日(日)

土曜日、日曜日とお休みだが、自分は、大豆播きである
ちまちま、と好きな時間に仕事し、適当に休憩して、ノルマとして一日、田んぼ10枚植えればよい、時間を気にするわけでもなく、人に気を使うわけでもなく、ただ、時々、肥料と大豆種を補給して、じっとトラクターのハンドルを持つだけ、実に簡単な仕事、ただ忍耐が必要
大豆播種作業は、修行の場である


1999年6月4日(金)

明日、あさって、とお休みだが、梅雨に入る前に大豆を植えなければいけないので土曜日、日曜日と、休みを取るかどうか迷っている、
大豆播きは、一人でも作業できる、自分の仕事である、 明日は、天気良さそうなので、大豆播き、せざるおえないだろうな!


1999年6月3日(木)

昨日の中日新聞のトップページに、野々市町、新庁舎予定地と言う見出しがあった、場所は三納、粟田5丁目の田園地帯、敷地面積、2万5千平方bを予定、と書いてあった、三納、粟田地区2万5千平方bの農地をつぶすと言うことである、
この意味、偉い人たちは、分かっているのか、日本の食料自給率、知っているのか、もし世界的に食料不足になり、外国から食料がストップしたらどうなる、極端な話、どれだけ立派な建物、施設、公園、作っても、町民の3分の2が餓えで苦しみますよ、そんなことわかんねえかな!
ひこちゃん、たのんまっせ


1999年6月2日(水)

大豆播種作業


愛機、クボタGL40トラクターによる、大豆播種、フロントに施肥器を付け、播種同時に肥料をまく、

トラクターのクーラーが壊れていて(部品待ち)今日みたいな暑い日は、暑くて、暑くて最悪である、明日は、教務用、氷の大型ブロック買ってきて、室内に入れようかな!ついでにかき氷機も持込だ


1999年6月1日(火)

インターネットによる、ホームページの開設、情報の発信、、メールのやり取り、掲示板の書きこみなどで、一度も面識がなく、何百キロ離れた所でも、相手のこともある程度分かり、気軽に交友できる、これはすばらしいことである、
ただ、ここで少し不思議に思うことがある
自分は、今、アパート暮らしをして、もう2年がたつ、だが隣の人とは、ほとんど、面識がなく、名前も職業も話もしたことがない、顔すらよく知らない、たった、ふすっぺらい壁一枚なのに、だが、インターネットでは、古くからの友人のように、やり取りをする、不思議である、

あっ、そうだ、今日から、大豆播種作業開始である、去年は天候不順のため、最悪だった、今年は、良い大豆が収穫できますように!たのんまっせ





ご意見・ご感想、お待ちしております。
E-Mail hiroyuki@karatsu.ne.jp
TEL (0762)46-1241
FAX (0762)46-3113